第10話 無能力サポート、天使を置いて立ったまま眠る
『トオル、起きてる?』
午前二時十七分。
暗い部屋で、スマホの画面だけが白く光っていた。
稲垣徹は布団の中で目を細め、通知を確認する。
送信者は『Mary』。
国内最強のダンジョン配信者にして、徹の雇い主である。
「……起きてはいるな」
正確には、たった今起こされた。
『起きています。どうかされましたか』
返信すると、間を置かずに次が届いた。
『第五層の攻略ルートを考えていたのだけど、西側の水路を使えば、遠回りに見えて八分短縮できると思うの。どう思う?』
続けて、地図のスクリーンショットが三枚。
矢印と書き込みで、真っ赤に染まっていた。
「……本気だ」
徹は上体を起こした。
眠気は、まだ頭の芯に残っている。
だが、雇い主が真剣な相談を寄越してきているのだ。
寝ぼけたまま返すわけにはいかない。
電気を点け、メモ帳と攻略端末を引き寄せる。
『拝見しました。八分短縮は正しいと思います。ただし水路は湿度が高く、配信ドローンのレンズが曇ります。第三ゲート管理課の月報に、同区画でのドローン故障が先月四件ありました』
『そこまで見てるの?』
『備品管理も仕事なので』
『さすがね』
『恐縮です。それと、マリー』
『何?』
『寝てください』
三十秒ほど、既読だけがついていた。
『……おやすみ』
『おやすみなさい』
徹はメッセージアプリを終了してスマホを置き、電気を消した。
枕へ頭を沈める。
(悪い人じゃないんだよな)
むしろ、仕事熱心すぎるのだ。
思いついたことを、その瞬間に確かめずにはいられない。
そういう人間を、徹は嫌いではなかった。
たぶん自分も、同じ側の人間だからだ。
午前二時三十四分。
スマホが、また震えた。
『やっぱり水路の入口、罠の可能性はない?』
「…………」
徹は電気を点け直した。
◇
『今、大丈夫?』
翌日、昼休み。
購買のパンを半分ほど食べたところで、スマホが震えた。
『昼食中ですが、大丈夫です』
『昼食中なのね。じゃあ後にするわ』
『いえ、大丈夫です』
『でも昼食中でしょう』
『片手が空いています』
『そう。じゃあ聞くけど』
(結局、聞くのか)
徹はパンを机へ置き、彼女の。
『ドリームモスの討伐報酬、去年より三割下がっているの。おかしくない?』
『鱗粉が睡眠薬の原料になるので、製薬会社の買い取り価格に連動します。去年、合成品が認可されたはずです』
『……なんで知っているの?』
『金が絡むので、下調べくらいは』
『あなた、本当に高校生?』
『高校生です。今、隣で友人が昼飯のパンを奪おうとしています』
『撃退しなさい』
『そういう話ではないです』
顔を上げると、三枝誠が徹のパンを掲げていた。
「返せ」
「誰と連絡してんだよ、さっきから」
「上司」
「昼休みに上司とやり取りする高校生がいるかよ」
誠が笑いながらパンを返してくる。
「トオル、目の下すごいぞ」
「そうか?」
「綾瀬並み」
言われて、徹は隣を見た。
綾瀬茉莉が、いつものように机へ突っ伏している。
長い黒髪が机いっぱいに広がり、規則正しい寝息が聞こえていた。
片手に、スマホを握りしめながら。
(相変わらず、よく寝るな)
そう思った瞬間、徹の口から欠伸が漏れた。
◇
「今日も来たわね」
午後六時、第三ゲート前。
白銀の髪を風になびかせ、天使マリーが振り返った。
背筋は伸び、瞳には濁りひとつない。
「本日の攻略場所は第四層の東部区画。目的はドリームモスの討伐と、鱗粉嚢の回収よ」
「承知しました」
「装備、備品、経路の確認は?」
「済んでいます。帰還予定は二十一時、休憩地点は二か所……ふぁ」
「……今、欠伸をしなかった?」
「してません」
「したでしょう」
「してません」
マリーが眉をひそめた。
配信ドローンが、二人を正面から映している。
『トオル、顔色悪くない?』
『専属くん寝不足では』
『天使は今日も元気』
「トオル。体調が悪いなら、今日は――」
「大丈夫です」
徹は姿勢を正した。
「それより、マリーはすごいですね」
「何が?」
「昨日、あれだけ遅くまで起きていたのに、まったく疲れて見えません」
マリーの動きが止まった。
「……そう?」
「はい。さすがプロだと思います」
『さすがプロ』
『そこは真似できない』
『天使の体力おかしい』
コメントが流れていく。
マリーは口元を隠すように顔を背けた。
(学校で寝ているだけよ……!)
一時間目から六時間目まで、丸ごと寝ている。
昼休みも寝ている。
そんなことは、口が裂けても言えなかった。
「……行くわよ」
「はい」
二人は第三ゲートをくぐった。
◇
第四層の東部区画は、白い胞子が漂う森だった。
苔むした巨木の隙間から、淡い光が差している。
「右前方、ラージビートル二体」
「確認したわ」
「素材価値は低いです。まとめて構いません」
「了解」
マリーがヴァリアントを振るう。
青白い光が一閃し、二体が同時に沈んだ。
徹は素材回収へ向かい――足を止めた。
「……」
「トオル?」
「あ、はい。回収します」
一瞬、視界が滲んだ。
(まずいな)
昨夜の睡眠時間は、三時間を切っている。
一昨日も似たようなものだ。
雇い主に「寝てください」と言った人間が、自分から寝ていないのでは笑い話にもならない。
(今日が終われば、ゆっくり寝られる)
そう自分に言い聞かせ、徹は素材を袋へ収めた。
そのとき、攻略端末が短い警告音を鳴らした。
「マリー、下がってください」
「何?」
「上です」
二人は同時に見上げた。
巨木の枝が、ゆっくりと動いていた。
いや、枝ではない。
灰色の翅だった。
翅は幹二本分の幅まで広がり、鱗粉が雪のように降りはじめる。
大人の背丈ほどもある巨大な蛾が、音もなく舞い降りた。
「ドリームモス。この階層の最上位個体です」
徹はマスクを引き上げながら、青ざめた。
「最悪だ……こいつ、獲物を眠らせる能力持ちです」
「眠らせる?」
「鱗粉に強い催眠性があります。吸うほど眠くなる。倒すんじゃなくて、寝たところを食べるタイプです」
『えぐい』
『倒さないのが逆に怖い』
『天使、息止めて!』
マリーがヴァリアントの柄を握った。
「一撃で落とすわ」
「待ってください、それは駄目です」
「なぜ?」
「大剣を振り抜けば、風圧で鱗粉が区画全体に散ります。俺たちが先に寝ます」
マリーの手が止まった。
「……なら、どうするの」
「バスタルドー・モードを」
徹は端末の画面を掲げた。
「胸部の付け根に、鱗粉嚢があります。ここを切り離せば供給が止まる。そこが弱点であり、今日の回収目標です」
「素材回収を、優先しろということ?」
「はい。この個体に限っては、それが最短の勝ち筋です」
マリーは短く息を吐き、大剣の柄を握り直した。
「ヴァリアント――バスタルドーモード!」
金属音とともに刀身が左右へ開き、氷のように細い副剣が現れる。
ドリームモスが翅を打った。
鱗粉が、一気に濃くなる。
「っ……」
視界が白く霞んだ。
まぶたが、鉛のように重い。
(眠い……)
徹は頭を振り、横腹をギュッと力いっぱいにつねった。
痛みで、意識がわずかに戻る。
マリーが副剣を構え、灰色の巨体へ踏み込んだ。
一撃目は避けられた。
二撃目は翅に弾かれた。
三撃目で、ようやく胸部へ届く。
「トオル、位置はここでいい?」
「もう少し……下……」
「トオル?」
返事がない。
マリーが振り返る。
徹は立っていた。
両腕をだらりと下げ、背を巨木へ預け、まっすぐ立ったまま――
目を閉じていた。
「……嘘でしょう」
規則正しい寝息が聞こえてくる。
「立ったまま、寝てる……器用というか、すごいというか」
『立ち寝!?』
『専属くん器用すぎる』
『天使を置いて寝るな』
「呑気にコメントしないで!」
マリーは前へ向き直った。
ドリームモスが、寝息を聞きつけて動いた。
灰色の翅が、徹の方へ傾く。
(させない)
いつも、後ろを見ているのは彼だった。
今度は、私が見る。
マリーは地を蹴った。
副剣が、白い胞子の帯を切り裂いて走る。
狙うのは一点だけ。
胸部の付け根。
眠りに落ちる寸前、彼が置いていった一手。
「――そこよ!」
薄い金属音がした。
ドリームモスの胸部から、灰色の袋がぽとりと落ちる。
鱗粉の供給が、途切れた。
翅の動きが乱れる。
マリーはヴァリアントを閉じ、大剣へ戻した。
青白い光が刀身を包む。
「ヴァリアント――抜剣」
光が森を貫いた。
巨大な蛾の身体が、音もなく二つに分かれて地へ落ちる。
『倒した!』
『鱗粉嚢も無傷だ』
『指示どおりに倒しててエモい』
『指示した本人は寝てる』
マリーは大きく息を吐き、額の汗を拭った。
それから、まだ立ったまま眠っている少年を振り返る。
「……本当に、寝てる」




