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第22話 無能力サポート、天使が不機嫌な理由に気づかない




 その日の夕方、第三ゲート前。


 マリーは、不機嫌だった。


 徹には、その理由が分からなかった。攻略前の彼女は、いつもなら装備の最終確認をしながら、退屈そうに欠伸をしている。だが今日は、腕を組み、どこか一点を睨むように立っている。


「マリー、体調でも悪いのですか」


「悪くないわ」


「装備、確認しますか」


「もう済んだわ」


 取りつく島がない。徹は首をひねった。


 こういうとき、原因は現場にないことが多い。だが、思い当たる節がなかった。先日の配信も好調だったし、控除の話でも機嫌はよかったはずだ。


 考えあぐねていると、後ろから明るい声が飛んできた。


「お疲れさまです! 今日はよろしくお願いします!」


「本物の天使マリー様だ……やっぱり、すっごい美人、綺麗……今日はありがとうございます、すごく頑張ります!」


「……ええ、よろしく」


 笑美だった。制服から動きやすい私服に着替え、ハーフパンツ姿でやってくる。手には、小さな包みを持っていた。


 徹は昨夜のうちにマリーへ同行の許可を取っていた。マリーは少し考えながら「控除のためなら」と頷いた。


「あの、稲垣先輩。これ」


 笑美が包みを差し出した。


「あのとき助けてもらったお礼です! 手作りのクッキーなんですけど!」


「え、わざわざ悪いよ」


「受け取ってください! すごく頑張って焼いたんです!」


 徹が手を伸ばしかけた、そのときだった。


 すっ、と白い影が割り込んだ。


 マリーである。


 徹と笑美の間に、音もなく体を滑り込ませ、笑美を正面から見据えた。


「トオルは」


「え?」


「トオルは、私の専属サポートなんだけど」


 笑美が、きょとんとする。


「私の、専属サポート」


「……はい?」


「私の、なんだけど」


 三度、同じ言葉を繰り返す。声は静かだが、有無を言わせない響きがあった。


 笑美は、目を白黒させたあと、包みをそっとマリーへ差し出した。


「あ、はい。どうぞ」


「ええ」


 マリーは当然のようにクッキーを受け取り、大事そうに抱えた。


 徹は、その一部始終を眺めていた。


 ――先日、マリーは言っていた。誰がどんな環境で作ったか分からない手作りは、受け取るなと。徹に、そう釘を刺したのはマリー自身だ。


 なのに、今、彼女は自分でそのルールを破って、笑美のクッキーを奪った。


「マリー、そのクッキーは」


「私が預かるわ」


「いやそれ、以前の話だと」


「私が、預かるの」


 もう一度、静かに念を押される。徹は口を閉じた。


 何かがおかしい。二人の間に、名前のつかない不穏な空気が流れている。だが、それが何なのか、徹にはどうしても掴めなかった。


「……とりあえず、攻略に入りましょうか」


「そうね」


「よろしくお願いします!」


 マリーは、クッキーを抱えたまま、先に立って歩き出した。


 その背中を追いながら、徹は小さく息を吐いた。理由の分からない不機嫌ほど、対処に困るものはない。


     ◇


「先輩、荷物、多くないですか?」


 ゲートをくぐる直前、笑美が徹のバックパックを見て目を丸くした。


 徹の背には、彼自身の身長ほどもありそうな大きなバックパックが載っている。加えて、腰にはポーチがいくつも下がり、両手にもケースを提げていた。


「初心者同行だからな。念のためだ」


「念のためって……予備バッテリー、四つもいります?」


「三つ壊れる前提だ」


「発煙筒まで」


「はぐれたとき用」


「ライトが、五個」


「一個は必ず点かなくなる」


 笑美は、荷物と徹の顔を交互に見た。


「……先輩、遠足に来たお母さんみたいですね」


「褒めてないだろ、それ」


「褒めてます! すごいです! こんなに準備する人、初めて見ました!」


「その『すごい』は、たぶん呆れてるやつだ」


「呆れてないです! 本当にすごいと思って!」


 笑美は、何にでも「すごい」をつける癖があるらしい。悪気はまるでなく、ただ純粋に感心している顔だ。


 徹は、こういう子が苦手ではなかった。裏表がなくて、話していて気が楽だ。


「先輩の準備、私も真似したいです。何を持っていくか、どう考えてるんですか?」


「基本は、最悪を想定するだけだよ。何が壊れて、何がなくなって、誰がはぐれるか。それを先に考えて、一個ずつ潰していく」


「うわ、すごい……メモしていいですか?」


「別にいいけど」


 笑美が本当にスマホを取り出してメモを始めるので、徹は少し面食らった。


 その様子を、少し前を歩くマリーが、振り返りもせずに聞いていた。


 その手が、抱えたクッキーの包みを、ぎゅっと握り直したことには、徹は気づかなかった。


     ◇


 第五層は、苔むした石畳の広がる、遺跡型の階層だった。


 笑美の適正階層は、行政の格付けで第四層。徹は、控除のポイントが最も高くなる「一つ上まで」の範囲で、第五層までと同行申請を出していた。それ以上は連れて行かない。危険だし、そもそも減点対象になる。線引きは、優しさであると同時に、制度上の最適解でもあった。


「今日は、この階層の見学だけだ。無理はしない。何かあったら、まず俺の指示を待つこと」


「はい!」


 攻略が始まると、マリーの動きは、いつもどおり圧倒的だった。


 石畳の陰から現れた岩人形の群れを、ヴァリアントの一閃で薙ぎ払う。だが。


「マリー、やりすぎです」


 徹は、砕け散った岩の残骸を見て嘆いた。素材が、粉になっている。


「素材が残ってません。出力、絞れませんでしたか」


「……分かってるわよ」


 マリーの声は、どこか上の空だった。


 普段の彼女は、素材の保全にも気を配る。徹に「やりすぎ」と言われる前に、自分で出力を調整する。それが今日は、明らかに雑だった。


「本当にすごいですね……」


 その隣で、笑美が感嘆の声をあげていた。


「岩人形って、私たちだと三人がかりでも苦戦するのに。一撃なんて」


「マリーは特別だからな。参考にはならないかもしれない」


「でも、先輩の指示も的確です! さっき、退路を先に確保してから前へ出ろって。あれ、すごく勉強になります!」


「基本だよ、そんなの」


「基本を徹底できるのが、すごいんです!」


 笑美の言葉に、徹は照れて頭をかいた。


 その、少し前。


 マリーが、ぴたりと足を止めた。




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