第11話 無能力サポート、天使の膝枕で目を覚ます
「トオル。トオル」
肩を揺すっても、徹は起きなかった。
マリーはため息をつき、その身体を支えて床へ横たえる。
背負っていたバックパックを外し、床へ置いた。
(解毒剤か、覚醒剤の類は持っていないかしら)
鱗粉の催眠性は、時間が経てば抜ける。
とはいえ、何もせずに眺めているのも落ち着かなかった。
マリーはバックパックの口を開けた。
そして、すぐに手を止める。
「……几帳面ね」
中身は、区画ごとに小分けされていた。
消耗品、回収袋、予備の通信端末。
袋には一つずつ、日付と数量を書いた札がついている。
その一番上に、使い込まれたメモ帳があった。
(見るつもりはなかったのだけど)
(備品、何があるか確認するだけだから)
言い訳のように心の中で断りながら、マリーはページを開いた。
【備品在庫】
エリクサー 0本(※要相談・高額のため代替品を検討)
止血剤 3 予備 2
のど飴 2袋
常温水 4
「……はちみつレモン」
一度断っただけの飴が、在庫表の三行目に並んでいた。
ページをめくる。
【次回探索の目標】
・回収時間を平均四十秒短縮する
・マリーの立ち位置指示を、戦闘前に共有しておく(戦闘中は聞こえていない可能性あり)
・第五層は湿度対策。ドローンの予備レンズを購入すること
さらに、めくる。
【本日未明・マリーからの質問への回答】
・西水路ルート 8分短縮は事実
・ただしドローン故障四件(管理課月報)
・罠の可能性 → 過去三年の事故報告なし。ただし増水期は要注意。次回、現地で確認する
赤いペンで、最後の一行が囲まれていた。
『マリーは思いついたことをすぐ試したい人。止めるのではなく、先に調べておくこと』
マリーの手が、止まった。
「ここまで、考えてくれているなんて……」
深夜二時のメッセージ。
昼休みのメッセージ。
そのすべてに、彼は誠実に答えていた。
答えるために、調べていた。
調べるために、寝ていなかった。
(……私が、何度も連絡しちゃったから)
マリーは自分の額を押さえた。
(私のせいだわ)
そう思うと、耳の先まで熱くなった。
思いついた瞬間に確かめたい。
その癖を、彼は責めなかった。
責める代わりに、先回りして調べておくと書いた。
(今度から、時間を考えよう)
マリーはメモ帳を閉じ、丁寧に元の位置へ戻した。
そのとき、床に触れた指先が、冷たさを拾った。
第四層の床は、石だ。
森に見えても、ダンジョンはダンジョンである。
眠っている人間を、このまま寝かせておくには冷たすぎた。
「…………」
マリーは周囲を見回した。
毛布はない。
上着は、鱗粉まみれだ。
「…………仕方ないわね」
マリーは床へ座り、徹の頭をそっと持ち上げた。
そして、自分の膝の上へ乗せる。
配信ドローンが、静かに旋回した。
『は?』
『は!?』
『今なにが起きた』
『膝枕』
『膝枕!!!』
『切り抜き確定』
『専属くん人生の絶頂で寝てるぞ起きろ』
「……救護のためよ」
『声が裏返ってる』
『天使、顔真っ赤』
『救護って言い張るのやめてください』
「救護のためだと言っているでしょう!」
マリーは配信ドローンを睨みつけた。
ドローンは何も答えず、ただ律儀に映し続けている。
「……もう」
膝の上で、少年が小さく寝息を立てていた。
いつもは真っ先に周りを見ている目が、今は閉じられている。
(他の人より、ずっと働くのね)
自分のことは棚に上げて、マリーはそう思った。
それから、欠伸をひとつ。
「……あら」
鱗粉は、彼女も吸っていた。
深く息を吸わないよう気をつけていたし、装備の耐性もある。
それでも、まったく無傷というわけではない。
まぶたが、じわりと重くなる。
(少しだけ)
(本当に、少しだけよ)
白銀の髪が、こくり、と揺れた。
やがて、二人分の寝息が、白い森に重なった。
『…………』
『…………』
『そっとしておこう』
『そっとしておこう』
◇
目を覚ましたとき、視界の上半分が白かった。
「……ん」
徹は瞬きをした。
白いコート。白銀の髪。
そして、すぐ目の前に、眠っている少女の顔があった。
長いまつげ。少しだけ開いた唇。規則正しい呼吸。
配信でも、ダンジョンでも見たことのない顔だった。
(……綺麗だな)
半分眠ったままの頭で、徹はそんなことを思う。
無防備に眠るその横顔が、なぜか隣の席の女子を思い出させた。
(そういえば、綾瀬もこんな感じで寝て――)
ふと、後頭部の感触がおかしいことに気が付いた。
柔らかい。
温かい。
これは、床ではない。
「――――」
徹は気づいた。
自分の後頭部が触れているのは、天使の……マリーの、膝だった。
声が出なかった。
身体も動かなかった。
動かせば起こしてしまう。
起こしたら、何と説明すればいいのか。
説明もなにも、状況を作ったのは自分ではない。
(落ち着け。落ち着け俺)
徹は視線だけを動かし、周囲を確認した。
ドリームモスの残骸。切り離された鱗粉嚢。整えられた回収袋。
(……マリーが、全部やったのか)
自分は、この人を支えるために雇われている。
その自分が寝落ちして、この人に運ばれて、膝を貸されている。
だが同時に、気づいたことがある。
彼女もまた、眠っている。
こんな場所で、こんな体勢で、眠ってしまうほど疲れている。
深夜二時に攻略ルートを考える人だ。
昼にドリームモスの相場を調べる人だ。
配信では、いつも完璧な顔しか見せない人だ。
(この人、休んでないんだ)
徹は天井を仰いだ。
(もっと、俺がやらないとな)
備品も、経路も、時間管理も。
この人が「思いつく」より先に、答えを用意しておけばいい。
そうすれば、深夜に考え込まずに済む。
(次の探索までに、想定問答をまとめておこう)
決意しながら、徹はもう一つの現実に直面していた。
膝枕をされたまま、まったく身動きが取れないという現実である。
配信ドローンは、まだ回っていた。
『起きた』
『起きたけど固まってる』
『動けよ』
『動けるわけないだろ』
「……あの」
徹は小声で言った。
「どなたか、助けてもらえませんか」
『無理です』
『我々は視聴者なので』
『そのまま二十分ほどお願いします』
◇
「よう、膝枕の人」
「その呼び方をやめろ」
翌朝。
誠がスマホを片手に、徹の机へやってきた。
隣の席では、茉莉が机に突っ伏している。
「見たぞ、昨日の配信」
「見なくていい」
「切り抜きのタイトル、『天使の膝枕、六分間ノーカット』」
「六分も映ってたのか!?」
「二百万回再生」
「うああああ……」
徹は机に額をつけた。
隣からも、こつん、と音がした。
「あとな、コメント欄でお前、『膝枕くん』に改名されてる」
「専属くんはどうした」
「卒業だ」
「勝手に卒業させるな」
隣で、茉莉の肩が小刻みに震えはじめる。
徹は顔を上げ、なんとなくそちらを見た。
綾瀬茉莉は、今日も机に突っ伏している。
だが、寝息は聞こえない。
目の下には、濃いクマが浮かんでいた。
(綾瀬も、眠れてないのか)
昨日のマリーの寝顔が、頭をよぎる。
あんなところで眠ってしまうほど、疲れていた人。
眠りたくても眠れない事情が、人にはあるのかもしれない。
家のことか、体調か、あるいは何か抱えているのか。
(……俺が聞くことじゃないか)
徹は鞄を探った。
昨日の帰り、コンビニのレジで押しつけられた試供品がある。
『睡眠改善ヨーグルト(お試し用)』
自分は今夜、放っておいても十時間は眠れる自信があった。
徹は立ち上がり、茉莉の机の隅へ、そっとヨーグルトを置いた。
「頑張れよ」
それだけ言って、席へ戻る。
茉莉の身体が、びくりと跳ねた。
髪の隙間から、恐る恐る目だけが覗く。
机の上には、ヨーグルト。
パッケージには『睡眠改善』の文字。
(……え)
(え、なんで!?)
(なんで私が寝不足だって知ってるの!?)
(昨日ダンジョンで寝てたこと!? それとも学校で寝てること!?)
(というか『頑張れよ』って何!? 何を頑張るの!? 攻略!? 配信!?)
(バレたの!? バレてるの!?)
茉莉は再び机へ突っ伏し、両手で顔を覆った。
耳の先が、真っ赤に染まっている。
始業のチャイムが鳴った。
徹はいつもと変わらない様子で、ノートを開く。
その隣で、天使は今日も、一睡もできそうになかった。




