第14話 無能力サポート、蚊取り線香で最強の天使を支える
第七層は湿っていた。高い岩壁の間を細い水路が流れ、空気は重く、生ぬるい。
徹はタブレットの環境ログを開いた。
「湿度九十二パーセント。魔素濃度、平常値。……嫌な数字ですね」
「何が嫌なの?」
「虫が湧く条件が揃ってます」
そこまで言って、徹はドローンを見上げた。赤いランプ。ライブ配信中の印だ。
「マリーさん、一つお願いが」
竹内がマリーに声をかける。
「何でしょう?」
「ここからは、ライブを切って頂きたいのですが」
「理由を聞かせて」
「この先で少年を発見したら、顔も、衰弱した姿も、全部そのまま生放送に乗ります」
「……それはマズイわね」
徹は話を聞き、タブレットへ行政の配信ガイドラインを検索、表示した。
「少年の映像は、生配信では使えません。編集して、保護者の同意も取ってからです」
「……そうね。切りましょう」
マリーはドローンへ向き直った。
「皆さん。この先は、保護対象の少年が映る可能性があります。ライブはここまで」
『えー!?』
『いちばんいいとこで!』
『いや、正しい』
『マリー様、そういうとこですよ』
『続き見たい』
「録画は続けます。編集と確認が済み次第、後日、必ず公開します」
マリーは胸へ手を当て、はっきりと言った。
「約束するわ」
『待ってる』
『絶対見る』
『幻の第七層編』
赤いランプが消え、白いランプが灯る。記録用収録だ。
「これで、心置きなく捜せます」
「ええ」
水源に沿って進むこと十分。岩棚の裂け目にレンタル装備の色を見つけたのは、堀田だった。
「い、いました! あそこ!」
少年は狭い隙間に膝を抱えて座り込んでいた。右足首が腫れ、唇は乾き、目の焦点が合っていない。
「佐倉悠斗くんだね。警察です。もう大丈夫」
竹内が声をかけると、少年の目に光が戻り、次の瞬間には泣き出した。
「ごめん、なさい……」
「大丈夫、よく頑張ったね。水を」
堀田が少年の隣へ膝をつき、ペットボトルの水を少しずつ与える。
「誰か、右足の応急処置できる者いるか?」
「あ、俺できます」
徹も少年の隣に座り、足首へ冷却剤を当てながら、包帯で処置していく。
「手慣れてますね」
堀田が徹の応急処置を見て、感心したように声をあげた。
「以前、プール監視員のバイトでちょっと」
処置が終わり、徹はあらためて少年の方を見る。
「歩けそうか?」
「た、たぶん」
「無理そうだね。お巡りさんの背中に乗りな」
依田が少年に背中を貸し、おぶって持ち上げる。
時刻、二十一時三十四分。地上まで最短で四十分。
徹は計算し、そして計算をやめた。どうやっても間に合わない。
その時だった。
水面が、細かく波打った。
高い羽音が岩壁の間に反響する。ひとつではない。何十も重なった、耳の奥を刺すような音。
「マリー!」
「見えているわ」
水路の上流から、それは来た。
三十センチ。大きいものは、一メートル。半透明の羽。長く鋭い口吻。
巨大な蚊の群れだった。
「ラージモスキート。吸血型。単体の危険度は低いですが……」
徹はタブレットを睨んだ。
「群れの推定数、四十以上!」
「多いわね」
「多すぎます」
マリーが赤い宝石を握る。光が奔り、白い大剣が形を成した。
その刀身が中ほどから割れ、半分を残して、青白い集束部を伴う銃身へ組み替わる。
「ヴァリアント――ガンナーモード」
青白い光条が走り、先頭の一匹が弾け飛ぶ。二匹目。三匹目。
恐ろしいほど正確だった。だが。
「……減らないわ」
一射で、一匹。群れは四十以上で、しかも蚊は速い。
ガンナーモードは、掃射のための武器ではない。
「いつものとおり、抜剣で一掃しちゃってくださいよ!」
依田が警棒を振り回しながら叫ぶ。
「使えるなら使うわ。でも」
マリーが背後を見た。
少年。警察官三名。そして徹。全員が、水路脇の狭い岸に固まっている。
「……この距離で広範囲に撃てば、あなたたちごと吹き飛ぶ」
最大の武器が、そのまま最大の枷になっていた。
そして、マリーが処理できなかったモスキートが数匹、徹達の方へ飛んだ。
「マリーさん、こっちは俺が!」
少年をおぶったまま、依田が警棒を振り回す。
しかし蚊はその頭上を通り過ぎ、堀田の腕へ取り付いた。
「きゃあああ!」
徹が飛び込み、耐衝撃グローブで叩き落とす。
高価な特注装備が、初仕事で蚊叩きになった瞬間だった。
「トオル、今の時間は!」
「二十一時四十一分!」
「最悪ね」
マリーの声に、初めて焦りが混じる。
「早く倒さないと、トオルが捕まってしまうわ」
「言い方が悪い!」
「しかも現行犯で」
「余計に悪いです! 急に怖いことを言うのはやめてください!」
時間がおしているのと、数が多い敵への対処。
そのせいで混乱しているのか、もはや何を言っているのか分からなくなっていた。
竹内は、そんな言葉の応酬を聞いて、眉間に皺を寄せ続けていた。
「本職は何も聞いておりません、ええ聞いておりません」
……こっちも混乱しているようだった。
徹は、サポートバッグを開いた。
考えろ。昨日の夜、何を準備した。
『第七層 水源区画 昆虫型モンスター出現率 上昇傾向』
行政の出現傾向データを見ながら、半分冗談で詰めたものが、確かにあった。
「……あった」
徹が引き出したのは、渦巻き型の蚊取り線香だった。ダンジョン用強力版、三時間持続。
「虫よけ、ですか!?」
「そうです。ダンジョン用の強力版」
「三時間持続! 悠長すぎます!」
「ですよね」
徹はそれを膝で叩き割った。破片を素材保護用の緩衝紙で包み、丸め、口をひねり、火が通るよう穴を開ける。
即席の煙玉が、四つできた。
「マリー! 三十秒だけ、下流へ下がってください!」
「何をするの」
「集めます!」
徹はライターで火を点けた。白い煙が勢いよく噴き出す。鼻を突く匂い。
徹は水路の岸を走った。右へ一つ。左へ一つ。
「稲垣くん、危ない!」
「刺されても痒いだけです!多分!」
あんな大きい蚊に刺されて、痒いだけで済むはずがない。
しかし徹は、自分を奮い立たせるためにも、そう言うしかなかった。
そもそも、この煙玉が効果的かという根拠は薄い。
だが、走る理由には十分だった。
煙の壁が、二筋。群れは煙を避け、避けた先でまた煙に阻まれる。
行き場を失った四十余匹が、上流側の一点へ押し出されていく。
徹は最後の煙玉を、その中心へ投げ込む。
群れが跳ね上がった。高く、細く、ひとつの塊になって。
「マリー、いまです!」
白い影が跳ぶ。空中で銃身が畳まれ、青白い光が刀身を包み、大剣が形を取り戻した。
「――ヴァリアント、抜剣」
振り抜かれた。
青白い斬撃が水路を斜めに走り、群れを羽音ごと薙ぎ払った。
破裂音が連続し、上流の岩壁に長い傷が刻まれる。水が霧のように降ってきた。
羽音が、消えた。
【討伐完了 ラージモスキート 四十一体】
「……終わりましたね」
徹が膝に手をついた、その耳のすぐ横で、羽音が鳴った。
「え」
一匹。煙の壁の外側を回り込んでいた個体が、依田と少年の方へ向かって落ちてくる。
徹は反射的に彼らの前へ立った。竹内が拳銃へ手をかけ、堀田が悲鳴を上げる。
間に合わない。誰の目にも、そう見えた。
その瞬間。
ラージモスキートが、止まった。
空中で、糸に吊られたように。羽は震えているのに、一ミリも前へ進まない。
上から、白い影が降ってきた。
「私のサポートに、何してんのよ!」
斬撃。
二つに分かれた蚊が、水路へ落ちる。
マリーは着地するなり、徹の肩を掴んだ。
「刺された?」
「刺されてません」
「本当に?」
「本当です」
マリーは長く息を吐き、ゆっくりと顔を上げる。
視線の先には、警棒を構えたままの依田がいた。
「……助かりました、マリーさん」
依田は、へらりと笑っている。
人懐こい、いい笑顔だった。
ただ、その目だけが、笑っていなかった。
マリーは、何も言わなかった。




