第15話 無能力サポート、公権力に見せ場を封印される
地上へ戻ったのは、二十二時三十分だった。
救急隊が少年を担架へ乗せていく。脱水と捻挫。命に別状はない。
徹は行政タブレットの時刻表示を見つめた。三十分の超過である。
「マリーさん、稲垣くん」
竹内が歩み寄ってきた。
「本日はご協力、ありがとうございました。おかげで最悪の結果を避けられました」
「いえ。少年が無事でよかったです」
「それで、ひとつご相談が。第七層以降の収録映像ですが、後日公開のほうも、見送っていただけませんか」
マリーが腕を組み答える。
「少年の顔と氏名は、編集で伏せます。ご家族の同意も、これから取るつもりですけれど」
「そちらではないのです」
竹内は眼鏡を押し上げた。
「伏せていただきたいのは、少年ではありません。稲垣くんの労働時間です」
徹は自分を指差した。
「俺ですか」
「警察の依頼を受けた十七歳が、二十二時を過ぎて現場に立っていた。その記録が全国へ流れますと……その、いろいろと、まずいのです」
「捜索協力への感謝は正式に通知しますし、行政記録にも残します。ただ、公表はできません」
つまり、本日最大の見せ場である第七層の戦闘と救出は、永久に世へ出ない。
徹は静かに配信データを確認した。
ライブを切る直前の同時接続、四十七万人。画面を閉じずに待っている視聴者が、いまも三万人残っている。
「……収益が」
「トオル」
「後半、たぶん過去最高だったんですよ。切り抜きも、スポンサー枠も、全部……」
「トオル」
マリーは徹の肩へ手を置き、実に立派な顔で、こう言った。
「市民の義務を、果たしたまでよ……」
声が震えていた。
「震えてますよ」
「震えていないわ」
「必ず公開するって、四十七万人に約束しましたよね」
「言わないで」
「胸に手まで当ててましたよね」
「言わないで」
二人はしばらく、並んで俯いていた。
そこへ、担架の上から声がかかった。
「あの……!」
少年だった。
「ありがとうございました。俺、天使マリーみたいになりたくて、それで勝手に潜って……ごめんなさい」
マリーは担架のそばへ膝をついた。その表情が、配信で見せるあの完璧な笑顔へ切り替わる。
「謝る相手は私じゃないわ。まずはご家族に」
「……はい」
「それと、装備の確認と、退路の確認と、行政への事前申請。全部、面倒くさいでしょう」
「はい……」
「それを全部やるのが、探索者の仕事よ」
マリーは少年の頭へ、そっと手を置く。
「まだまだ、ダンジョン攻略はこれからよ。頑張ってね」
救急車のドアが閉まる。その光景を、徹は少し離れた場所から見ていた。
(……いい上司で、いい先輩だよなあ)
深夜二時にメッセージを送ってこないなら、完璧なのだが。
「では、我々はこれで」
竹内が敬礼し、堀田が慌てて頭を下げる。
最後に、依田が振り返った。
「今日はあざーした。また会いましょう」
人懐こい笑顔だった。
三人の背が、夜の街へ消えていく。マリーは、その方向をじっと見ていた。
「どうかしましたか?」
「……いえ」
ラージモスキートが空中で止まった、あの一瞬。
あれは風でも、地形でも、ましてや偶然でもなかった。
「何でもないわ。帰りましょう」
マリーは首元の赤い宝石へ触れ、それから歩き出した。
◇
その夜。綾瀬茉莉の部屋。
黒いジャージ。よれた靴下。飲みかけのゼリー飲料。
茉莉は布団の中で、検索欄に文字を打ち込んでいた。
『深夜業 禁止 十八歳未満』
『二十二時以降 働かせた どうなる』
解説サイトが並ぶ。難しい漢字が並ぶ。
目が滑るたびに読み直し、三時間かけて、彼女はひとつの単語へ辿り着いた。
『罰せられるのは、使用者です』
「……使用者」
使用者。つまり、働かせている側。
トオルへ仕事を頼んでいるのは。
深夜二時に連絡を送っていたのは。
「……私だ」
布団の中で、茉莉はゆっくりと丸くなった。
「わ、私だ……!」
◇
翌朝。
「おい、専属くん」
「その呼び方をやめろ」
登校した徹の机を、誠たちが取り囲んでいる。全員、スマホを構えていた。
「昨日の配信、後日公開するって言ってたよな。いつ出るんだ?」
「……未定だ」
「未定!?」
「編集に時間がかかるんだよ」
「マリー様、胸に手まで当てて約束してたぞ」
「……大きめの編集作業なんだ」
「ネットじゃもう『幻の第七層編』って呼ばれてんぞ。だいたい、警察と一緒に何やってたんだよ」
「守秘義務がある」
「かっけえ! じゃなくて!」
誠が食い下がる。
「天使マリーが極秘任務を受けてるって噂になってるんだぞ」
「噂は噂だろ」
「本当のところは?」
徹は答えられなかった。
真実は、十七歳の自分が二十二時過ぎて現場に立っていたので、いちばん盛り上がった映像が永久にお蔵入りになった、というものである。
言えるわけがなかった。
「なあ、トオル。頼む。ちょっとだけ」
「……なあマコト。俺が昨日の夕飯に何を食ったと思う?」
「話を逸らすなよ!」
教室が笑いに包まれる。
その隣の席で。
綾瀬茉莉は、いつものとおり机に突っ伏していた。
いつもと違うのは、額に汗を浮かべ、体がガタガタ揺れていたことだ。
(バレないで)
(お願い、バレないで、バレないで……)
(私が使用者だってこと、絶対にバレないで……!)
「綾瀬、大丈夫か? 揺れてるぞ」
徹の声がした。
茉莉の肩が、びくりと跳ねる。
そして動きが止まった。
「……寝てる」
「今、喋ったよな」
「……寝言」
茉莉は顔を上げなかった。
髪の隙間から見える耳が、真っ赤になっている。
始業のチャイムが鳴った。
こうして、天使と専属サポートの職場は、本日も違法性を疑われながら回っていくのだった。




