四章 第八話「そして虹を成す」
エルキュールとロレッタの潔白を証明する者たちは、それから休む間もなく動き続けた。
ブラッドフォード邸ではグレンとルイスがアートルムダール関連の書類を右へ左へ読み漁り、その苦労をお付きのイヴが労うという光景が日夜続いていた。
「結局あのデュランダルのオーウェン・クラウザーはエルキュールに関して口を割らなかったそうだな。十五年前の戦役とその後の家族との交流の間にある空白を知る貴重な奴なんだが。黙っていたところで何の得があるんだろうな」
「愚痴を言っても始まらんだろう。エルキュールの経歴を知りたければこの書類の山をどうにかするしかない」
「そうは言ってもな。ここに書かれているのは悲惨な戦闘の様子がほとんどだ。闇の聖域から漏れ出した魔素によって活性化した魔獣の猛攻。汚染されながらも全力で抗い続けた戦士たちの、殺戮と狂乱に満ちた戦い……。前線にいた奴らの多くは魔獣の汚染が中枢部に回らないよう、穢された末端の手足を切り落としては魔法による攻撃に絞って抗戦していたという。そんな捨て身、今では有り得ない戦い方だろ? だがそれが正当化されちまうほどにあらゆる資源が枯渇していた。――リーベ史上最悪の時代に違いねえ惨状だったそうだ」
「その無惨な戦争を終わらせる転換点になったのが闇の魔人ナハティガル……今のエルキュール、ということか。それが真実なら間違いなく人類にとっての救世主だが……どうすればそれを証明できる? ここにある資料によれば、ナハティガルは琥珀の瞳に灰色の髪をしていて、魔素で作られた金色の剣を携え、絶大な魔力を有していたらしい。剣が云々の他は特徴も一致しているが、やはり本人の記憶かデュランダル幹部の証言が欲しいところか」
グレンとルイスは二人して頭を悩ませ重苦しい息を吐いた。そこにティーセットを持ったイヴが労うように茶を勧めた。
「ほら、グレン。ルイス様も。そんな顔をしていたら家のメイドたちも心配しますよ?」
「……へいへい。心配してくれてありがとな」
「なっ……違うってば! 私じゃなくて、家のメイドたちが! 都合よく勘違いしないでよっ!」
「はは……」
もはやこの数日間で慣れてしまった二人のやり取りに、ルイスは微笑ましいやら気まずいやら、何とも言えない表情で苦笑する。それと同時に、イヴの登場によってこれまで強張って意識が弛緩したのを自覚した。どうやらまた気づかぬ間に精神を消耗していたらしい。日がな一日書斎にこもって資料整理をしていれば当然なのだが、如何せん集中しているからか、いつもイヴが訪ねてくる頃になってようやく自分たちの疲労を知るばかりなのだ。
「ところで、気分転換ついでにひとつ聞いてみたいのだが」
ルイスはオルレーヌ産の香しい茶葉の香りを愉しみながらぽつりとつぶやいた。
「君たちの馴れ初めというのはどんな感じだったんだ?」
「な、ななな馴れ初めってルイス様! そんな言い方はおやめください! 誰がこんな軽薄な男とぉ……!」
「軽薄だ? オレほど紳士的な男もいないだろうが」
「嘘、大嘘! どうせ家を飛び出した旅先で女の一人や二人や何十人も引っかけてきたんだ! 私は知っているんだからね! ロレッタ様とも昔は仲良かったし……」
「別に引っかけてなんかねえし、いまのロレッタはあいつにお熱だからな。ってことでオレはいま絶賛フリーダム、口説き放題やり放題なわけだ。安心しとけ」
「安心なんかしないわよっ! なにその卑猥な言葉!」
この調子が二人の平常運転だというのはもうとっくに知れていた。ルイスは落ち着き払って茶を啜りながら相槌を打った。
「こいつとの出会いってのはお袋の経営してる孤児院絡みだ。親父に連れられていった先で出会った躾のなってない野良犬みてえなこいつは、オレを見るなり噛みつこうとしてきて……孤児院での素行も悪かったからブラッドフォード家で直々に面倒を見ることになったわけだ」
「……なんか話を盛られている気もするけど……。私に更生の機会をくださったアンドレア様には感謝しています。正しき縁に寄り添えば、人は必ず良きほうへと向かっていける。今回のエルキュール様の件だってそうだと信じています」
「――それには同感だ。彼がヌールの街で家族といた様子を一瞬見かけたが……あれは美しい絆だった」
「そういえばお前だけなのか。エルキュールの家族を知っているのは。念のために家族とコンタクトを取るようになったときは、あてにしても構わねえのか?」
「……いや、それは……」
ヌールでの出来事はルイスにとっていい思い出ではない。俗にいう黒歴史というべきものである。あのエルキュールの妹のアヤを無礼に口説いたあたりは特に触れ難い。
ルイスが言葉に窮しているのを、目敏いグレンはその裏にあるものを嗅ぎ取って巧みに追撃してきた。結局、アヤとの間にある恥ずかしい一幕はこの憩いのひと時に添えられる語りぐさとなってしまったのだった。
捜査の一環として教会を訪ねていた六霊守護のジェナ・イルミライトは、拠点としている宿へ帰ってくるとすぐさま室内の姿見にビジョンの魔法を付与すると、とある人物に連絡を取り始めた。
「――ジェナか。予想よりも早かったな。余の認識では、こういう場合そなたはあまり家を頼らない傾向にあったはずじゃが」
「それだけ私も成長したということです。私にできることは何でもしないと、きっと後悔しますから」
「魔人エルキュールのことじゃな」
姿見の向こうに映る寝殿に座すエヴリンは、事も無げに彼の秘密を看破してみせた。そのことにジェナが思わず目を瞠ると、呵々と不敵な笑みが返ってきた。
「その狼狽えた貌……またしても余が彼に危害を加えるのではないかと危惧しているな?」
「……彼に罪が無いとはいえ、彼の力には私たちも計り知れない未知の部分が多くあります。それを嫌って、おばあ様が自ら動かれることは十分にあり得ますでしょう?」
「確かに。この地に変革をもたらす闇魔法を嫌っていた余がそうするのも不思議ではないじゃろうな」
またしてもジェナの表情が険しくなる。遊んでいるのか、対してエヴリンの表情は愉しげだ。
「ふ……良い目をするようになったな、ジェナ。とうに己が使命を見定めたと見える」
「私は――彼を導く光になる。決してその力を誤った方向には向かわせない。そして傍で支えたい。それは私個人のためでもあるし、世界の為にもなると信じています」
「……力。言い換えれば魔法か。彼の、エルキュールの可能性を心から信じておるのじゃな。……まあ、それには少しの私情が混ざっているようにも思えるが」
今度は本心を見透かされて頬が赤くなるジェナ。エヴリン専用のすまし顔も徐々に解け始めていく。
「……否定は、致しません。彼はあのとき、自分の秘密を打ち明けてまで私を励ましてくれた。裏切ったのに一つの不満も零すことなく手を貸してくれた。私にとってかけがえのないヒト。将来的には伴侶としてイルミライト家に迎えたいとさえ思っているほどです……! ゆえに、いま囚われている彼は何としても開放しなければなりません」
「……そこまでは聞いておらぬが。まあよい。知っての通り、聖域を守護せねばならない余はソレイユ村を離れられん。代わりにヘクターと何名かの戦士団を遣わす。情報の捜査、敵との戦闘……如何様にも用いるがよい。そなたは六霊守護の名代として、この窮地に光をもたらしてみせよ」
「おばあ様……はいっ! 私、精いっぱい尽力いたします!」
かつて途絶えかけた血の絆は、今では確かに結ばれている。そのことに心強さを感じたジェナは、朗らかな笑みで了承した。
王国騎士団の地下牢の一角。エルキュールとロレッタはそれからも窮屈な時間を強いられていた。基本は薄暗く固い部屋で過ごし、偶に面会や事情聴取を受け、国の魔術師たちによる魔力検査も行われた。結果、二人の魔力は現存するイブリスと類似しており、やはり人ならざる力を有していることが認められた。
異端者は得てして排他される。その常識を痛いほど知っているエルキュールは、ロレッタが落ち込まないよう言葉をかけたが、返ってきたのは思惑を外れたあっけらかんとした態度であった。
「別にそこは気にしていないわ。貴方も私も、常人とは異なることくらいとっくに知っているもの。……むしろ貴方と似ている部分が少しでも多い方が、今の私からすると嬉しいかしら」
「…………やはり、不思議だな。君にそういう風に言われると、どこかまだ違和感がある」
「それって、前みたいに冷たく当たられるほうが良かったってこと? それとも、貴方に一度救われたからといって、これまでの態度を簡単に翻す軽い女が嫌いってことかしら?」
「強いて言えば前者なのだが……違うな、そういわけでもない。ただ、今一つ君からこれだけのことをしてもらうほど、俺は大した存在ではないと思ってな。君は、イブリスに纏わる研究によって全てを破壊された。以前のように魔獣と心中してでも駆逐せんとする危ない在り方には戻ってほしいわけじゃない。ただ、俺の存在は……果たして君にとって簡単に肯定されるべきものなのか?」
薄暗い牢屋で俯きながら呟くエルキュールに、ロレッタは呆れたように目を覆った。
「馬鹿ね。前も言ったけど、元々悪かったのは私のほう。貴方の存在に罪はない。私がこうして貴方の傍にいるのはそれを証明したいからよ。人間を救って、姉さまを救って、そして私を救ってくれた。それは誰にでもできることじゃない尊いこと。……でも、貴方が自分のことを疑うならそれでもいいわ。私が代わりに信じているから。貴方が自らの不幸を黙って受け入れるつもりでも、私はそんなのは嘘だって代わりに怒るわ」
そしてロレッタは項垂れる魔人の頭を撫でて決意の眼差しで告げた。
「それでも自分を信じるには足りない? だったら、もし本当に貴方が道を誤ったその時は、私が何としてでも止めてあげるわ。私はこれでもシスターだもの。市民の道徳心に寄り添うことは得意なのよ?」
「……ははは。あれだけ暴れ回っていたのに、今更シスターの話を持ち出すのか。でも……それもいい。君が誰かを愛し、守るために力を行使する姿を、俺も近くで見てみたい。そのためには、この状況を乗り越えて光ある明日を掴まなければな」
「うん、そうよ。その調子。私をここまで導いてくれた貴方自身を、どうかもう少しだけ信じてあげて」
ようやくエルキュールの顔に光が戻ったことに安堵したロレッタは、今一度この大切な存在を守り切ると固く胸に誓ったのだった。
騎士団本部の最奥。騎士団長ロベールの執務室に招かれたオーウェンは、旧友の険しい表情に苦笑を零しながら対面の椅子へ徐に腰掛けた。この後に起こる全てを察したうえで、なお余裕を損なわない態度。デュランダルの執行部長ともなれば、これしきの緊張感など取るに足らない些事であった。
ロベールはその不遜とも取れる姿にますます心労をあらわにして溜息をついた。心なしか顔の皺が濃くなったようにも思えたが、それは流石に口には出さないオーウェンであった。
「そなたを呼んだ意味などとっくに知れているだろう? なのにそこまで悠々と構えられるとこちらも大層やりづらいものだ。……それとも、そうすることでこの場の機先を制したいという思惑だろうか」
「世辞は止さぬか、ロベール。舌戦で貴殿に敵うとは端から思っておらぬ。どうせ話題というのは暗くなるのが必定なのだから、せめて心は明るくあろうという拙者の粋な考えの表われだよ」
「相変わらず飄々と。まあよい。では直入に尋ねるが、そなたの知るエルキュール殿とはいったい何者なのだ?」
予定調和のその質問に、オーウェンは微笑みを絶やさずふと目線を上げた。黒く艶やかな髪が揺れ、昔日の影を残す美麗な顔が明かりに照らされる。じっくりと時が流れる。ロベールはその能面から彼の思考を読もうとしたが、やはり上手くはいかないのだった。
それからもう少し経ったあと、オーウェンは低く「ふむ」と漏らし、そっとその顔から笑みを消した。
「彼は、拙者の恩人であり……目標でもあった。あの戦役の日に見た絶大の力を、今もなお追っている。王都の街で再会した時は驚かされた。彼のほうは、記憶を失くしているようであったが」
「……エルキュールが、かつてアートルムダールの戦役で活躍した魔人だと……認めるのだな」
「拙者が認めるも何も、それはもはや歴然とした事実だろう? 水都ブロニクスで起きた事件の報告書には目を通したが、あれはかつてのナハティガルと同種の魔力を有している上に、覚醒した際の外見も記憶と一致している」
「……なるほど。それと、ここまでの口ぶりから察するに、そなたはエルキュールを件の魔人だと知っていたうえで彼をデュランダルに引き入れた。そういうことだな?」
「そんなに冷たく指摘せずとも後で説明しようとは思っておったのだがな。よもや拙者が煙に巻くとでも?」
「ああ、そなたは友人ではあるが決して油断してはならないと心得ている」
「手厳しいものだ。しかしそこが貴殿の美点でもある。……ああ、済まぬ。気づけば話が脱線していたな。エルキュール殿を以前から知っていたのは本当だ。他の幹部連中も最初は気づいておらぬようだったが、今ではもう把握しているだろう。デュランダルの意思としては、彼の力は必要不可欠であり……今回の裁判にはできる限りの協力を行うつもりである」
「確かにそちらの研究部長のローリーには、エルキュールやロレッタの魔力測定の件で世話になった。結果、彼らの魔力は現存の魔物に近しいことが明らかになった」
「おや、それでは逆に不利ではないか? 市民感情を考えれば、彼らが魔物に近しい存在であると知らされるのは避けたかったことであるな」
「……ふう。その表情。露ほどもそうは思ってなさそうだ。そなたの部下が窮地に立たされているというのに、上司という者がこれだけ悠長に構えているというのもまったく嘆かわしい」
「騎士団を治める者の有難いお言葉、しかと受け取っておこう。……さて、そろそろ拙者はお暇させていただく。貴殿のように手厳しい輩の相手がこの後も控えておるのでな」
席を立ち、白の外套を翻し背を向けるオーウェン。ロベールはここぞとばかりに双眸を光らせた。
「そなたはアートルムダールの戦役の後、ナハティガルが消息を絶ったことについて何か知っているな。――戦役が終わり、エルキュールがラングレー家に引き取られるまでにあった空白に、そなたが関わっているはずだ」
今まで最大の緊張が場を支配する。悠久かと錯覚する時の流れの先、月影の剣匠は振り返らぬまま告げた。
「……質問ではなく断定か。ならば冗長の言葉も必要あるまい。貴殿の予想は当たっておろう。しかし拙者の口からいま真実を語るわけにはいかぬのだ。……友との、約束があるゆえ」
凄みさえ感じさせる低い声色で言い残すと、オーウェンは執務室を後にした。
その姿が見えなくなるまで見送ったロベールは、背もたれに身体を預けると天井を仰いでそっと目を閉じた。
「……約束、か……。彼からそんな言葉を聞こうとはな」
斯くして各人が慌ただしく過ごすうち、瞬く間に一週間の時が過ぎた。
エルキュールとロレッタの審判の日は、既に前日まで迫っていた。




