熱
冷たいものが、喉元に触れた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
次の瞬間、呼吸をするたびに、そこが擦れる感覚に気づく。
軍用ナイフだ。
鋼の冷たさが、僕の頸動脈の鼓動を、克明に刻んでいる。
そして僕の体から、青い川が、堰を切ったように溢れ出す。
「……っ、ふ、あ、あ”あ”あ”あ”!!」
喉の奥で、獣のような声が鳴った。自分の声だとは信じられなかった。
僕のうなじを、久世の大きな手が、強引に持ち上げた。
「……動かないでください」
耳元に、久世の声が落ちた。
低く、静かで、湿った声。いつも朝、僕を起こしに来る時の、あの澄んだ声とは似ても似つかない、泥を啜るような重苦しい響き。
「……すぐ、楽になりますから」
嘘だ。
久世の言葉なんて、一文字だって信じない。 痛みは沸騰した熱に変わり、熱はドロドロとした逃げ場のない快楽に書き換えられていく。
久世が傷口に唇を寄せ、僕から噴き出す「生」を、そして僕を蝕む「青」を、貪るように舐めとっていく。
久世の口腔の熱。それが、僕の理性を、一枚ずつ剥ぎ取っていく。
生かされている。
こんな世界で。
こんな痛みの中で。
生きる意味なんて、どこにある。
それでも、僕の血管の隅々には、久世から逆流してきた異質な「熱」が、迸る。
骨組みだけを残して、古い肉をすべて捨て去り、久世の肉で作り替えられるような感覚が――脳を焼く。
「……っ。……久、世」
久世は執拗に、僕の首筋を舐め続ける。傷口が塞がり、侵食が止まれば、それでいい。それで、久世の言う『調律』は済むはずだ。なのに。
「久世……」
僕が名を呼んだ瞬間。僕の唇に、血の味がする久世の唇が、暴力的な質量で押し当てられた。
拒絶する隙さえ与えられず、久世の意思が、僕の口内へ侵入してくる。
逃げ場を失った僕の呼吸は、久世の肺へと直接吸い込まれていくようだった。
それなのに、僕が必死に吸い込もうとした酸素は、すべて久世に奪われ、代わりに彼の熱い吐息が、僕を満たす。
脳が痺れ、脊髄を電流が走り、腰から下が、自分の物ではなくなっていく。
久世の腕が、折れそうなほど強く、僕を支える。
声を出そうとして、熱い息だけが、唇の端から漏れた。
久世が、わずかに唇を離した。
「久……」
名を呼び終える前に、再び塞がれた。さっきよりも深く、魂ごと飲み干すような、絶望的な口づけ。
意味は、あるのか。
考えようとする僕の意識は、まだ……抗いようのない熱に、浮かされていた。




