いつも
僕は、儀式を見た。
見てしまった。
――ああ。まずい。
呼吸が、浅くなる。
ここで。こんなところで、倒れるわけにはいかない。
早く部屋に戻らなければ。
いや、戻ったところで。
久世はここ数日、この元病院を見て回っている。
部屋に帰ってくるのは、いつも夕方だ。
僕にアイマスクと、耳栓をするために。
僕らに用意された部屋は、二階の209号室。
個室の角部屋だ。
僕は平静を装いながら、手摺り伝いに階段を上り、壁伝いに部屋に戻った。
ドアを閉めた途端、僕は――床に……。
「はっ……はっ……はっ……はっ……」
息が――苦しい。
肺の奥まで侵食の青い粉塵が入り込み、僕の機能を内側から停止させようとしているのか。
僕はきっと。なにも処置されなければ、このまま、終わる。
けれど、そう。久世が処置をしてくれれば。
「はっ…はっ…はっ…はっ…」
なのに久世は、戻らない。
でも、そうだ。期待なんかしない。
いつもそうだから。
大事な時に。あいつは、いない。
なにが完璧な執事だ。
なにが僕を護るだ。
あいつは、僕が一番助けてほしいときに、いつもいないじゃないか。
使えない。役立たず。なんのための執事だ。
ふわりと体が浮いた。
「……っ」
青い花が咲いている端に、陶器のような肌が見えた。
久世だ。
――久世だ。
久世は僕をベッドに寝かせ、脚の間に入った。
弛緩して、力なく横たわる僕が、着ていたトレーナーの裾が捲られる。
久世の目から、青いものが零れ落ちた。
血なのか、涙なのか。
僕の腹に落ちてきたそれは、やはり熱かった。
その左手が、僕の口を塞いだ。
右手で持ったナイフで、僕は、左の脇腹を刺された。
「……っ!!」
呻き声は漏れずに済んだ。
掻きむしった指で、シーツを掴んだ。
引き抜かれたそこに、久世の唇が落とされる。
ああそうか。火掻き棒なのだ。
傷跡を、塞ぐための。
久世は、燕尾服を脱ぎ、ひくつく僕の股の間に、顔を埋めた。
「カナト……」
暫くして僕の体は、強張る。
僕はまた、シーツを掴んだ。
顔を上げた久世の唇には、青い光が散っていた。
さっきは、泣いていたと思ったのに。
今は、獲物の味を確かめた後のような、冷徹で空虚な目をして、僕を見下ろす。
熱い手が、僕の頬に添えられた。
そっと、優しい口づけが、僕の口を塞ぐ。
◇
あの後、僕はそのまま眠ってしまったのだろう。
アイマスクを外した僕の目に入ってきたのは、久世の寝顔だ。
気を失っているのと違って、穏やかだ。
燕尾服の下。彫刻みたいだ。
僕は規則正しく上下する久世の腹を、指でつついた。
「んっ……」
眉間に皺を寄せ、久世が漏らした声が、耳栓を通り抜けて聞こえた。
すぐに、呼吸は整う。
腕枕をするように、久世の手が伸びて、僕の頭の下に潜ってきた。
そのまま、抱き寄せられた。
こちらに寝返りを打った久世が、瞼を開ける。
目が合った。
起きているのかとも思ったが、久世はすぐに瞼を閉じて、僕をきつく抱いた。
その時の僕は、なぜか拒絶しなかった。
まだ、夜だったし、少し、肌寒かったから、久世の体温が、心地良かったのだ。




