頭痛薬
二日酔いは耐えられないほど、僕の体を蝕んでいた。
頭の奥では、鈍い鐘のような音が鳴り続けているし。
少しの振動で視界が激しく揺れる度に、気持ち悪さが昇ってくる。
施設を歩き回る気力はなく、僕は自室に戻った。
ドアを閉めると、部屋の中の淀んだ空気が、じめっと体に纏わりつく。
結局、臭いベッドに横になるしかなかった。
うつ伏せで枕を掴んだ僕の心臓はバクバクして、眠ることもままならない。
ドアが、静かに開いた。
「……起きてるか」
鷹宮だった。
僕は驚いて、ベッドから飛び起きた。
直ぐに、耐えがたいほどの頭痛。
急に頭を動かしたせいだ――くそっ。
鷹宮は、手に持っていたものをサイドテーブルに置き、ベッドライトのスイッチを入れた。当然のように僕の隣に座り、足を、自分の膝の上に乗せた。
やめてほしい。靴底の汚れが、僕の布団に付いたらと思うと、ぞっとした。
「飲め」
そう言って渡されたのは、水が入ったコップと、タブレットが二つ。
白い。普通の、どこにでもある形の、錠剤。
「ただの頭痛薬だ。飲まないんなら、別に、構わねぇけどな」
その声は、昨日と同じ低さなのに、妙に柔らかかった。
僕は答えず、手渡された薬をじっと見つめた。
「そういえば、お前――久世って執事に、なにも聞かされていなかったのか?」
久世――今頃、なにをしているんだろう。
頭を……撃ち抜……。
吐き気が込み上げる。
そんなことない。
あいつは……
「酷いな」
ぽつり、と鷹宮が言った。
酷い……って、何がだ?
「可哀想に」
可哀想――?
僕が?
「辛かったよな」
僕は、同情されているのか?
「安心しろ」
――何が?
久世を――殺したくせに。
けれど、最初に会った時の粗野な印象とは違って、鷹宮はごく自然な動作で、僕の背中に手を添えた。
温かい。
指先が、ゆっくりと背中を撫でる。
一定のリズムで。
まるで、怯えた動物を、宥めるみたいに。
けれど僕は、動物じゃない。
「聞きたいことがあるなら、全部教えてやる」
押しつけがましくない。
命令でもない。
「いつまで手に持ってる。大丈夫だって言ってるだろ? それは本当に、ただの市販薬だ」
差し出されたコップ。
水面がわずかに揺れる。
僕はしばらく動けなかった。
けれど、頭痛は容赦なくこめかみを脈打ち続ける。
――考えるのが、しんどい。
結局僕は、薬を口に含んだ。
水で流し込む。
「いい子だ」
その一言が、妙に優しくて。
次の瞬間、肩が引き寄せられた。
僕の頭は、鷹宮の腕の中だった。
驚くより先に、体が硬直する。
逃げようと思ったのに、力が入らない。
彼の手が、僕の後頭部をゆっくりと撫でた。荒れた指先が髪を梳くたびに、僕の輪郭が、甘く溶け崩れていくような錯覚に陥る。
「痛いの、痛いの……飛んでいけぇ~ってな」
囁くような声。
その響きが、胸の奥に落ちた瞬間――
視界が滲んだ。
夕焼け。
畦道。
幼かった日の思い出。
転んで泣いてしまった僕に、母が同じ言葉をかけてくれた。
あの時と、同じ。同じもの。
違うはずなのに。
全然、違うはずなのに。
久世が、いないせいだ。
気づけば、涙が零れていた。
ぽろぽろと。大粒の涙がシーツに落ちる。
「お前、誰かに触れられていないと、壊れそうな顔してるぞ」
そんな顔なんか、していない。
けれど、鷹宮の優しさが、僕の心を揺らす。
拒絶すべきだと分かっているのに、体がそれを受け入れてしまう。
久世を殺した男だ。
「無理に強がるな」
低く、穏やかな声。
僕の指が、無意識に彼の服を掴んでいた。
自分でも気づかないまま。
鷹宮は何も言わない。
ただ、ゆっくりと。
一定のリズムで、僕の背中を撫で続ける。
頭痛が、少しだけ遠のいていく。
代わりに、思考が曖昧になっていく。
泣き疲れた子供みたいに、僕の呼吸が、ゆっくり落ちていく。
「……眠ればいい」
耳元で、そう囁かれた。
抗う気力は、もう残っていなかった。
瞼が重い。
意識が沈む。
そのときにあったのは、臭いシーツの感触でも、頭痛でもなく。
僕を優しく拘束する、逃げ場のない腕の温もりだった。




