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第4話 毒の聖女の診療所


 エミリアの回復から三日で、療養所の患者全員の黒い斑点が消えた。


 完治した人々が次々と家に戻っていく姿を見送りながら、私はふと気づいた。自分の行く先を、まだ何も決めていない。


「リーゼル殿」


 背後から声をかけられ振り返ると、レオンハルトが改まった表情で立っていた。


「少し、話がしたい」


 案内されたのは、町の中心にある石造りの屋敷──ヴァルトハイム領主館だった。とはいえ王都の貴族邸とは比べるべくもない。壁には蔦が絡み、屋根瓦の一部は苔むしている。


「豪華な館で申し訳ない」


 皮肉っぽく笑うレオンハルトに、私も思わず笑い返した。


「王宮に比べればずいぶん落ち着きますよ。あちらは金箔と陰謀で壁が出来ていましたから」


 執務室と思しき小部屋に通される。机の上には書類が山積みになっていた。


「単刀直入に言う。この領に残ってくれないか」


 予想はしていた。だが、改めて言われると身構えてしまう。


「ヴァルトハイム領には薬師が一人もいない。最も近い町の医者まで馬で三日。住民が病気になれば、祈るか死ぬかの二択だった。あんたが来てくれて、初めてその二択以外の選択肢ができた」


「私は追放された身ですよ。宮廷薬師の肩書きは剥奪されています」

「辺境に肩書きは要らない。必要なのは腕だ」


 真っ直ぐな言葉だった。策略も打算もない、ただの懇願。


「領主として正式に依頼する。この町に診療所を開いてほしい。場所と住居は用意する。薬草の採取には領地の山を自由に使ってくれて構わない」


「……薬草の山を自由に?」


 その言葉に、思わず身を乗り出してしまった。ヴァルトハイム領の山々には、王都では決して手に入らない希少な薬草が自生している。母の図鑑に記された幻の薬草たちが、すぐそこにある。


 これは──薬師にとって、宝の山だ。


「……一つ、条件があります」

「何だ」

「私の調合法は、毒を使います。それを忌み嫌う方もいる。それでも構いませんか?」


 レオンハルトは迷いなく答えた。


「エミリアを救ったのは、あんたの毒の技術だ。この領の誰もがそれを知っている。もし文句を言う奴がいたら、俺が黙らせる」


 ──本当に、不意打ちが上手い人だ。


「では、お言葉に甘えます」


 こうして私は、ヴァルトハイム領の薬師として二度目の人生を始めることになった。


 診療所として提供されたのは、町の広場に面した空き家だった。元はパン屋だったらしく、大きな竈がそのまま残っている。


「竈は薬の煮出しに使えますね。この棚は薬草の乾燥棚に改造して……窓際に調合台を置けば採光も十分」


 気づけば夢中で間取りを考えていた。自分だけの薬室。宮廷のように「毒物は別室で扱うこと」などという馬鹿げた制約もない。


「楽しそうだな」


 窓枠を磨いていると、レオンハルトが資材を運んできながら言った。


「楽しいです。自分の城を持つのは初めてですから」

「城というには小さいが」

「いいえ。ここは私の城です」


 開店──というほど大袈裟なものではなかったが、診療所を始めて最初に来たのはエミリアだった。


「リーゼルお姉ちゃん!」


 すっかり元気になった少女が、花束を抱えて飛び込んでくる。


「お花、持ってきたの! お姉ちゃんのお店に飾ってね」


 野の花を無造作に束ねただけの花束。だが王宮で贈られたどんな薔薇よりも美しく見えた。


「ありがとう、エミリア。……あら、この花は」


 花束の中に、見覚えのある白い花弁が混じっていた。


「この白いの、麓に咲いてたから一緒に摘んじゃった。だめだった?」

「いいえ──これ、〈星辰撫子〉だわ」


 母の図鑑にのみ記載がある、極めて希少な薬草だ。解熱作用と鎮痛作用を併せ持ち、しかも毒性がない。子供や老人にも安心して使える万能薬草。


「エミリア、この花がどこに咲いていたか、お姉ちゃんに教えてくれる?」

「うん! 案内してあげる!」


 こうして辺境での薬師生活は、思いもよらない発見の連続となった。


 山に入れば新しい薬草が見つかり、調合の幅が日に日に広がる。星辰撫子を使った鎮痛薬、雪解百合を主剤とした解毒薬、銀杉の樹液をベースにした傷薬。


 噂は瞬く間に広がった。

 黒霧熱を治した薬師がいる──その話は近隣の村々にまで伝わり、やがて遠方からも患者が訪れるようになった。


「先生、うちの婆様の腰が──」

「先生、子供の咳が止まらなくて──」

「先生、この虫刺されが腫れて──」


 朝から晩まで患者が途切れない。目が回るような忙しさだったが、不思議と辛くはなかった。


 ある夜、閉店後の診療所で一人、薬草の仕分けをしていると、レオンハルトがやって来た。手には温かいスープの鍋。


「また飯を食い忘れただろう」

「……お恥ずかしい。調合に夢中になると、つい」

「薬師が倒れたら誰が患者を診る。食え」


 差し出されたスープを一口飲む。じゃがいもと玉ねぎの素朴な味が、疲れた体に染み渡った。


「……美味しい」

「エミリアが作った。俺は味見しかしていない」


 向かい合ってスープを飲みながら、窓の外を見る。辺境の夜空には、王都では見えなかった星々が瞬いていた。


「レオンハルト様。一つお聞きしてもいいですか」

「呼び捨てでいい。領民は皆そう呼ぶ」

「では……レオンハルト。この領に薬師がいなかったのは、なぜですか? 領主がいるのに、王都に薬の手配を頼んで三週間も放置されるなんて、おかしいと思ったのですが」


 レオンハルトの表情が曇った。


「……ヴァルトハイム領は、王都から見捨てられた土地だ」


 その言葉の奥に、深い怒りと諦めが混ざっているのを感じた。


「十年前、父──先代領主が王都の方針に異を唱えた。以来、この領への物資の優先度は最低になり、薬師の派遣も却下され続けている」


「王都の方針とは?」

「辺境の民を見殺しにしても、王都の貴族が潤えばいいという方針だ」


 ……身に覚えがある。宮廷にいた頃、辺境への薬の配給が打ち切られた書類を見たことがあった。あの時は深く考えなかったが、その結果がこれだったのか。


「王都は腐っている。だが、今の俺に変える力はない」


 レオンハルトは静かに言った。


「だから、せめてこの領の民だけは──俺が守る」


 その横顔を見つめながら、私は思った。

 この人も、戦っている。私とは違う形で、でも同じように──見捨てられた場所で。


「私にできることがあれば、力を貸します」


 気づけば、そう口にしていた。


 レオンハルトが少し驚いた顔をして、それからふっと笑った。


「……ありがとう」


 その笑顔を見た瞬間、胸の奥で何かが小さく揺れた。


 ──いけない。今は、薬師としてやるべきことに集中しないと。


 スープの残りを一気に飲み干し、私は調合台に向き直った。明日も患者が来る。新しい薬を作らなければ。


 追放された毒の薬師の、辺境での第二の人生が──今、動き出していた。


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