表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/20

第12話 港町リーベル


 グラオス公国の港町リーベルに到着したのは、ヴァルトハイムを出てから二十五日目のことだった。


 青い海が広がる美しい港町──のはずだった。


 現実のリーベルは、死んだように静まり返っていた。港に船はまばらで、通りを歩く人影はない。家々の窓には板が打ちつけられ、所々に「立入禁止」の赤い札が貼られている。


「王都の時よりひどいな」


 レオンハルトが馬上から町を見渡して呟いた。


 町の入口には検問所が設けられていた。グラオス公国の兵士が、入町者を厳しく検査している。


「何用だ。リーベルは現在、疫病により封鎖中だ」


「ヴァルトハイム領主レオンハルト。薬師リーゼル・フォーゲルを伴い、グラオス公国宰相ザイデル殿の要請に応じて参った」


 レオンハルトが書簡を見せると、兵士の態度が一変した。


「お待ちしておりました! 宰相閣下がお会いになります。すぐにご案内を──ただし、患者には決して触れないようお願いいたします」


 案内されたのは港を見下ろす丘の上の公館だった。宰相ヴェルナー・フォン・ザイデルは、五十代半ばの痩身の男性で、疲労の色が濃い顔に、それでも理知的な光を宿した目をしていた。


「遠路はるばる、感謝する。リーゼル・フォーゲル殿……いや、〈辺境の聖女〉殿と呼ぶべきか」


「ただの薬師です。聖女の称号は返上したつもりですが」


「謙遜を。王都の毒禍を救った辺境の薬師の噂は、南方にまで届いている」


 宰相は執務室に私たちを通し、町の状況を説明してくれた。


「最初の患者が出たのは二ヶ月前だ。港の倉庫で働いていた荷揚げ人夫がある朝突然、腕に銀色の紋様が浮かんだ。三日後には全身に広がり、五日目に完全に石化した」


「石化──本当に石になるのですか」


「見ていただいたほうが早い」


 公館の地下に案内された。薄暗い部屋に、それは──いた。


 人の形をした、銀色の像。

 いや、像ではない。かつて人だったものだ。


 中年の男性が立ったまま固まっている。肌は銀灰色の鉱物に変質し、表面には蔦のような紋様が走っている。表情は苦悶に歪んだまま。だが──。


「……胸が、動いています」


 微かに、本当に微かに、胸部が膨らみ、縮む。呼吸だ。


「そうだ。石化した患者は、死んでいない。生きたまま、石の中に閉じ込められている」


 背筋が凍った。死よりもなお残酷だ。意識があるのかは不明だが、もしあるとすれば──自分の体が石に変わっていく恐怖を、ずっと感じ続けていることになる。


「現在、石化した患者は四十二名。症状の進行中の者が百名以上。そして──」


 宰相が声を落とした。


「十日前から、隣町でも患者が出始めた。封鎖が間に合わなかった」


「感染経路は特定できていますか」


「接触感染だと思われる。患者の銀紋に直接触れた者に伝染する。ただし、全員が感染するわけではない。体力のない者、老人や子供から順に罹患する傾向がある」


 私は手袋をはめ、石化した男性に近づいた。銀色の表面に触れる。冷たく、硬い。だが完全な鉱物ではない。指先に、生体組織特有の微かな弾力を感じる。


「これは……石化ではなく、結晶化です」


「結晶化?」


「毒素が体内で結晶を生成し、細胞を内側から置き換えている。だから生命活動が完全には停止しない。毒が生体を殺すのではなく──支配しているんです」


 母のメモが脳裏をよぎる。『銀蛇蔓──解毒の鍵は遺跡内部の黄金苔』。


「宰相閣下。この町の近くに、古代遺跡はありますか」


 ザイデルの表情が変わった。


「……ある。港から船で半日の沖合に、〈銀蛇の島〉と呼ばれる無人島がある。五年前、公国の探検隊が島に上陸し、古代遺跡を発見した。内部から珍しい植物や鉱物を持ち帰ったが──」


「その中に、蔓状の植物はありませんでしたか。銀色の蔓」


 宰相が息を呑んだ。


「あった。〈銀蔓〉と名付けられ、植物園で栽培されていた。だが半年前に枯れたはずだ」


「枯れたのではなく、胞子を飛ばしたのだと思います。その胞子が人体に取りつき、体内で結晶化を引き起こしている」


 全てが繋がった。


 五年前の探検隊が遺跡の封印を破り、銀蛇蔓を持ち出した。植物は環境に適応しながら胞子を蓄え、半年前にそれを放出した。最初の患者が出たのは二ヶ月前だから、胞子は体内で数ヶ月の潜伏期間を経て発症する。


「解毒の手がかりは、遺跡にあります。〈黄金苔〉──母がそう記した薬草が、銀蛇の島に自生しているはずです」


「しかし、あの島は危険だ。遺跡内部には古代の罠が残っているという報告があった」


「それでも行かなければなりません。黄金苔がなければ、この疫病は止められない」


 レオンハルトが一歩前に出た。


「島への船を出してくれるか。俺たちが行く」


 宰相はしばらく逡巡したが、やがて決断した。


「……明朝、船を用意する。ただし護衛として公国の兵を同行させる」


「ありがとうございます」


 公館を出た後、私は港を見下ろす丘に立った。夕陽に染まる海の向こうに、ぼんやりと島影が見える。銀蛇の島。母が辿り着けなかった場所。


「リーゼル」


 レオンハルトが隣に来た。


「お前の母親も、あの島に行こうとしたのか」


「おそらく。でも──何かの理由で、行けなかった。あるいは行って、帰ってこられなかったのかもしれない」


 声が震えた。母が南方への旅から戻った後、急速に衰弱して亡くなったこと。その原因は不明とされていたが──もし、銀蛇蔓の毒に触れていたのだとしたら。


「母は、この毒に殺されたのかもしれません」


 レオンハルトは何も言わず、ただ私の肩に手を置いた。その温もりが、揺れる心を支えてくれた。


「必ず解き明かします。母の無念も、この町の人々の苦しみも」


 夕陽が海に沈んでいく。

 明日、銀蛇の島へ渡る。

 母が追いかけた真実が、そこに眠っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ