病院
茨城県。
宗教施設。――病院跡。
『青の光の会』
崩れかけた外壁に、不釣り合いなほど丁寧に磨かれたガラス扉。
その奥のホールは、かつては待合室だったのだろう。長椅子が壁際に並び、受付カウンターの名残が、埃の層の下に沈んでいる。
そして、建物の中央。
床を突き破り、天井を貫く一本の、太い青い蔦。
それはまるで、ここが病院ではなく、標本室であるかのように、静かに脈動していた。
蔦の根元に、椅子が一つ、置かれている。
そこに座っているのは、三十代前半ほどの男だった。
厚手の、白色の検査着のような半袖に、七分丈のズボン。
肩に、長袖の紺色のカーディガンを羽織っている。
足は膝下まで青い結晶に覆われ、皮膚と鉱物の境界が、曖昧になっている。
指の何本かは既に人の形を保っておらず、細い蔦へと変質し、ゆるやかに宙を撫でていた。
目元は、黒いバンダナで覆われている。
彼は、教祖と呼ばれている。
彼の前には、白衣の者、パジャマ姿の者、普段着の者――
年齢も性別もばらばらの人々が、床に膝をつき、両手を組んで頭を垂れていた。
祈り――だろうか。
「……その日の朝」
教祖が、ぽつりと口を開いた。
声は穏やかで、拍子抜けするほど静かだった。
「夜明け前。私は、死ぬつもりだったのです」
数秒、間が空く。
蔦が、かすかに軋んだ。
「けれど、それは起こった。――神災」
それ以上、男は語らなかった。
誰も、続きを求めなかった。
ただ、静かに見ている。
変化か。
進行か。
侵食を。
僕は、柱の陰から、その光景を見ていた。
胸の奥が、ひどくざわつく。
……僕も、いつか、あれになるのだろうか。
その時だった。
白衣の男が、一歩、前に出た。
五十代前半ほど。
ひょろりと背が高く、無駄な肉のない体つき。
こめかみには白いものが混じり、穏やかな目元には、医師特有の「慣れ」が宿っている。
恐怖にも、異常にも、もう驚かない者の目だ。
彼は躊躇なく、教祖の手を取った。
そして――
手の甲に、細いメスを突き立てる。
ぶすり、と。
肉が裂ける音。
教祖の体が、びくりと跳ねた。
だが、悲鳴はどこからも、誰からも上がらない。
白衣の男は、教祖から流れ出た青い血を、舌先で確かめた。
味わう、というより。
性状を確認する、という仕草だった。
「……ふむ」
穏やかな声。
それから唇をつけて、啜る。
医師は淡々と、教祖から流れる血を絡め取るが、教祖は数秒ごとにびくりと体を震わせている。
暫くして、蔦は教祖の体の中心へ戻るように、指先からゆっくりと萎み始める。足を覆っていた青い結晶は、細かな音を立てて弾け、粉のように崩れた。
「――安定したようですね」
医師はまるで、風邪の経過を説明するかのような、優しい口調だった。
教祖は、椅子に座ったまま、動かない。
治ったわけではない。
救われたわけでもない。
また次が訪れるのを、その場で待つだけ。
白衣の男は、満足したように小さく頷き、静かに立ち上がった。
その横顔には、狂気も、興奮もない。
あるのは、ただ、臨床的な観察だけ。
僕の喉は、からからに乾いていた。
久世に、『あの儀式は、見てはいけません』と言われていた。
それでも僕は久世の目を盗み、この厳かで卑俗な儀式を、見に来てしまった。
柱の陰に身を潜めたまま、僕は動けないでいる。
――久世の言うとおりだった。確かに。
見ない方が、よかった。




