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第13話 銀蛇の島


 翌朝、まだ日が昇りきらないうちに港を出た。


 小型の帆船に乗り込んだのは、私とレオンハルト、そしてグラオス公国の兵士三名。船長は地元の漁師で、銀蛇の島の近海をよく知る老人だった。


「あの島にゃ昔から近づくなと言われとった。海が荒れる場所でな。五年前の探検隊が行くまでは、誰も上陸したことがなかった」


 老船長が舵を取りながら語る。


「島に名前がついたのも、海から見ると銀色の蔓が岩肌を覆っとるのが蛇に見えるからだ。不気味な島だよ」


 半日の航海は穏やかだった。だが島影が大きくなるにつれ、海の色が変わった。青から、かすかに銀がかった灰色へ。


「この辺りの魚が、最近獲れなくなった。海水に何か混じっとるんじゃないかと、漁師仲間では噂しとる」


 私は船縁から海水を掬い、匂いを嗅いだ。無臭。だが舌先に乗せると、微かな金属味がある。


「銀蛇蔓の毒素が海中にも溶け出している……。これでは魚介類を通じて、さらに広い範囲に汚染が広がりかねない」


 事態は想像以上に深刻だった。リーベルの町だけの問題ではない。放置すれば、沿岸全域に被害が拡大する。


 島に近づくと、老船長の言葉通り、岩肌を銀色の蔓が覆っているのが見えた。蔓は生きているように微かに蠢いている。


「あれが銀蛇蔓……」


 島の南側に小さな砂浜があり、そこに船を着けた。砂浜に降り立つと、空気が違った。湿度が高く、甘く腐敗した匂いがかすかに漂う。黒霧熱の時に感じたものと似ているが、もっと古い、もっと深い匂いだ。


「全員、手袋を外さないでください。銀色の植物には絶対に素肌で触れないこと」


 私の注意に、兵士たちが緊張した面持ちで頷く。


 砂浜から内陸に入ると、すぐに植生が異様なことに気づいた。通常の南方の植物──椰子や羊歯──に混じって、銀色の蔓が地面を這い、木々に巻きついている。蔓に触れた植物は灰色に変色し、半ば結晶化していた。


「植物も石化している……。人間だけじゃないんだ」


「遺跡はどこだ」


 レオンハルトが周囲を見渡す。兵士の一人が地図を取り出した。五年前の探検隊が作成したものだ。


「島の中央に丘があり、その内部に遺跡の入口があるとのことです」


 獣道すらない密林を、レオンハルトが剣で蔓を切り開きながら進む。銀蛇蔓は切り口から銀色の液体を滴らせた。


「この液体に触れるな。毒の濃度が高い」


 私は液体を小瓶に採取した。後で分析に使える。


 三十分ほど歩いたところで、丘の斜面に開いた洞窟の入口に辿り着いた。入口には古代文字が刻まれた石柱が二本立っている。


「この文字……読めるか?」


「古代グラオス語です。少しだけ。母の図鑑に解読表がありました」


 石柱の文字を図鑑の解読表と照らし合わせる。


「『此処は……毒の庭園。入る者は……代価を払え』」


「物騒だな」


「古代文明は毒を神聖なものとして扱っていたという説があります。この遺跡は、毒草を管理・研究する施設だったのかもしれません」


 松明を灯し、洞窟に入る。内部は人工的に整えられた通路で、壁面には精緻な彫刻が施されていた。植物と蛇を組み合わせた紋様。そして──人体の図解。


「これは……解剖図だ」


 壁画には、人体の内臓や血管が驚くほど正確に描かれていた。その周囲に、様々な植物の図と、古代文字の説明が添えられている。


「古代の薬学書が壁に刻まれている……。信じられない。この文明は、相当高度な医学知識を持っていた」


 壁画を読み解きたい衝動に駆られたが、今は先を急ぐべきだ。黄金苔を見つけなければ。


 通路を進むと、分岐点に出た。左右に道が分かれている。


「探検隊の地図では、右が遺物の保管室、左が奥の大広間に繋がっているそうです」


「黄金苔はどちらに?」


「母のメモには『遺跡内部に自生』としか。ただ──苔が育つには湿気と光が必要です。大広間のほうが可能性が高い」


 左の通路を選ぶ。足元は湿っており、壁面から水が滲み出している。空気中の湿度は薬草の生育に適した環境だ。


 だが、通路を進むにつれて銀蛇蔓の密度が増してきた。天井から銀色の蔓が垂れ下がり、壁面を覆い尽くしている。


「この先は蔓が密集している。切り開かなければ進めない」


 レオンハルトが剣を振るう。蔓を断つたびに、銀色の液体が飛散する。


「待ってください──!」


 私が制止するより一瞬早く、液体の一滴がレオンハルトの首筋に触れた。


「レオンハルト!」


 すぐに駆け寄り、携帯していた浄化液で首筋を拭う。液体は皮膚に触れてわずか数秒だったが──。


「……大丈夫だ。何ともない」


「見せてください」


 首筋を確認する。赤みもなければ、銀色の変色もない。間に合ったようだ。


「以後は私が前に立ちます。毒の扱いは私の領分です」


「だが──」


「レオンハルトが石化したら、誰が私を守るんですか」


 その言葉に、レオンハルトは渋々引き下がった。


 私は腰のポーチから〈忌避香〉を取り出し、火をつけた。宮廷時代に毒虫避けとして開発したもので、植物にも忌避効果がある。


 煙が広がると、銀蛇蔓が怯えるように蠢き、わずかに後退した。


「効いている。この煙の中なら安全に進めます」


 忌避香を松明のように掲げ、蔓の密林を進む。蔓は煙を嫌って道を開けた。


 そして──通路の先に、光が見えた。


 大広間だ。


 天井に開いた穴から太陽光が差し込み、その光の柱の中に──金色に輝く苔が群生していた。


「あった……! 黄金苔!」


 岩壁を覆う金色の絨毯。母が追い求めた薬草が、ここに。


 だが同時に、大広間の中央にあるものに目を奪われた。


 巨大な石像──いや、違う。


 古代の装束をまとった人間が、銀色に結晶化して立っている。リーベルの患者と同じだ。だが規模が違う。二メートルを超える長身。その手には、金色の苔を摘み取る姿勢のまま固まっている。


 だが私の目を釘付けにしたのは、その石化体ではなかった。


 石化体の足元の岩棚に、小さな革の手帳が挟まるようにして残されていた。風化しかけているが、かろうじて文字が読める。


 私は膝をつき、手帳を慎重に取り上げた。


 表紙に書かれた名前に、息が止まった。


 ──カティア・フォーゲル。


「……母さんの、手帳」


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