第25話 無能力サポート、勇者に引き抜かれる
「マリーは、苦手なものとかないんですか?」
夜十時を少し回った頃。
稲垣徹は、自室の机に携行品の一覧を広げていた。
常温の水、タオル、予備バッテリー、救急用品。先日の配信で減ったものには赤い印をつけ、補充が必要なものは別の紙へ移す。
スマートフォンの画面には、白い羽根のアイコン。
『どうしたの、藪から棒に』
ハンズフリーの電話から聞こえる気だるそうな声。天使マリーだ。
「苦手なものを把握するのも仕事だと思うので。テンションに関わりますから」
ああ、と小さく返事が聞こえる。
「好きなものは以前聞いていたんですけどね。はちみつレモンののど飴と、常温の水」
『それは好きなんじゃなくて、喉を傷めないためよ』
「そうなんですね、じゃああると嬉しいものは?」
うーん、と通話の先で小さく聞こえる。
『りんごジャムのクッキーとか』
「そういうのでいいんですか?」
『りんご百パーセントのジャムクッキーって、なかなかないのよね。傷みやすいから、大量買いもできないし』
「なるほど」
徹はメモ帳に(りんご百パーセントジャムクッキー)と赤ペンで書く。
「それで、苦手なものは」
通話の向こうで、衣擦れの音がした。
ベッドにでも入ったのだろう。返事はいつもより少し遅い。
『……思いつかないわ』
「ないんですか? 些細なことでもいいんですけど」
『天使に、苦手なものはないの』
今にも眠りに落ちそうな声で、マリーは答えた。
徹はペンを止める。
「食べ物でも、匂いでも、人混みでもいいです。仕事で避けられるなら、把握しておきたいので」
『真面目ね、あなた』
「仕事ですから」
『そうねえ……』
しばらくして、マリーは眠気の残る声で言った。
『あえて言うなら、強い人かしら』
「マリーも強いですよね」
『当然、私は強いの。でも、そういうことじゃなくて』
声が少しだけ低くなる。
『自分は強い、自分の考えは絶対正しいと信じている人。そういう人が、苦手』
「なるほど」
徹は一覧の端に、小さく書き加えた。
強い人?――要確認。
『仕事熱心なのはいいけど、早く休みなさいね。明日は人命救助の表彰式なんだから』
「警察署ですよね。もう少しで終わるので、そうしたら寝ます」
『お願いね。遅刻、しないでよ』
「そっちこそ、寝坊しないでくださいね」
通話が切れた。
白い羽根のアイコンが消えたのを確認し、徹はメモ帳を眺める。
(強い人って、誰のことだ?)
◇
翌日。
ダンジョン区を貫く片側五車線の直線道路。
もとは滑走路だったと言われたときは、その広さに納得したものだ。
行政区まで何百メートルも遮るものがないのだから。
その先、行政区の入り口に、警視庁ダンジョン警察署がある。
警察署の前は、表彰式とは思えない熱気に包まれていた。
歩道の端まで伸びた人垣。その多くがスマートフォンや小さな応援ボードを手にしている。
「すごい人数ですね」
徹は思わず足を緩めた。
アーマーグリフォン戦の切り抜きは、あれから何度もトレンドに載った。女性誌の特集も出たばかりだ。
もしかすると、今までとは違う層にもマリーの人気が広がったのかもしれない。
サポートとしては、少しだけ誇らしい。
隣を歩くマリーは、いつもの白いコート姿だった。人垣を見ても表情を変えず、堂々と正面玄関へ向かう。
さすがだ、と徹が感心した、そのとき。
「マイト君!」
「勇者様、こっち向いてー!」
歓声が、二人の背後へ殺到した。
徹とマリーは声のした方を向く。
人垣が左右へ割れる。
現れたのは、背の高い金髪の青年だった。
黒を基調としたジャケット。肩や胸元には、いくつもの企業ロゴが刻まれている。
彼がカメラへ手を上げる仕草ひとつで、歓声が増した。
勇者マイト。
国内最上位のダンジョン配信者であり、攻略者であり――徹が何十時間分ものアーカイブを一・五倍速で見た男だ。
マイトはファンへ笑顔を向けたまま、まっすぐこちらへ歩いてきた。
「マリーじゃないか。お前も呼ばれてたんだな」
マリーの表情は変わらなかった。
ほんの一秒。
それから彼女は何も聞こえなかったように、正面玄関へ向き直った。
「行きましょう、トオル」
「あ、はい」
「ほお。天使は逃げ足も速いようだ」
白いコートの裾が、ぴたりと止まった。
「……アンタって、本当に口が悪いわね」
振り返ったマリーの笑顔は、配信で見せるものとよく似ていた。
ただし、目がまったく笑っていない。
マイトも爽やかな笑顔のまま、目だけを細めた。
徹は二人を見比べた。
もしかして、この二人。
仲が悪いのか。
気づくのが少し遅かった。
「マイトさん、今日は――」
間に入ろうとした徹へ、先に言葉が投げかけられた。
「お前がトオルか」
「えっ?」
「グリフォン戦の映像を見た。相手の特性を即時理解して注意を逸らし、時間を稼いでいたな。そして最後はマリーに弱点を狙わせた」
周囲のカメラが、一斉に徹を向く。
「あれは、たまたまで」
「その“たまたま”を、引き寄せたのはお前の実力だ」
マイトは徹の頭から靴までを一度見て、うなずいた。
「お前ほどのサポートは、マリーには過ぎてる。うちに来い」
一拍、静まり返る。
直後、記者たちのシャッター音が爆発した。
「はあ!?」
マリーの声は、そのすべてを突き抜けた。
「ちょっと待ちなさい! いきなり出てきて、何を勝手なこと!」
「俺は本人に聞いている」
「トオルは私のサポートよ!」
「所有物じゃない。条件のいい場所へ移るのは普通だ」
「勝手にスカウトしてんじゃない!」
先に出た言葉に、マリー自身が一瞬詰まった。
だが勢いは止まらない。
「だいたいアンタは、ドラゴンロードの討伐に失敗して第三層まで逃がしたでしょうが!」
「怪我をした人がいるのよ!」
一瞬、マイトの表情から笑みが消える。
「必要な手続きはした。不服なら、ここから先は円卓を通してもらおう」
「そうやって、すぐ――」
「そこまでで願います」
凛とした声とともに、二人の間へスーツ姿の竹内が割って入った。
その後ろでは、同じくスーツ姿の依田がいつもの柔らかな笑顔を浮かべている。
ただ、目だけが二人の手元を見ていた。
「若い人らはケンカ好きだねえ。せめて警察署じゃないところでやってほしいわあ」
「ケンカではありません」
「こいつが先に売ってきた」
「表彰される人が警察署の前で揉めたら、こっちの立場がないですわ」
依田にそう言われ、マリーとマイトは同時に顔を背けた。
大物配信者二人が、自分を挟んで火花を散らしている。
そして二人は、顔を背けたまま、警察署の中へと入っていった。
「……ってオレは?」
肝心の自分の返事は、誰も聞いていなかった。




