一緒に
彼女は顔を上げた。
「ゆいです。泣いちゃって……ごめんなさい」
彼女――ゆいは、泣き腫らした目で、少しだけ照れたように笑った。
「こっちは、相棒のカイ」
ハスキー犬のカイが、僕をじっと見つめる。
背後の久世を視界に捉えた瞬間、低く重い唸り声を上げた。
動物の本能が、そこに立つ男を「天敵」だと、認識しているようだった。
◇
そこは、町の、侵食されていないスーパーだった。
『ララマート』という色褪せた看板を掲げた小さな店舗は、死んだように僕たちを迎え入れた。
正面には、数台の軽自動車でバリケードが作られ、自動ドアは固く閉ざされている。僕たちは、錆びた従業員入り口から、薄暗い店内へと通された。人の気配はない。
中はひんやりと冷たかった。ガラス越しの日差しは、店内には届かない。
店の通路には、布団が一組、敷いてあった。
脇には、幾つかのペットボトルが転がっている。
ゆいは、ペットボトルを端に寄せると、布団を畳んだ。
ここに来るまでに聞いた話では、彼女は大学一年生で、夏休みに実家に帰省した直後、この「終末」に飲み込まれたのだという。
僕と……似ている。
実家。夏休み。奪われるはずのなかった、平穏な未来。
そうだ――久世に言われるまま、東京に行かなくたっていい。
ここで彼女と、人間らしく生きていけばいい。
以前の僕に戻れる場所が、ここにはあるかもしれない。
僕はゆいに言った。
「僕の父は、御子柴財閥の当主なんだ。父に連絡さえつけば、きみも僕も、きっと助かる」
ゆいが目を輝かせ、足元のカイを見た。
けれど、商品棚の缶詰やカップ麺を手に取り、なにか確認しては、また棚に戻していた久世が、それを容赦なく踏みにじる。
「……ですが坊ちゃま。電波塔がただの鉄屑と化したこの世界で、その声は、どうやって届けるおつもりですか。空にでも祈りますか?」
ふざけたことばかり。
僕はもう、久世には屈しない。
「久世。これは主の命令だ。答えろ。父は今、どこにいるんだ」
久世は溜息を吐いて、汚れて濁ったガラス越しに、遠い空の向こうを見つめた。
「山の中です」
「は?」
「奥多摩の、御子柴家が所有する、研究所におられます」
僕は、怒りで震えた。
「なぜそれを……ずっと黙っていた――!!」
理性が止めるより先に、僕は久世の襟元を握り締めていた。
だが、久世の瞳は凪いでいる。その底知れない黒い色彩が、僕の怒りなど赤子の戯言だとあざ笑っているようで、余計に僕の指先を震わせる。
その時、背後からゆいの、か弱い声が聞こえた。
「あの――二人とも、喧嘩はやめて」
柔らかなその声が、僕を現実に引き戻す。
女性の前で、こんな醜い暴力を晒すわけにはいかない。
僕は、落ち着いて振舞うべきだ。久世から手を離し、乱れた呼吸を整えた。
パパが生きている。場所も分かった。ならば、僕はもう、久世の「人形」ではない。
僕はゆいへ向き直り、彼女の柔らかい手を握り締めた。
「だったら、ゆいさん。きみも僕と一緒に、東京に行かないか?」
息を呑むゆい。不安そうに、相棒のカイを見る。
ハスキーのカイが、舌を出して荒い息を吐きながら、僕たちの繋がれた手に、その前脚をそっと架けた。
「――もう少し。考えてみたい」
ゆいは言った。
繋いでいた彼女の手が、微かに震えている。
「ずっと、ここだったから。ここから出るのが、怖い……の、かも」
そう言ってゆいは、僕の背後に視線を移した。怯えているような目だ。
無理もない。いきなり現れた素性の知れない男が、迷いなくナイフを抜いたのだ。
「もちろんだ。直ぐに答えなくていい」
僕は、ゆいの手をそっと離した。
「けど、その――今日は、ここに泊まってもいいかな? 僕たちは、事務所で構わない。不安なら、外から鍵をかけてくれていいから」
「えっ、でも……」
「いいんだ。それがきみの、安心になるなら」
僕は努めて明るく笑ってみせた。
背後で、久世が小さく鼻で笑ったのが聞こえたが、僕は無視した。




