第19話 無能力サポート、最強の天使の「友達」になる
行き場を失った二人は、とりあえず雑貨屋へ入った。
「何か、欲しいものはありますか」
「ないわ」
「即答ですね」
「ないものは、ないもの」
マリーは店内を一周し、本当に何も手に取らなかった。
やがて、棚の前で足を止める。
白いマグカップだった。持ち手のところに、小さな翼の模様が入っている。
「……」
「気になりますか」
「これ、経費になる?」
「難しいかもしれません」
「じゃあ要らない」
「マリー」
徹は、その背中に声をかけた。
「経費にならなくても、欲しいなら買ってもいいんですよ」
マリーが振り返った。
何を言われたのか分からない、という顔をしていた。
「……どういう意味?」
「そのままの意味です」
徹は、うまく説明できる自信がなかった。
だから、別の言い方をした。
「マリー、いつも紙コップですよね」
「経費で落ちる方がいいでしょう」
「落ちますけど、毎回捨ててます」
「……そうね」
「俺はタンブラーを使ってますけど、マリーはそういうのがないじゃないですか」
「ずっと使っているのを、俺は一つも見たことないんですよ」
マリーは、棚のマグカップへ視線を戻した。
長い時間、見ていた。
結局、そのときは買わなかった。
◇
その日いちばんの難所は、すぐ隣にあった。
同じ通路に並んだ、系列のアパレルショップである。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか」
「……」
マリーが黙った。
「どういったものがお好みでしょう」
「……」
マリーが、助けを求めるように徹を見た。
国内最強の探索者が、ドラゴンロードを前にしても揺らがない目で、明確に助けを求めていた。
「動きやすくて、洗濯機で洗えて、あまり目立たないものを」
徹が答えると、店員は笑顔で頷いた。
「彼女さん、お任せですね」
二人が同時に止まった。
「いえ」
「違うわ」
「上司です」
「部下よ」
店員は笑顔のまま無言となる。
それから「かしこまりました」と言って、何も追及せずに去っていった。
その背中を見送りながら、マリーが小さく言った。
「……訂正が早かったわね」
「そちらもです」
マリーが、ショップの中を歩き始めた。
「私、自分が何を好きなのか、分からないわ」
マリーは、ハンガーの列を見ながら言った。
「装備なら選べる。重量と耐性と可動域で決まるもの。でも、これは何で決めればいいの」
「好きかどうかで決めます」
「基準がないじゃない」
「ないですね」
「不便な世界ね」
「そうですかね」
結局、店員が持ってきたものを片っ端から試すことになった。
試着室のカーテンが開くたび、徹は正直に評価した。
「それは肩が余ってます」
「これは?」
「色が装備に寄りすぎです。休日感がないです」
「これ」
「悪くないですが、たぶん洗濯で縮みます」
「あなた、感想が本当にサポートね」
「サポートです」
感想のたびに、横に立つ店員の顔が引き攣る気がしたが、気にしない。
四着目のカーテンが開いた。
やわらかい生成りのシャツと、濃い色のスカート。
装備でもなく、コートでもなく、白でもない。
白銀の髪が、いつもより静かに見えた。
「……どう?」
徹は、口を開いたまま、止まる。
少し間を置いて、口元を手で押さえながら言葉が出た。
「……似合ってます」
徹の顔が赤い。
その様子に、マリーも固まった。
「……いま、なんて」
「似合ってます」
「ふ、ふ~ん。二回言うんだ」
「業務連絡です」
「業務連絡じゃないでしょう」
「業務連絡です」
お互いに顔を赤らめながら、言葉をやり取りする。
それからマリーはカーテンを半分閉め、顔だけ出した状態で黙り込んだ。
キャップは試着のときに外している。
だから、顔が赤いのが、はっきり見えた。
「……トオル」
「はい」
「これ、経費になる?」
さっきと同じ質問だった。
徹は、少し考えてから答えた。
「なりません」
「……そう」
マリーは、しばらく動かなかった。
それから、ふと思い出したかのように目を丸くさせる。
「トオル。写真は」
「あ」
徹も思い出した。カフェやゲーム、映画、ラーメンと撮ってきたが、雑貨屋やショップに入ってから一枚も撮っていない。
「そのままでお願いします。着替える前に」
「ここでも撮るの?」
「ここが、いちばん休日っぽいので」
試着室の前に、小さな丸テーブルがあった。徹はマリーをそこへ座らせ、少し離れて構図を見た。
何かが足りなかった。
「……小物があった方が、映えます」
徹は隣の雑貨屋へ引き返し、店員に断って、あのマグカップを借りてきた。
白い、翼の模様の入ったマグカップ。
丸テーブルの上へ、そっと置く。
「これで」
「……勝手に決めるのね」
「サポートなので」
勝手ね、と言いながらもマリーは嫌そうな感じを見せずに、ただ俯くばかりだった。
徹がスマホで写真を撮ろうとする。
「トオル」
マリーが声をかけた。
「はい」
「……あなたも、一緒に撮られなさい」
「なぜ」
「業務命令よ。上司ばかりこんな目に合わせて」
「あなたも同じ目にあいなさい」
徹は突然の提案にすっかり混乱してしまった。
そうしていると、ずっと横で様子を見ていた店員が、徹からスマホを奪うように預かる。
「えっ」
「は~い、それではお撮りしますね~。部下君も早く座ってくださいね~」
店員は笑顔だったが、なぜか凄味が出ていて、徹は従うしかなかった。
スマホが、二人へ向けられた。
「はい、撮りますね」
「……やっぱり俺は」
シャッターボタンが押される瞬間、徹は慌てて画角から外れようとする。
その慌てた様子に、マリーは小さく笑う。
その瞬間、シャッター音がなった。店員が、ちッと舌打ちするが、気にしない。
徹はすぐにスマホを受け取り、テーブルから離れる。
それから店を出るまで、お互いになんとなく気恥しくなって、言葉も出なかった。
◇
「ありがとうございました~。次の来店を心からお待ち申し上げます~」
店員の明るい声が響く。『心から』という部分が一層声が張っていたように思う。
マリーは元のパーカーとキャップに着替えており、その手には紙袋が握られていた。
「なんか、疲れなかったけど疲れたわね」
「分かります」
そんな会話をしながら店を出たところで、それは起きた。
「あ」
小さな声だった。
六歳くらいの女の子が、母親の手を引いて立ち止まっている。
まっすぐにマリーを見ていた。キャップも、眼鏡も、まるで意味をなさなかった。
「マリー様だ!」
母親が慌てて口を押さえようとしたが、間に合わなかった。
マリーの表情が、切り替わった。
配信の顔だ。徹はそれを知っている。柔らかく、完璧で、誰にでも等しく向けられる笑顔。
マリーは眼鏡をずらしながら、声をかけた。
「こんにちは」
「こんにちは!」
女の子は、目を輝かせて聞いた。
「今日も、お仕事?」
徹は、答えようとした。
今日はオフです、と。
だが、その言葉が出てこなかった。
オフ。休み。休日。
この一週間、二人がかりで、まだ一度も定義できていない言葉だった。
迷ったのは、たぶん一秒もなかったはずだ。
その一秒に、マリーが答えた。
「今日は、お友達と遊んでいるの」
徹の呼吸が、止まった。
女の子は、ぱっと顔を輝かせた。
「マリー様、友達いたんだ!」
一秒で、場が凍る。
その空気に、母親が割り込んできた。
「ユリちゃん!」
母親が真っ青になって、深々と頭を下げた。
「す、すみません、本当にすみません……!」
「いいえ」
マリーは、完璧な笑顔のまま答えた。
「気をつけて帰ってね」
「はーい!」
女の子は手を振り、母親に引かれて去っていった。
二人が見えなくなるまで、マリーは笑顔を崩さなかった。
見えなくなってから、崩した。
「……」
「……」
どちらも、しばらく動かなかった。
「トオル」
「はい」
「いまのは」
「聞かなかったことにします」
「そうして」
「はい」
マリーが歩き出した。
徹も歩き出した。
友達じゃなくて上司と部下ですけどね、と言おうとして、言わなかった。
なんとなく、言っちゃダメだなと思った。




