第18話 無能力サポート、最強の天使と休日を攻略する
翌日の昼休み。
徹はノートを開き、ペンを構えた。
未知の階層へ挑む前にやることは、いつも同じだ。情報を集める。
「マコト。休日って、何してる?」
パンを咥えていた三枝誠が、変な顔をした。
「なんだよ急に」
「業務だ」
「休日が業務なわけないだろ」
「いいから」
「うーん」
誠は指を折った。
「昼まで寝る。起きて飯食う。ゲームする。友達と出かける。映画とか、カラオケとか。腹減ったらラーメン食う。帰って寝る」
「……普通だな」
「普通だよ。普通の高校生だからな」
「普通の高校生か」
徹は、自分の手元に視線を落とした。
最近はずっと、休日という言葉は「シフトが入っていない日」と同じ意味だった。
そういう日は、たいてい別のバイトの面接に行っていた。
「トオル、お前まさか休みの日に何すればいいか分からんとか言わないよな」
「言わない」
「間があったぞ」
「気のせいだ」
誠が笑った。
その隣の席で。
綾瀬茉莉が、机に突っ伏したまま、じっと動かずにいた。
(昼まで寝る)
(起きて、ご飯を食べる)
(ゲーム。友達と出かける。映画。カラオケ。ラーメン)
寝たふりのまま、必死に暗記していた。
(……友達)
そこで、暗記が止まった。
(友達は、飛ばそう)
◇
日曜日。午前九時。
徹はギョッとした。
第三ゲート前に、白いコート姿の、つまりいつもどおりのマリーが立っていた。
「おはよう」
「おはようございます。まず、言わせてください」
「どうぞ」
「目立ちすぎます」
二人は周囲を見た。
ゲート前の広場にいる人間の、ほぼ全員がこちらを見ていた。
スマホを構えている者が十数人。走ってくる小学生が三人。
「……そうね」
「潜伏を提案します」
「隠密行動ね」
「言い方はなんでもいいです」
徹はバッグから、昨日買ってきた装備を取り出した。
黒いキャップ。度の入っていない眼鏡。それから、地味な色のパーカー。
「マリー。コート、消せますか」
「消せるけど」
マリーの指が、首元の赤い宝石に触れた。
「それから、このパーカーを着てください」
「……分かったわ」
マリーはしばらくパーカーを見つめ、それから、素直に受け取った。
小さな駆動音とともに、白いコートが青白い粒子へ解けて消える。
残ったのは、細身の少女だった。
白銀のコートの下は、やはり白のインナー。
その上から、サイズの合っていないパーカー。キャップ。眼鏡。
白銀の髪だけが、そのままだった。
徹は、しばらく黙った。
「……どう?」
「気づかれない……かな?」
「なによ、自信ないの」
「白銀の髪の人、ダンジョン区には普通にいますし。大丈夫かと」
でも、と徹は言いかけてやめた。
マリーみたいな綺麗な女性は、天使マリーでなくても目を引くだろうとは言えなかった。
「そう」
マリーはキャップのつばを引き下げた。
その下で、耳が少しだけ赤くなっていた。
「……私、コートを脱いでこういうところ歩くの、初めてかもしれない」
「そうなんですか」
「そうなの」
徹は、なぜか返事に失敗した。
「……行きましょう」
「ええ」
徹はタブレットを掲げた。
画面には、見慣れた書式が並んでいる。
【本日の目標】
【想定コスト】
【退路確認】
【緊急時の連絡先】
マリーが覗き込み、深く頷いた。
「完璧ね」
「休日にこれを作ってる時点で、たぶん間違ってます」
「そう?」
「そうです」
言いながら、徹は消さなかった。
これがないと、自分が動けないことを知っていた。
誰にも気づかれないまま、二人は歩き続けている。
マリーが口を開いた。
「トオル。本日の予定だけど」
「予定立ててきたんですか」
「当然でしょう。攻略よ」
マリーは前を向いたまま、指を一本立てた。
「まず、昼まで寝るわ」
徹は足を止めた。
「いま、九時です」
「……そういえばそうね。取り下げましょう」
「その予定、どうして立てたんですか」
「独自の情報網からの仕入れ」
「独自……」
「次へ進みましょう」
「もう次に行くんですね」
◇
最初の目的地は、通路沿いのカフェだった。
窓際の席から、階層の街並みが見える。マンション。学校。行政の出張所。そして遠くに、ゲートの光。
そんな中に、徹とマリーの姿があった。
「トオル」
「はい」
「これ、何キロカロリー?」
「休日にそれを聞かないでください」
運ばれてきたのは、パンケーキだった。
三段重ね。バター。シロップ。生クリーム。
マリーは、フォークを持ったまま動かなかった。
「……大きいわ」
「大きいですね」
「攻略に持っていける形状じゃない」
「持っていかないでください」
マリーは慎重に一切れを切り分け、口へ運んだ。
そして、目を丸くした。
「マリー?」
「……美味しい」
その顔を、徹は初めて見た気がした。
配信で見せる完璧な笑顔ではない。
ファンに向ける、練習された表情でもない。
ただ、美味しいものを食べた人間の顔だった。
「初めてですか、パンケーキ」
「初めてではないわ。けど」
マリーはもう一切れ、口に運ぶ。
そして幸せそうな顔で、言葉を続けた。
「こんなに美味しいパンケーキは、初めてかも」
「そうですか、それは良かった」
徹は、まだ湯気立つコーヒーに口をつけた。
「トオル。次の項目は」
「まだあるんですか」
「ゲームよ」
◇
通路沿いのゲームセンターは、日曜の昼でも空いていた。
マリーが選んだのは、太鼓を叩く筐体だった。
「これ、知ってるわ。ネットで見たことがある」
「結構、動画配信で取り上げられていますよね」
曲が始まる。マリーは撥を握り、最初の一打を入れた。
まるで光のような早さと力を持った一打。
鈍い音がした。判定は出なかった。
「……当たったわよ」
「強すぎます。センサーが処理しきれてません」
「とにかく強く早く叩けば点が入るのでは」
「入りません」
二打目。三打目。全部判定なし。
マリーの眉間に皺が寄っていく。国内最強の探索者が、太鼓に負けていた。
「マリー」
「何よ」
「力と早さじゃなく、タイミングです」
マリーの手が、止まった。
徹は、自分が現場で毎回言っている台詞だと気づいた。
「……もう一度」
四打目。音が変わった。
画面に、初めて判定が出る。
「出たわ!」
「出ましたね」
「トオル、見て。出たわ」
「見てます」
結果は、下から二番目の評価だった。
マリーは画面をしばらく眺め、それから満足そうに頷いた。
「悪くないわね」
徹は何も言わなかった。
この人にも苦手なものがあるんだなと思い、
(なんか、従妹を見ている気分だな)
と、生暖かく笑顔で見守ることとした。
◇
次の項目は、映画だった。
「カラオケという選択肢もあるわ」
「あれは複数人向けです」
「二人では駄目なの」
「駄目じゃないですけど、駄目です」
結局、映画館へ入った。
徹は正直なところ、身構えていた。
女子と映画。ラブロマンスだった場合、隣で二時間どう座っていればいいのか分からない。
そんな心配を杞憂に、マリーが選んだのはアクションだった。
「そっちですか」
「他に何があるの」
上映が始まって十分で、隣から小声が聞こえ始めた。
「あの構えでは踏み込めないわ」
「静かに」
「退路がないでしょう。あれは死ぬ」
「静かに」
「ほらやっぱり。プロ失格ね」
「静かに」
徹は三回注意した。
ところが中盤に差しかかったあたりで、急に静かになった。
徹は横を見た。
マリーは画面をまっすぐ見たまま、動かなかった。
その顔は、暗い館内なのに真っ赤なのが、すぐに分かるほどだった。
◇
「次は、ラーメンよ」
「さっきパンケーキを食べましたよね」
「予定にあるもの」
押し切られて、通路沿いの店に入った。
運ばれてきたニンニク野菜油マシマシラーメンを、マリーはしばらく観察した。
「トオル。これ、どこから手をつけるの」
「好きなところからです」
「攻略順っていないの」
「決まってません」
「……不便な世界ね」
それでも、彼女は全部食べた。
最後にスープを一口飲んで、小さく息を吐く。
「量が多いわ」
「多いですね」
「でも、全部食べたわ」
空になった丼を見る。
こんな小さな体に、どうしてこの量が入るのか。
徹は不思議に思った。
店を出たところで、徹は訊いた。
「次はどこ行きますか?」
「……もうないわ」
マリーが立ち止まった。
「以上よ。予定は、ここまで」
徹は時計を見た。まだ十四時前だった。
休日は、まだ半分も終わっていない。




