第31話 無能力サポート、天使に「来なくていい」と言われる
「……つ、疲れた」
次の日、学校の昼休み。
茉莉は、いつも以上に濃い隈を作って、机に突っ伏していた。
最近はまともに寝られていない。深夜遅くまで、徹の擁護コメントを打っていたからだ。
しかし流石に、今日はもう限界に近かった。
(こ、このままだと本当に死んでしまう)
そのとき、スマホに通知が届いた。
『本日の攻略は、どうしますか?』
徹からの確認通知。
(そろそろ攻略配信の時期ね)
だが、このとき茉莉の頭に浮かんだのは、昨晩の悪質コメントだった。
『専属くん、調子乗ってるもんな』
『自作自演乙www』
攻略に徹を連れて行けば、またこいつらのネタに使われる。
切り抜きをされて、徹がつるし上げられてしまう。
茉莉は、横でスマホをいじる徹を見た。
(……どうしよう)
茉莉がそう考えていると、教室の扉が大きく開いた。月島笑美だった。
今日は、少し涙目になっていた。
「稲垣先輩、すみません! なんか先輩が自作自演したことにされちゃって」
「私、せっかく本当のこと書いたのに……本人ですって、何回書いても信じてもらえなくて……」
徹はそんな笑美を見ながら、頭を軽く下げた。
「ありがとうな。そこまでしてくれて」
「いえ、だって先輩は本当に何もしていないのに」
「そう思ってくれるだけで、十分だ。本当にありがとう」
その様子を見ていた茉莉の、勢いよくスマホを叩いていた親指が、今日はゆっくりと動く。
(なんか、バカみたいだな。私って)
やがて茉莉はスマホを投げ出し、机に突っ伏した。
◇
ふと、徹のスマホに通知が届いた。
白い羽根のアイコン――マリーからだった。
「あ、悪い。マリーからだ」
徹が通知を押すと、通信アプリに一言だけ入っていた。
『しばらく来なくていい』
それだけだった。
徹の胸を、やたら冷めた風が通った。
徹は、いま見た言葉を、頭の中でもう一度並べ直した。
しばらく。来なくていい。
主語がない。理由もない。
だが、意味は一つしかない。
(……クビか)
思い当たる節なら、いくらでもあった。
あの記事だ。専属サポートの女性関係が騒がれて、彼女の名前まで引きずり出されている。スポンサーも、黙っているはずがない。
守るべきは、天使マリーのブランドだ。
自分は、その汚点になった。
徹は、そう理解した。
だから。
「……なんか、あっけなかったな」
自分でも驚くほど、平坦な声が出た。
そういうものなのかもしれない、と徹は思った。
これまでのバイトでも、「しばらく来なくていい」は、だいたいそのまま終わりだった。
こういうことになるかもしれないと、考えていなかった自分が悪いと、思うことにした。
そして、徹は返信の文章をサッと打ち込む。
『今までありがとうございました。お世話になりました』
送信。
◇
横で机に突っ伏した茉莉のスマホがぶるっと震えた。
だが、茉莉はそれが徹からのものだとは気づかなかった。
そのまま目をつむり、顔をうずめ続ける。
だが茉莉の意識ははっきりしていた。
(トオルには、しばらく休んでもらおう。少し落ち着いて、また一緒にやればいい)
(うん、それがいい)
茉莉はそう考えながら、スマホの通知を開くことなく、深い眠りにつくことにした。
◇
放課後。
目を覚ますと、教室には誰もいなかった。
窓の外は、もう赤い。
(……寝すぎた)
茉莉はスマホを開いた。
『今までありがとうございました。お世話になりました』
(……お世話になりました?)
(それ、辞めるときの言葉じゃない)
少し休んでほしかっただけだった。
あんな記事のせいで、彼が矢面に立っている。自分の名前がくっついているせいで。
だから、ほとぼりが冷めるまで離れていてほしかった。それだけのつもりだった。
(なんでいきなり、そんなこと言うの。なんで突然辞めるって?)
(……やっぱり、イヤだったのかな。マリーのサポートってだけで、こんなに目立って、あることないこと書かれて)
茉莉はすぐに通信アプリを開いた。
(違う、って打てばいいだけだ)
茉莉は、返信欄に指を置いた。
『ちがう』
三文字を、消した。
もう一度打って、また消した。
やがて、茉莉はスマホを伏せた。
「急に辞めるって言われても、私、分かんないよ」
誰もいない教室で、その言葉だけが行き先を失っていた。
制服の襟の下へ、指を入れる。
赤い石が、指の下にあった。
いつもと同じ、冷たい石だった。
◇
「無職になっちまった」
翌日の昼休み。
徹は、机に突っ伏したまま言った。
「は?」
誠が、パンを落としかけた。
「え、待て。クビになったのか」
「たぶん」
「たぶんってなんだよ」
「はっきりとは言われてない。でも、まあ、そういうことだろ」
「理由は」
「聞いてない」
「聞けよ!」
「聞けるわけないだろ」
徹は顔を上げた。
「雇い主に『嫌われましたか』なんて、聞けるか?」
誠は、口を開いて、閉じた。
「……聞けないな」
「だろ」
「いや、でもさ」
誠は頭をかいた。
「マリー様が、そんな理由でお前を切るか?」
「切るだろ。あの記事だぞ」
「うーん……」
誠は納得しない顔をしていたが、それ以上は言わなかった。
その隣の席で。
綾瀬茉莉は、机に突っ伏したまま、一言も発しなかった。
◇
「先輩、元気ないですね」
放課後、廊下で笑美に捕まった。
「元気だよ」
「元気じゃないです。目が死んでます」
「そんなことない」
「誠先輩から聞きました」
「あいつ……」
徹はため息をついた。
笑美は、少し考えてから、ぱっと顔を上げた。
「攻略、行きませんか」
「攻略?」
「はい! 三人で!」
「俺、無職だぞ」
「無職でもダンジョンには入れます」
「そういう問題か」
「そういう問題です」
笑美は指を立てた。
「私、いま第五層まで一人で行けるようになったんですよ。誠先輩も第六層です。二人とも、あの頃よりずっと強くなりました」
「そうなのか」
「そうなんです。だから、第三層なら余裕です」
「第三層」
徹の動きが、止まった。
「……あそこか」
「はい。先輩たちが、初めて会った場所」
笑美は、少しだけ声を落とした。
「マリーさんが助けに来てくれた場所です。行ってみたくないですか」
徹は、しばらく黙っていた。
行きたくない理由なら、いくらでもあった。
行きたい理由は、ひとつしかなかった。
「……行くか」
◇
日曜の午後。第三層。
乾いた平原に、低い草が揺れていた。
遠くに、崩れかけた石造りの遺跡が見える。
補修は、とうに終わっていた。カラーコーンもバリケードもない。看板だけが、隅に立てかけられたまま忘れられている。
「うわ、めっちゃ普通の場所じゃないですか」
笑美が背伸びをした。
「もっとこう、伝説の地みたいな感じかと」
「伝説になるほど昔じゃない」
誠が配信ドローンを飛ばした。行政の点検シールが貼られた、市販の四枚羽根である。
「よし、回すぞ。慰め配信、開始」
「やめろ」
「タイトルは『失業した友人を励ます会』」
「本当にやめろ」
『www』
『専属くん生きてた』
『慰めるなら酒だろ』
『高校生だが?』
視聴者は三十人ほどだった。
流れが遅い。誰も急いでいない。のんびりした空気だった。
徹は、久しぶりに何もしなくていい時間の中にいた。
荷物は誠が持っている。指示を出す必要もない。時計を気にする必要もない。
落ち着かなかった。
「先輩、そこ! 岩人形です!」
「見えてる。月島、下がってろ」
誠が前へ出た。
「風の保護よ」
淡い光が笑美を包む。
徹は、それを見て少し驚いた。
「マコト。それ、範囲が広がってないか」
「気づいたか」
誠が得意げに笑った。
「あれから毎日やってんだよ。俺も、何かできないかってさ」
「……そうか」
「三人まで同時にいける。持続も伸びた」
「すごいじゃないか」
「だろ」
誠は照れくさそうにドローンを見上げた。
笑美のタクトが黄色く光り、岩人形が一体、砕けた。
「月島も撃てるようになったな」
「はい! でも、十分にためて一発だけです」
「一発でいい。温存しろ」
「はい!」
言ってから、徹は口を閉じた。
癖が抜けていない。
誰も雇っていないのに、指示を出している。
「トオル」
誠が、ドローンを操作しながら言った。
「そういえば、マリー様の配信、今日もやってるらしいぞ。見るか?」
徹の手が、止まった。
「……いや」
少しの間があった。
「やめとこう」
「そっか」
誠は、それ以上聞かなかった。




