↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の言葉が壊れている ~女子高生ミサは、失われた世界の常識を取り戻す~  作者: 伝説の男前


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/27

魔法の価格

# 第二十二話 魔法の価格


朝。王宮東翼の部屋は、まだ半分の暗さの中にあった。窓の外が灰色から薄い青へ変わっていく途中で、塔の光だけが先に目覚めている。青白く、規則正しく、明滅している。


一拍。二拍。三拍——四拍。


半拍の遅れ。


五拍。六拍。心拍のように。けれど、四拍目が、いつもより少しだけ迷っている。


ミサは机に座り、羊皮紙の三行目を指先でなぞっていた。ざらついた表面が、親指の腹に伝わる。


『治す=傷が消える(本来)/時間がかかる(現在)』

『加護=誰かの選択(本来)/推薦と寄付(現在)』

『魔法=コスト以上の何か(未確認)』


三行目。「何か」。筆先で凹みをつけた痕跡だけが、羊皮紙の表面に残っている。インクを落とした場所ではない。ただ、押しただけ。その「何か」が、まだ何者かわからない。


扉がノックされた。三回。一定の間隔で。


「どうぞ」


エレノアが入ってきた。護衛がいない。金髪の髪が、まだ暗い部屋の光の中で淡く浮かんでいる。表情は変わらない。けれど、肩のラインが、昨日より少しだけ落ちている。王女としての重さではなく、別の何かを、今日は背負っているように見える。


「ミサ」王女は机の向かいに座った。「今日、魔力調整所に行ける」


一拍。


「技術者が二人いる。質問は三つまで」


三つ。昨日バルトから聞いた数字と違う。あのときは「その都度尋ねよ」だった。今日は、三つ。制限がつけられている。政治的な配慮か、それとも——


「分かった」ミサはうなずいた。鞄——羊皮紙の束とインク壺——を肩に掛ける。「行く前に一つだけ」


「何だ」


「殿下。一週間の期限、今日で五日目です」


エレノアは何も言わなかった。けれど、指先が膝の上で一度、動いた。羊皮紙の縁——ミサのものではない、王女自身の書類の縁——を、なぞった。一度。二度。三度。


「知っている」とだけ言った。


*


魔力供給調整所は、雷鳴の塔から東へ三百歩ほどの距離にあった。石造りの建物は低く、広かった。屋根の上に鉄の煙突が四本立ち、そのうち二本から薄い白煙が上がっている。壁面には、塔から延びる魔力導管が、鉄と水晶の接続部で分岐し、街の各施設へ配給されている構造が、図として描かれていた。


ミサは初めて、あの青白い光が「線」になっているのを見た。空を走るのではなく、壁の中を流れている。血管のように。けれど、より機械的だ。


玄関の前で、男が立っていた。五十代くらい。灰色の作業着に、胸ポケットからペンが二本突き出ている。指先にインクと油の染みがある。顔は痩せていて、頬骨が張っている。バルトと似ている——けれど、眼鏡がない。代わりに、瞳に疲労の色がある。


「魔力供給調整所、技術班、バルザである」男は言った。「王女殿下、ミサ様。この度はご来訪を」


礼儀正しい。だが、感情の色がほとんどない。バルトの声と似ている。事実を伝えているだけだ。


「質問したい」ミサが切り出した。「魔法の上限を決めるのは何か」


バルザは少しだけ目を細めた。質問の内容に驚いたわけではない。むしろ、答えを用意していたかのように、即答した。


「魔力の総量。個人の耐性。そして加護の等級」


三つ。列挙だ。説明ではない。


「耐性と加護の等級の関係は?」ミサが続けた。「訓練で変わるのか」


「訓練で高める。ただし、三年で一人前」バルザの声に起伏はない。「加護の等級は、神殿の登録に基づく。変えるには再申請が必要」


ミサはうなずき、内側に引き継がれた記録室へ向かった。バルザが先導する。足音が石畳の上で規則正しく響く。塔の光が、窓の外で明滅している。一拍。二拍。三拍——四拍。半拍の遅れ。確かに。消えない。


記録室は狭い。壁面に古い配置図が貼られている。羊皮紙ではなく、布地にインクで描かれたもの。年月を経て色褪せている。ミサは前に立ち、図を見上げた。


雷鳴の塔から延びる主導管。そこから分岐する十二本の支線。各支線の途中に、小さな円が配置されている。円の中に文字がある。読める。読めるけれど——


「これは」ミサが指差した。「ノード?」


バルザが図の向こう側から声を出した。


「許可ノードと呼んでいる」事実を伝えているだけだ。「各ノードが、流れる魔力に上限値を刻む。この街では、住宅区は三等級、商業区は五等級、神殿区域は七等級」


ミサの指先が、図上の円の一つをなぞった。


「つまり」声が、少しだけ硬くなる。「魔法の上限は、塔から流れる魔力の量じゃない。ノードが許可する量で決まる」


「その通りだ」バルザは答えた。迷いがない。「個人の魔力総量が十等級あっても、ノードが三等級を刻んでいれば、三等級以上は流れない」


一拍。


「耐性とは?」ミサが続けた。「個人の——」


「ノードへの適合度」バルザが言った。「三年の訓練で、自分の身体をノードの規格に合わせる作業だ」


ミサは羊皮紙を取り出し、筆を走らせた。大きく、はっきりと。三行目の空欄の上で、インクを落とした。


『魔法=言葉で現実を直接規定する(本来)/魔力を消費し、上限が許可される(現在)』


「何か」が消えた。「許可の構造」に置き換わった。三行すべてが埋まった。羊皮紙の表面に、ざらついたインクの筋が残っている。


ミサは筆を置いた。指先が少しだけ震えている。けれど、表情は変わらない。


(……つまり)


異世界小説では、魔法は自由だった。主人公が叫べば火球が出る。集中すれば風が吹く。訓練はするけど、本質的には「使える」力だ。誰かの許可を待たない。ノードを通らない。


けれどここでは違う。塔から魔力が流れてくる。ノードが上限を刻む。個人が規格に合わせる。三年かかる。「使える」のではなく、「許可される」。


魔法は、自然な力ではない。管理された力だ。


「バルザ」ミサが振り返った。「この配置図、何年前のもの?」


「……百二十余年」バルザは答えた。「塔の初代設計図の写しだ」


百二十年。ノードがある。上限値が刻まれている。個人が規格に合わせる。百年以上前から、こうなっている。


*


記録室を出たときだった。


バルザが、廊下の壁面にある導管の接続部を指先で叩いていた。コン、コン、コン。三回。一定の間隔で。鉄と水晶の接合部に、小さな音が響く。


四回目の音程が、一つだけ狂っていた。


ミサは足を止めた。振り返る。バルザの顔が、少しだけ引きつっている。指先はまだ接続部の上にある。動かない。


「……見えたか」


呟きに近い声だった。事実を伝えているだけのトーンから、少しだけ外れている。


「塔の拍動。半拍、遅い」


ミサは息を止めた。


「いつから」


バルザは導管の接続部から指を離した。掌に油の染みがある。インクも。職人の手だ。けれど、今はその手が少しだけ震えている。


「三日前」声が低くなった。「最初は気のせいだと思った。塔は二百余年稼働している。微細な揺れはある。けれど——昨日、測定器に数字が出た」


指先で、廊下の壁をなぞる。導管の経路を辿るように。


「〇・三秒。一定の間隔で、四拍目に」


ミサはエレノアを見た。王女は黙ったまま、バルザの指先を見つめている。表情は変わらない。けれど、唇が一度だけ動いた。言葉にはならなかった。


三日前。


塔の異常が、ミサとエレノアの二人の密談の外で、初めて測定された。羊皮紙に書く前の、数字としての事実。〇・三秒。四拍目。一定の間隔。


「まだ、上には報告していない」バルザは続けた。声は、また事実を伝えているだけのトーンに戻っている。「報告すれば、停電調査の枠組みになる。先月の三か所と同じ処理だ」


一拍。


「けれど——」


指先が、導管の接続部を再びなぞる。上から下へ。ゆっくりと。


「これは停電ではない」声が、少しだけ硬くなる。「拍動が遅い。心臓が、一拍、迷っている」


廊下が静かだった。塔の光が、窓の外で明滅している。一拍。二拍。三拍——四拍。半拍の遅れ。確かに。消えない。五拍。六拍。規則正しい。けれど、四拍目が少しだけ迷っている。心臓が、一拍、迷っている。


エレノアが先に口を開いた。声は低い。普段の柔らかさがない。


「……報告は?」


「まだしていない」バルザは繰り返した。「報告すれば、停電調査の枠になる。けれど、これは停電ではない」


ミサは羊皮紙を覗いた。三行が埋まっている。治す。加護。魔法。すべて「本来」の意味から離れている。制限されている。許可されている。管理されている。


そして塔は、一拍、迷っている。


*


馬車に揺られる帰り道。沈黙が長かった。


窓の外では、王都の屋根が次々と流れていく。煙突の黒い煙。誰かの笑い声。遠くで鐘が鳴る。塔の青白い光が、明滅している。一拍。二拍。三拍——四拍。半拍の遅れ。確かに。消えない。五拍。六拍。


エレノアが先に口を開いた。声は小さい。公の場ではない。けれど、王女としての重さがまだ残っている。


「バルザの口は、固い」一拍。「だが、三日前という数字は——」


言葉を切った。続けない。続けた瞬間に、政治的な枠組みが頭の中に立ち上がることを、知っている。停電調査。先月の三か所。報告書。承認。処理。


ミサは羊皮紙を覗いた。三行。すべて埋まっている。インクの筋がざらついている。指先でなぞると、まだ少しだけ凸凹がある。


「殿下」ミサが言った。声は落ち着いている。「三つ全部、同じ方向を向いてる」


一拍。


「制限されてる。誰かに。何を許可されて、何を拒否されているのか、まだ分かっていない」


窓の外。塔の光。青白く。明滅している。心拍のように。けれど、四拍目が迷っている。


「でも——」


エレノアが目を上げた。瞳の中に、塔の光が映っている。青白い。規則正しい。けれど、半拍、遅い。


「誰が」王女が聞いた。声は小さい。問いだ。怒りではない。探している。答えを、まだ探している。EP13でミサが言った——「お前の言う『おかしい』は、我々にとっては『当たり前』だ」。その「当たり前」の裏側を、今、指先でなぞっている。


「まだ分かっていない」ミサは窓の外を見た。「でも、塔は、その管理の一部だと、思う」


沈黙が落ちた。馬車が揺れる。石畳の上で、車輪の音が規則正しく響く。窓の外では、屋根が流れていく。煙突の黒い煙。人々の声。遠くの鐘。


塔の光が、明滅している。一拍。二拍。三拍——四拍。半拍の遅れ。確かに。消えない。五拍。六拍。七拍。八拍。規則正しい。けれど、四拍目が少しだけ遅い。いつもと違う。あるいは、気のせいではない。


羊皮紙の上で、エレノアの指先が動いた。


一度。二度。三度。


羊皮紙の縁を、なぞっている。ざらついた感触が、指先に伝わる。ミサは見ていた。見ていて、何も言わなかった。


馬車が揺れる。窓の外では、塔の青白い光が、規則正しく明滅している。心拍のように。けれど、四拍目が迷っている。半拍だけ。確かに。消えない。


羊皮紙の上に、三行が並んでいる。治す。加護。魔法。すべて「本来」の意味から離れている。制限されている。許可されている。管理されている。


そして塔は、一拍、迷っている。


馬車が王宮の門をくぐった。石畳の上で、車輪の音が止まる。窓の外では、塔が立っている。青白い光が、明滅している。


一拍。二拍。三拍——四拍。半拍の遅れ。確かに。消えない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。