第23話 無能力サポート、落ちた天使を置いていけない
行政端末から、警告音が鳴り響いた。
徹はタブレットを確認する。表示された内容に、血の気が引いた。
「……第七層の個体が、上がってきてます」
「第七層?」
笑美が、きょとんとした顔をする。
「アーマーグリフォン。第七層の最強モンスターです。それが、この第五層まで降りてきてる」
徹の脳裏に、第一話の光景がよぎった。深層で討伐中だったドラゴンロードが逃走し、浅層まで降りてきた、あの日。
ダンジョンでは、こういうことが起きる。どれだけ完璧に線を引いても、想定の外側から、それはやってくる。
石畳の向こう、崩れた列柱の奥から、それは姿を現した。
鷲の頭部と、獅子の胴。全身を、黒く硬質化した装甲が覆っている。体高は、優に三メートルを超えていた。
徹は、記憶を探った。アーマーグリフォン。以前、勇者マイトの攻略配信で見たことがある。マイトはこの怪物を、パーティーの連携で仕留めていた。あのとき、確か――。
「マリー、腹です!」
徹は叫んだ。
「あいつの装甲、腹だけ硬質化されてません! そこが弱点です! マイトの配信で――」
「……ああ、そう」
マリーから返ってきたのは、冷たい答えだった。
徹は、その反応の意味が分からなかった。
「マリー?」
「いいわ。真正面から行く」
「え?」
「あんなのに手間取る私とヴァリアントじゃない。配信映えのために、正面から斬る」
マリーがヴァリアントを構えた。徹の指示を、明確に無視していた。
「待ってください、正面は装甲が――!」
だが、マリーはもう跳んでいた。
白銀の軌跡が、まっすぐグリフォンへ向かう。青白い光をまとった大剣が、装甲の正面を捉え――その瞬間、グリフォンの全身が、鈍く光った。
徹は、その光に見覚えがなかった。
マリーのヴァリアントを包んでいた青白いエネルギーが、急速に薄れていく。まるで、吸い取られるように。
大剣の刀身が、根元から先へ向かって、青白い光を失っていく。光が消えたそこには、もう刃はなかった。柄とホーリーシンボルだけが、彼女の手と背に残っている。
「……うそ」
アーマーグリフォンの能力。相手のエネルギーを吸収する。
放出されていたヴァリアントの魔素が、刀身も、飛行を支える力も、まとめて持っていかれていた。
「……油断したわ」
空中でバランスを崩したマリーの体が、支えを失う。
白銀の体が、石畳へ向かって落ちていく。列柱の陰、視界の届かない奥へ。
「マリー!」
徹の叫びは、崩落した石柱の反響に飲まれた。
『トオ……戻り……ない……』
イヤーカフに雑音交じりでマリーの声が聞こえる。
その直後、イヤーカフと配信ドローンが、ばちりと火花を散らした。グリフォンの吸収の余波を受けたのだ。
配信の映像が、途切れた。
◇
「嘘だろ……マリーが、やられた?」
徹は、呆然と立ち尽くした。
最強の天使が、落ちた。あの、ドラゴンロードを一撃で葬った天使が。
だが、呆けている時間は、一秒もなかった。
アーマーグリフォンが、ゆっくりと首を巡らせる。次の獲物を探している。その視線が、徹と笑美を捉えた。
徹は、まず腰のポーチから緊急信号の端末を引き抜き、迷わず発報した。
だが、頭のどこかで、冷静な自分が計算していた。救助隊の到着は、早くても三十分後。
助けは呼んだ。だが、間に合わない。
なら、それまで自分たちで持たせるしかない。
「月島、聞いてくれ」
徹は、崩れた列柱の陰へ笑美を引き込み、早口で言った。
「君は、来た道を戻って、第五層のゲートまで下がれ。あそこまで行けば、安全だ」
「え、先輩は!」
「俺は、マリーを探す。あの人が落ちたのは、あっちの奥だ」
徹は、グリフォンの向こう、列柱がいくつも折り重なった一角を指した。マリーが墜ちていったあたりだ。
「そんな……先輩も一緒に逃げましょう!」
「マリーを置いていけない。俺は、あの人の専属サポートだから」
徹は、言い切った。
「頼む。君が戻ってくれた方が、俺は動きやすい。守るものが一つ減る」
笑美は、唇を噛んだ。それから、こくりと頷いた。
「……分かりました。でも、無茶だけはしないでください」
「する。でも、最小限にする」
軽口を返す余裕は、なかった。それでも徹は、そう言った。
笑美が、身をかがめて来た道を戻っていく。グリフォンの注意が、まだこちらへ向いていないのを確かめて、徹は反対側へ動き出した。
◇
列柱の影から影へ。
徹は、身をかがめて移動した。
石の陰に張りつき、グリフォンの視線が逸れた一瞬で、次の柱へ走る。イベント警備のバイトで覚えた、人混みの縫い方と同じだ。相手の視線の死角を読んで、そこだけを通る。
マリーが墜ちた一角は、すぐそこだった。あと、柱を二つ越えれば。
徹は、次の柱へ足を踏み出した。
その瞬間、砕けた石畳の欠片を、踏んだ。
乾いた音が、思いのほか大きく響いた。
アーマーグリフォンの頭が、ぐるりとこちらを向いた。
目が、合った。
「……最悪だ」
徹は、走った。
背後で、巨体が地を蹴る音がする。速い。人間の足で、逃げ切れる相手ではない。
徹は、バックパックへ手を突っ込んだ。掴んだのは、予備バッテリー。振り向きざま、思い切り横へ投げる。
バッテリーが石畳を跳ねた瞬間、グリフォンの頭が、そちらへ向いた。装甲の隙間から漏れる青白い光――マリーから吸ったエネルギー。あの怪物は、電力を帯びたものに、反応する。
「そうだ、そっちだ……!」
徹は、走りながら次々と投げた。ライト。もう一つのバッテリー。発煙筒。そのたびにグリフォンは気を取られ、進路を乱す。その隙に、徹は距離を稼いだ。
だが、道具は無限ではない。
バッテリーが尽きた。ライトも投げ切った。ポーチの中を探る手が、空を掴む。
あと一つ。何か、大きなエネルギーの塊が。
徹の視線が、脇に抱えたケースへ落ちた。
今日、この階層で回収した、素材のケース。岩人形の核。魔素を帯びた、金になる素材だ。
一円を惜しむ男が、いつも大事に持ち帰る、その日の成果。
徹は、ケースを掴んだ。
そして――何も言わず、グリフォンの足元へ、思い切り放り投げた。
ケースが割れ、魔素を帯びた素材が石畳に散らばる。アーマーグリフォンが、獣じみた唸りをあげて、そちらへ突進した。エネルギーの塊に、完全に気を取られている。
その隙に、徹は柱の陰へ転がり込んだ。息が上がっている。
だが、それも、長くはもたなかった。
撒き散らした素材を、グリフォンが装甲の光で吸い尽くす。エネルギーを補給し終えた怪物は、再び首を巡らせ――柱の陰の徹を、はっきりと捉えた。
もう、投げるものがない。
巨体が、突進してくる。
「稲垣先輩ッ!」
声が、響いた。
アーマーグリフォンの後方、ゲートまで戻ったはずの笑美が、そこにいた。
タクトを構え、その瞳が、黄金色に光っている。
「雷撃招来ッ!」
タクトの先から、黄色い稲妻が迸った。
全力の一撃だった。溜められるだけ溜めた、笑美の最大出力。
稲妻が、グリフォンの側面を捉える。装甲を焦がし、巨体が、びくりと痙攣した。
突進が、止まる。
――だが。
それだけだった。
グリフォンは、一瞬怯んだだけで、すぐに体勢を立て直した。装甲の下から、平然と首をもたげる。致命傷には、程遠い。格が、違いすぎた。
「そんな……効いて、ない……」
笑美の声が、震えた。全力を出し切って、それでも足りない。次を撃つ力は、もう残っていない。
「月島、なんで戻ってきた……!」
「だって……やっぱり先輩を、一人にはできなくて……!」
グリフォンが、徹の方へ向き直る。
もう、打てる手がない。道具は尽き、笑美の雷も効果がない。救助は間に合わない。
それでも徹は、諦めていなかった。頭の隅で、まだ何かを探していた。何か、何か使えるものは――。
そのときだった。
徹の背後――マリーが墜ちていった、列柱の奥から。
白い光が、差した。




