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第6話 辺境の薬、王都の毒


 ハンナが辺境に来てから十日。

 私たちは昼夜を問わず、甘露茸の解毒薬の開発に没頭していた。


「浄心草の抽出液、濃度を三段階で試しましょう。ハンナ、蒸留器の温度を見てくれる?」

「はい。……リーゼル様、こちらの蒼月草の粉末はどの段階で加えますか?」

「煮詰めた後。温度が下がり始めた瞬間に投入して。結晶化のタイミングが命よ」


 二人での調合は宮廷時代を思い出させた。だが、今は監視の目もなければ、毒物使用の制限もない。純粋に技術だけに集中できる環境だった。


 七度目の試行で、ようやく安定した解毒薬が完成した。

 透き通った青い液体。舌に乗せると微かな苦みのあと、清涼感が広がる。甘露茸の毒素を中和し、依存性を断ち切る効果がある。


「問題は、これをどうやって王都に届けるかです」


 ハンナが腕を組む。


「追放された私が王都に入ることはできない。ハンナも宮廷を出た以上、簡単には戻れないでしょう」

「方法なら、ある」


 レオンハルトが執務室の地図を広げた。


「ヴァルトハイム領は王都から見捨てられた土地だが、商人の往来までは止められていない。月に一度、行商団がこの町を通る。次の行商団は五日後だ」

「行商に紛れ込ませる?」

「薬を行商の商品に混ぜる。ただし、直接的に『解毒薬』として売り出せば、宮廷に目をつけられる。別の名目が必要だ」


 私は考え込んだ。そして、一つの案が浮かんだ。


「……〈美容茶〉として売りましょう」

「美容茶?」


「浄心草には肌を整える効果もあるの。解毒薬を薄めて茶葉に含ませれば、飲むだけで甘露茸の毒素を緩やかに排出できる。貴族の婦人たちの間で流行らせれば、自然と宮廷内にも広がる」


 ハンナが目を輝かせた。


「さすがリーゼル様。それなら怪しまれません」

「美容茶の名前は……そうね、〈銀嶺の雫〉。辺境の秘境で採れる希少な薬草茶、というブランドで」


 五日後、行商団が到着した。

 商団の長は、レオンハルトと旧知の商人だった。事情を話すと、二つ返事で引き受けてくれた。


「辺境の薬草茶か。珍しいもんは売れるからな。任せとけ」


 〈銀嶺の雫〉を木箱に詰め、行商団に託す。王都まで片道二週間。届く頃には、甘露茸の被害がさらに広がっているだろう。間に合うことを祈るしかない。


 行商団を見送った翌日。

 思いがけない来客があった。


「リーゼル殿。面会を求める者が来ている」


 レオンハルトに連れられて診療所に入ってきたのは、宮廷騎士の正装に身を包んだ壮年の男だった。見覚えがある。カイルの護衛騎士団の副団長、オスカー・グリムだ。


「久しぶりだな、毒の薬師殿」


 オスカーの声に敵意はない。だが、警戒は必要だ。


「オスカー殿。まさか、私を連れ戻しに?」

「連れ戻す? とんでもない。俺は逃げてきた側だ」


 オスカーは深く息を吐き、椅子にどさりと腰を下ろした。


「王都は……もう駄目だ」


 彼が語った内容は、ハンナの報告以上に深刻だった。


 マリアンヌの「万能薬」の常用者は、宮廷だけでなく王都の市民にまで広がっている。薬を求める行列が毎日のように聖堂の前にでき、マリアンヌは民衆から〈救いの聖女〉と崇められていた。


 だが裏では、常用者たちの体が蝕まれ始めている。原因不明の倦怠感、食欲減退、皮膚の変色。それでも「万能薬」を飲めば一時的に楽になるため、誰も薬をやめようとしない。


「カイル殿下はどうなっていますか」

「……もはや、まともに政務を執れる状態ではない。一日中ぼんやりとして、マリアンヌの言いなりだ」


 オスカーが拳を握り締める。


「そして──ハインリヒ侯爵が実権を握り始めている」

「ハインリヒが?」


 あの男。追放劇でマリアンヌを推し、私を排除した張本人だ。


「マリアンヌの後ろ盾はハインリヒだ。甘露茸の入手ルートを持っているのも奴だろう。マリアンヌは傀儡に過ぎない。ハインリヒの目的は、カイル殿下を無力化して王位を簒奪することだ」


 すべてが繋がった。

 私の追放は、単なる婚約破棄劇ではなかった。ハインリヒが王位を狙うための、周到な計画の第一手だったのだ。邪魔な薬師を排除し、偽聖女を送り込み、毒で王太子を支配する。


「オスカー殿。なぜ私のところに?」

「ギュンター老師から聞いた。あんたが辺境にいると」


「師匠を知っているのですか!? 師匠は無事なのですか!?」


「ああ、無事だ。今は南部の修道院に身を寄せている。老師が言っていた──『リーゼルならば必ず方法を見つける。彼女は毒と薬の天才だ』と」


 師匠の言葉に、目頭が熱くなる。だが、感傷に浸っている場合ではない。


「解毒薬はすでに開発済みです。王都への輸送も手配しました。ですが……それだけでは根本的な解決にはなりません」


「分かっている。ハインリヒを止めなければ、何度でも同じことが起きる」


 レオンハルトが壁に背を預けたまま、静かに口を開いた。


「証拠が必要だな。ハインリヒが甘露茸を使って王太子を操っているという、動かぬ証拠が」


 三人の視線が交差する。


「証拠を集めるのは、王都にいるオスカー殿にしかできません」

「分かっている。だが、もう少し時間がいる。ハインリヒの警戒が緩む瞬間を待たなければ」


「その間に、私はもう一つ薬を作ります」


 全員の目が私に集まった。


「甘露茸の依存を一瞬で断ち切る強力な解毒薬。〈銀嶺の雫〉は緩やかに効く予防薬ですが、カイル殿下のように重度の依存状態にある方には、もっと強い薬が必要です」


「作れるのか」

「材料が一つ、足りません。〈氷竜胆〉──銀嶺の山頂付近にしか咲かない、極めて希少な薬草です。採取には……山頂まで登る必要があります」


 レオンハルトが窓の外の銀嶺を見上げた。万年雪を戴く峻峰が、夕陽に赤く染まっている。


「山頂か。命がけだな」

「ええ。でも、やるしかありません」


 レオンハルトは少しの間黙り、そして不敵に笑った。


「なら、また俺が付き合おう。月夜の薬草摘みは、もう慣れた」


 その言葉に、不意に胸が温かくなった。


 ──この人がいてくれるなら、山頂だって怖くない。


 そう思ってしまう自分に、少しだけ戸惑った。


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