自覚
施設が、獣のような咆哮を上げ、軋む。
「だめだ。久世。立て」
僕は、鱗に覆われて、冷たい久世の脇の下に、腕を入れた。
無理やり久世を立たせ、僕たちは歩き出す。
廊下の壁に大きく穿たれた穴から外へ這い出す。
瞬間、冷たい空気が肺を刺した。
そこから、瓦礫伝いにようやく僕たちは、地面に降り立った。
嘶きが聞こえた。
見ると、視線の先――葦毛の馬が駆けてきた。
ポチだ。
久世を先にポチに乗せ、僕も跨る。
僕が前で手綱を握ると、久世が寄りかかるように、僕の腰に腕を回してしがみついた。
僕たちは走り出した。
その瞬間――背後で、巨大な施設が轟音と共に崩壊した。
きっと、パパは。
紅葉の森の中。
どれほど走っただろうか。せせらぎの音が聞こえ、僕たちは小川に辿り着いた。
ポチが足を止め、水に顔を突っ込んだ。
そのとき、久世の腕がほどけた。僕の背後で、久世が抗いようのない重力に従うように、ずるりと地面に崩れ落ちた。
僕は焦って、急いでポチから降りて、強張る手で久世の手を取った。
脈が、分からない。
胸に耳を充てる。
分からない。
世界が止まる。
それなのに。僕の心臓が、どくどくと凶暴なほどに脈打ち始めた。
左目に――花が開く。
それは狂おしく開花し、視界を青く染め上げていく。
制御不能。
このままでは、僕も崩れる。
僕は絶望の淵で、久世を仰向けにさせ、その上に跨った。
久世の手に、ナイフを握らせようと、その手を取った。
「久世」
けれど、その指先にはもう、ナイフを握る力さえ残っていないのか。
久世の腕は、どさりと力なく地面に落ちる。
「久世。起きて……」
蜥蜴の形をした久世の頬を、僕は両手で包んだ。
冷たい。
その瞼が、ゆっくりと開いた。
金色の虚ろな瞳が、僕を見ている。
その焦点が、僕の左目に定まる。久世の喉が、ごくりと動いた。
「……服を、脱いで……」
久世が、掠れた声で囁いた。
それは命令でも哀願でもなく、生存のための、唯一の「手段」なのか。
僕は言われるまま、僕の意識がある内に、自分の服を脱ぎ捨てた。
「私の服も……」
指先で、仕立ての良いの燕尾服に触れた。
優雅に背を正していたあの正装が、今は泥と血にまみれた残骸と化している。
僕は震える手で、その「執事という仮面」を剥ぎ取った。
胸ポケットにあった紙の本が、カサリと音を立てて滑り落ちた。
タイトルは、見えない。
それより。
剥き出しになった久世の体には、まだ青い結晶の痕跡が、刺青のように残っていた。
痛々しい。これをしたのは――僕だ。僕が久世を、こんな姿にしたのだ。
剥がれかけの薄い鱗が、木漏れ日を反射して、鈍く輝く。
かつての清潔な匂いは消え、むせ返るような血と、濡れた肉の匂いが、僕の理性を追い詰める。
「――下も、か?」
そう訊くと、久世は二度、小さく頷いた。
ベルトを抜く音が、静かな森に響く。
視界が揺れた。
意識が……遠のきそうになる。
「跨って……」
久世の息は浅い。
それでも言葉は確かだ。
僕は、言われるまま。
久世の上に、もう一度乗った。
「そう。そのまま……」
「本当に、しないといけないのか?」
正直に言う。
僕は、狼狽えている。
久世はもう、指先を動かすこともできないほどに弛緩し、その瞳からは光が失われかけている。
なのに。
僕はまた、眩暈に襲われた。
だから僕は覚悟を決めて、その、逃げ場のない熱へ、身を投じた。
ゆっくりと。
久世の体温が、僕を包み込む。
――ああ、壊される。僕という個が、久世に上書きされていく。
「……っは、あっ……」
何が起きているのか、もう分からない。
ただ、久世の鼓動だけが、僕の内側で響いていた。
「……っ、ぁ、ああ……っ」
久世の存在が、僕の奥へ流れ込んでくる衝撃に、背中が引き攣りそうになる。
そして。
蜥蜴だったものが、徐々に人の姿に変わり果て、それは、猛烈な熱を帯び始めた。
鉄錆のような――或いは鋭利な金属のような香りが、僕を包み込む。
ああ……カナトの香りだ。
「はぁ……っ……ぁ……ふぁ……」
僕の内側が、カナトの拍動と同調し、激しく打ち鳴らされる。
僕は今――『調律』されている。
力無く落ちていたカナトの両手が、僕の腰を掴んだ。
瀕死だったはずの。
鼓動が重なるたびに、僕の中にある「青」が、内側でざわめく。
ああ……こんなもの、僕は、耐えられない。
「はぁ……あ……ぁあ……あっ……」
なのに、僕は今、書き換えられている。
僕を剝がし、カナトに埋め尽くされている。
この体は僕のものなのか、カナトのものなのか――もう、判然としない。
カナトの両手が、これまでにない強さで、僕の腰を引き寄せた。
「カナト……、カナ……ト……」
カナト。
「カナ……ト……」
「怜央様」
カナトが囁く。
「私の、怜央様」




