第24話 無能力サポート、天使と四分三十八秒を数える
柔らかく、けれど、どこまでも澄んだ光だった。
アーマーグリフォンが、びくりと動きを止める。
徹は、振り返った。
崩れた列柱の奥。舞い上がる砂埃を、青白い粒子が払っていく。その中心に、白銀の髪が見えた。
真っ白なコートを翻し、青白いエネルギーをまとった大剣を携えて、天使マリーが立っていた。
刀身が、戻っている。飛行の光も、もとどおりだ。
落ちたはずの天使が、何事もなかったように、そこに立っていた。
その姿は、神々しいとしか、言いようがなかった。
「マリー……!」
マリーは、徹と笑美を一瞥した。
それから、一度だけ、自分の手の中の刀身へ視線を落とす。
確かめるような、短い一瞥だった。
顔を上げ、グリフォンへ向き直る。
アーマーグリフォンが咆哮をあげると、再び体から青白い光を滲ませ始めた。
またヴァリアントが吸収される。徹はそう思い、マリーの方を見た。
……しかし、ヴァリアントは健在だった。
青白い光の粒子が、グリフォンの方へ流れていくのがはっきり見える。
しかしヴァリアントはその姿を留め、光を発し続けていた。
「私と、私のヴァリアントは、不死身よ」
言い放つと同時に、地を蹴った。
白銀の軌跡が、まっすぐアーマーグリフォンへ突き進む。今度は、正面ではない。徹の指示どおり、装甲のない腹の下へ、大剣を滑り込ませていた。
「ヴァリアント――抜剣」
青白い光が、閃いた。
アーマーグリフォンの巨体が、腹の中心から両断される。硬質化した装甲は、内側からの一撃には、何の意味も持たなかった。
二つに割れた巨体が、石畳へ崩れ落ちる。
その瞬間、墜ちていた配信ドローンが、ばちりと火花を散らして再起動した。カメラのランプが、赤く灯る。途切れていた配信が、マリーの姿を映して、再開した。
配信が戻ったことを、徹はまだ知らなかった。
彼はただ、駆け寄った。列柱の陰から飛び出し、マリーのもとへ走った。
「マリー! 無事ですか!」
「ええ。ちょっと、充電が必要だっただけよ」
マリーは、大剣を消しながら、こともなげに言った。
「同じ手をもう一度使われたら面倒でしょう。少し多めに溜めてきたの」
その口調は、いつもの調子だった。むしろ、どこか得意げですらある。
「まっ、こんなもんよ。心配した?」
おちゃらけるように、マリーが首をかしげた。
その、軽い問いかけに。
徹の中で、二か月ぶんの何かが、切れた。
「――心配したんだ!」
自分でも驚くほど、大きな声が出た。
マリーの目が、丸くなる。
「当たり前でしょう! いきなり落ちて、姿も見えなくなって、連絡もつかなくて!」
「トオル……」
「連絡の一つくらい、できたでしょう!」
「……四分三十八秒よ?」
マリーが、戸惑ったように言った。
「配信が止まってから、私が戻るまで。四分三十八秒。それだけよ」
「四分三十八秒も、連絡がなかったんです!」
徹は、それが数字の問題ではないことを、うまく言葉にできなかった。
同じ四分三十八秒を、二人は、まったく違うものとして数えていた。
マリーは、しばらく徹を見つめていた。
その表情から、少しずつ、得意げな色が抜けていく。
「……ごめん」
小さな声だった。
彼女は、うまく言えていないようだった。何を謝っているのか、自分でも掴めていない顔だった。
誰かが、自分を心配している。その可能性を、彼女は、たった今まで、一度も考えたことがなかったのだ。
徹は、荒くなった息を、ゆっくり整えた。
言い過ぎた、と思った。相手は上司だ。無事だったのだから、それでいい。
「……いえ。俺こそ、すみません。大きな声を出して」
徹は、うつむいた。
「でも、よかったです」
「え?」
「おれ、マリーがいなくなるなんて、嫌ですよ」
その言葉は、考えて出したものではなかった。ただ、本当にそう思ったから、口をついて出た。
マリーの頬が、かすかに色づいた。
「え、そ、そこまで」
「はい」
「……そう」
マリーは、それ以上は言わなかった。ただ、抱えていたクッキーの包みを、ぎゅっと胸元へ引き寄せた。
そのとき。
少し離れた場所で、二人のやりとりを見ていた笑美が、ぽつりと言った。
「……お二人、お似合いですね」
徹とマリーの声が、重なった。
「「上司と部下です!」」
寸分の狂いもない、見事なユニゾンだった。
笑美は、目を丸くしたあと、ふふっと笑った。
「息、ぴったりじゃないですか」
徹とマリーは、同時にそっぽを向いた。
◇
その夜。
綾瀬茉莉は、自室のベッドで、タブレットを眺めていた。
今日の配信の、事後データが並んでいる。
同時接続数、過去最高。切り抜き動画は、配信終了から数時間で、すでに何十本も上がっていた。タイトルは、どれも似たようなものだ。『天使マリー、まさかの墜落からの復活』『演出神回』『台本だとしても鳥肌』。
コメント欄は、お祭り騒ぎだった。
『中断からの復帰、タイミング良すぎだろ』
『これ絶対仕込みでしょ、うますぎ』
『ピンチ演出のプロ』
『そんなわけあるかと思いつつ何回も見てる』
茉莉は、その数字を確認しながら、思った。
――結果的に、いい演出になったわね。
落下も、中断も、復活も。見ている側からすれば、完璧な起承転結だ。天使マリーの神話に、また一ページが加わった。エネルギーを吸われたのは油断だったが、それすら、演出として綺麗に着地した。
そう、考えようとした。
そのとき、ふいに、昼間の徹の顔が浮かんだ。
――心配したんだ!
あの、声。
二か月間、徹はいつも冷静だった。どんな現場でも、淡々と手を動かし、感情を表に出さなかった。その徹が、あんな声を出した。
茉莉の指が、止まった。
いい演出になった、という考えの続きが、出てこなかった。
喉の奥に、言葉がつかえて、そのまま降りていかない。
……あれは、演出じゃ、なかった。
少なくとも、徹にとっては。
茉莉は、そっと寝返りを打った。
ふと、恵美が持ってきたクッキーのことを思い出した。
結局、あれは徹に渡した。攻略のあと、当たり前みたいな顔をして「はい」と手渡した。
徹のファンが、徹のために焼いたものなら、徹が受け取るのが筋だ。理屈は、通っている。取り上げておいて渡すなんて、我ながら妙な話だけれど、そうするのが正しい。
なのに。
思い出すと、胸の奥がまた少しざわつく。
――なんだか、しっくりこない。
渡してよかったはずなのに。正しかったはずなのに。どうして、こんなにもやもやするのか、茉莉には分からなかった。
今夜は、分からないことばかりだった。
茉莉は、タブレットを伏せた。
胸のあたりが、妙にざわついて、落ち着かなかった。
胸元の赤い宝石のネックレスが、常夜灯の光を、弱く弾いていた。
◇
翌日。徹の教室。
朝のホームルーム前、また廊下に、笑美の姿があった。
「稲垣先輩。おはようございます」
「おう、月島。昨日はお疲れ。無事に帰れたか」
「はい。あの……昨日は、ありがとうございました」
笑美は、いつもの明るさを少し抑えて、頭を下げた。
「それと、すみませんでした」
「ん? 何が」
「マリーさんが、ずっと不機嫌だったの……たぶん、私のせいです」
「……そうなのか?」
徹には、まるで心当たりがなかった。マリーが不機嫌だったのは事実だが、それが笑美のせいだというのは、どう繋がるのか分からない。
「先輩は、気づいてないんですね」
笑美は、少し困ったように笑った。それから、まっすぐに徹を見た。
「マリーさんに、伝えてもらえますか」
「何を」
「私、もっと頑張って、一流の冒険者になります、って」
「おう。伝えとくよ」
「あと」
笑美は、一度言葉を切って、はっきりと言った。
「『負けません』って」
「負けない?」
徹は、首をかしげた。
「何にだ?」
「……ふふ。それは、マリーさんが分かってくれます」
笑美は、それだけ言うと、ぺこりと頭を下げて、廊下を駆けていった。
徹は、その背中を見送りながら、腕を組んだ。
「負けない、ねえ……何の勝負だ?」
まったく、意図が読めなかった。
その隣で、三枝誠が、額に手を当てていた。
「……おいトオル。お前、鈍いってよく言われないか」
「言われないぞ」
「言われた方がいい。……あー、こわ。修羅場のにおいがする」
「修羅場? どこに」
「どこにもないなら、それが一番こわいんだよ」
誠は、心底疲れた顔で、自分の席へ戻っていった。
徹には、やはり何のことか分からなかった。
そして、その隣の席。
綾瀬茉莉は、今日も机に突っ伏して、すやすやと眠っていた。
とても、気持ちよさそうな寝顔だった。
――ただ、徹が「マリーに伝えとくよ」と口にした、その一瞬だけ。
茉莉の眉が、ぴくり、と動いた。
だが、それも一瞬のことで。
彼女はすぐに、また安らかな寝息を立て始めた。
自分が宣戦布告を受けたことも、それを届ける相手が、すぐ隣で頭を抱えていることも、綾瀬茉莉は何ひとつ知らないまま。
今日も、気持ちよさそうに、眠っていた。




