処置室
僕は、横になっていた。
背中の感触は、安っぽい合皮の、冷たくて、ごわごわな感触。
視線をゆっくりと体に向けると、何本もの管が僕の体から――生えてる?
いや、違う。
点滴とか、心電図とか。酸素の管とか。
色とりどりの線が、まるで僕をこの場所に縫い留める糸のように、僕に繋がっている。
真っ白な防護服を着た人が、数人。
フルフェイスの無機質なマスク。
感情の読めない目が、僕の体を見ている。
透明な壁。
僕は、診察台の上――検査着を着て、大きなガラスの箱の中で、眠っていたのだ。
壁の向こう。
二つの影があった。
あれは――パパと。すぐ後ろに、久世。
ふたりとも、耳にインカムをかけている。
パパの手には、タブレット。画面を見ている。
――パパ。
声を出そうとしたが、力が入らない。
久世を見た。目が合った。その瞳は、凪いだ湖面のように、静まり返っている。
こんなにも痛々しい姿の僕を、このままにしておくのか――お前は。
久世の瞳には、なにも揺らいでいない。なにも。
なんの感情もない。
真っ暗な、伽藍洞。
ああ……そうだ。久世は、パパが雇った執事だった。
『僕のものじゃない』
パパが、タブレットの画面から、顔を上げた。
インカムのマイクを、口元に充てた。
僕が置かれた箱の中に、ノイズが鳴る。
スピーカーだ。
備え付けられたスピーカーから、僕のよく知るパパの、穏やかな声が流れた。
「聞こえるかい? 怜央」
僕は瞬きで返した。
「世界がどうしてこうなったか、ずっと知りたがっていたそうだね」
パパは淡々と、まるで明日の天気予報を告げるような口調で続けた。
「パパはね、怜央。この不自由で、美しく、重力に縛られた世界を、心から愛しているんだ」
スピーカー越しのパパの声は、僕の体に心地よく染み込んだ。
「だから、護りたかったんだ」
僕はまた、瞬きをした。
「ママは、よく頑張ってくれた」
慈しむような声音だった。
「エリは、この星に、触れ続けてくれた。
在来種の血で核に寄り添い、外来種の血で扉を閉じる。……高次元へと開き切ってしまわないように、ずっと、ずっとね」
ママ――今、どうしているのだろう。
胸の奥が、じわりと冷えた。
「おかげで私たちは、この三次元の安寧を享受できた。重力も、肉体も、個としての輪郭も、失わずに」
パパは穏やかに微笑んだ。
「だが――裏切り者が現れた」
パパの瞳に、影が落ちた。
僕が悪戯をして、パパに体を引きずられ、蔵の中に投げられた時――追い縋る僕を見下ろして、扉を閉める時の目と同じ。
「枷は外された。閉じられていた扉は、ゆっくりと、だが確実に開き始めた。
そして今、地球は昇華しようとしている。高次元へとね」
昇華。
その言葉は、僕の心に美しく響いた。
けれどどこか、取り返しのつかない終わりの気配にも聞こえる。
「怖がらなくていい、怜央」
パパの声が――どこまでも優しい、その声が、僕の胸に沁み込む。
「パパがついている」
うん、パパ。
「愛しているよ、怜央――お前なら、この星を繋ぎ止められる」
――それで、ママは、今、どうしているの? パパ。
なぜ、僕になら、それができるの?
僕の左目に、花が咲いた。
ガラスの箱が、内側から急速に凍りついていく。結晶化した「青」が美しい幾何学模様を描き、防護服の人たちが、悲鳴を上げて僕から後退した。
スピーカーのパパの声は、震える防護服のスタッフたちを叱咤するように、冷たく響いた。
「静脈麻酔を注入する」
パパが、手元のタッチパネルを操作した。
ラインに繋がれた白濁した液体が、点滴のチューブを滑り、僕の腕の静脈へと流れ込んでくる。
「パパ……」
僕は、やっと声が出た。
「怜央、落ち着くんだ。これは、お前のためなんだよ」
――分かったよパパ。
パパは、いつでも僕を……愛し、て…………




