第11話 母の足跡
南方のグラオス公国から届いた書簡を、私は何度も読み返した。
『原因不明の疫病が港町リーベルを中心に蔓延。患者は高熱の後、全身に銀色の紋様が浮かび、やがて石のように動けなくなる。既知の毒物・病原との一致なし。死者はまだ出ていないが、石化した患者は日に日に増えている。薬師の派遣を乞う。──グラオス公国宰相、ヴェルナー・フォン・ザイデル』
銀色の紋様。石化。聞いたことのない症状だ。
だが──母の薬草図鑑に、手がかりがある。
図鑑の頁に記された母のメモ。
『南方の古代遺跡より発掘された未知の毒草あり。現地名〈銀蛇蔓〉。接触した者に銀紋が広がり、やがて全身が石化するとの報告。毒性の調査に向かうも、道半ばにて断念。解毒の鍵は、遺跡内部に自生する〈黄金苔〉にあると推測。調査未了。リーゼル、いつかあなたが──』
そして、図鑑の裏表紙に滲んだ走り書き。以前から気になっていたが読み取れずにいたそれを、改めてランプに透かしてみた。
『──島──銀蛇蔓──触れた──後悔──リーゼルに託す──』
断片的な言葉。だが、書簡の内容と合わせると、おぼろげながら輪郭が見えてくる。
母、カティア・フォーゲルは十二年前に亡くなった。辺境出身の薬師で、毒草研究に生涯を捧げた人だった。南方への調査旅行から戻った直後に病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
幼い私には何も教えてくれなかった。ただ、この図鑑だけを遺して。
「銀蛇蔓……。母さんが調べようとしていた毒草が、今になって人を蝕んでいる」
偶然とは思えなかった。
「行くつもりか」
診療所の入口に、レオンハルトが腕を組んで立っていた。私が書簡と図鑑を交互に見ていたのを、しばらく眺めていたらしい。
「ええ。行かなければならないと思っています」
「南方のグラオス公国。ここから馬でひと月はかかる」
「分かっています。でも──」
「分かってるなら話が早い。俺も行く」
「……え?」
「エミリアとハンナに診療所を任せれば、しばらくは持つ。それに、辺境領主が南方の公国と外交関係を結べれば、この領にも利がある」
もっともらしい理由をつけているが、その目は「お前を一人で行かせるわけがないだろう」と言っていた。
「レオンハルト。あなたには領主の務めが──」
「副官のフリッツに任せる。あいつは優秀だ。それに──」
レオンハルトが一歩近づいた。
「あんたの母親が命をかけて追いかけた謎だ。一人で背負う必要はない」
──この人はいつも、こうだ。
私が必要としていることを、私が口にする前に差し出してくる。
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
出発の準備は三日で整った。
ハンナには診療所の運営と〈銀嶺の雫〉の製造を託した。
「リーゼル様、南方の毒草については文献がほとんどありません。くれぐれもお気をつけて」
「ええ。何か分かり次第、手紙を送るわ」
エミリアは今回も泣いた。だが、前回とは少し違った。
「お姉ちゃん、私もいつか薬草の勉強する。そしたら一緒に行ける?」
「もちろん。待ってるからね」
ヴァルトハイムの町を出る朝。住民たちが見送りに来てくれた。もうここは、私の故郷だ。必ず帰ってくる場所。
馬を南へ向ける。隣にはレオンハルトがいる。
「長い旅になるな」
「ええ。でも──少し、わくわくしています」
「……薬師の血か」
「そうかもしれません。未知の毒がある。未知の薬草がある。母が辿り着けなかった答えがある。それを解き明かしたい」
レオンハルトが小さく笑った。
「あんたが楽しそうだと、こっちも悪い気はしない」
街道を南へ。風景は針葉樹の森から、次第に落葉広葉樹の丘陵地帯へと変わっていく。
旅の途中、私は母の図鑑を繰り返し読んだ。母が南方で何を見て、何を知り、何に辿り着けなかったのか。残されたメモは断片的だが、いくつかの推測ができた。
銀蛇蔓は、おそらく自然発生した毒草ではない。古代遺跡から発掘されたということは、誰かが──古代の文明が、意図的に作り出した可能性がある。
古代の毒。古代の薬。その秘密が、南方の遺跡に眠っている。
「母さん。あなたが見つけられなかったもの、私が見つけてみせる」
胸の内でそう誓い、手綱を握り直した。
旅の七日目。
街道沿いの小さな町で馬を休ませていると、宿の主人が不安そうに言った。
「南に向かうのかい? やめといたほうがいい。リーベルの港町では奇妙な病が流行っていて、近隣の町にも広がり始めてるって話だ」
「その病について、詳しく聞かせてもらえますか」
「俺が聞いた話じゃ、触れただけでうつるらしい。銀色の模様が肌に浮いて、最後には石みたいに固まっちまう。怖い話だよ」
触れただけでうつる。母のメモにはその記述はなかった。十二年前と、何かが変わっている。
「疫病の広がりが早い……。単なる毒草の中毒ではないのかもしれない」
レオンハルトが眉をひそめる。
「どういうことだ」
「もし銀蛇蔓の毒が人から人へ伝染するなら、それはもう毒草ではなく──毒そのものが生きている可能性があります」
「生きた毒?」
「母の図鑑には〈古代遺跡から発掘〉とありました。もし古代文明が生物兵器として毒を設計していたなら──封印が解かれたことで、それが野に放たれた」
推測に過ぎない。だが、嫌な予感がする。
ここから先は、これまでとは次元の違う戦いになるかもしれない。
馬に跨り直し、南へ急ぐ。
未知の毒が、待っている。




