四章 第七話「翠の思惑」
「えーっと……そのぉ……キールマン総帥はただいま席を外しておりまして……」
「……ほお。あの狸め。自ら言づけておきながら不在とは……まさかおれ達との約束を忘れ、のこのこ散歩にでも行っているのか?」
「ヴォルフ、そのような戯言をのたまうのはやめたまえ。アリス嬢が困惑している」
デュランダル本部のエントランスにて。壮齢の偉丈夫の二人が、小柄な受付嬢にまるで詰め寄っているかのような光景は少し不穏めいていた。他の職員は気にする素振りを見せずに粛々と働いていたが、そのほとんどは同情の念を隠せないでいる。
男二人組の片方は、彼のブラッドフォード家当主にして紅炎騎士の名を馳せるヴォルフガング・ブラッドフォード、そしてもう一人は伝統ある王国騎士団の中でも屈指の実力者であるロベール・オスマン騎士団長であった。王都ミクシリア、ひいてはオルレーヌ王国きっての要人ふたりから詰め寄られれば、並の人間は針の筵にいるかのような感覚に陥るだろう。
デュランダルの受付に就任してから間もないアリスは、全身に冷や汗を流しながらあの飄々とした総帥を恨んだ。ヴォルフガングとロベールがデュランダル特別捜査隊のエルキュールの件でここを訪ねることは、昨日時点で各所に知れ渡っていた。にもかかわらず、今朝になって「ほほ、悪い。急用ができたわい」などと出かけて行ってしまったのだ。
そんなことを馬鹿正直にこの二人へ言い訳することもできるはずなく、アリスはひたすら低頭して場を鎮めようと努めた。
して、その健気な姿勢が精霊に届いたのか。エントランス前の魔動機械の自動ドアが開き、この面倒を起こした張本人が何食わぬ顔で戻ってきた。その傍らに、意外な人物を連れだって。
「おお、すまんなお二人さん。此度の会合に急遽もう一方加わることになったゆえお迎えに上がっておったのだ」
「……なんだと、もう一人? と、これはこれは」
平時よりも格式高い黒スーツを着込んだキールマンが指し示した先には、光を放っていると見まがうほどの美しき少女が佇んでいた。
背中にかかるほどの金髪に白銀のティアラ。清澄なるオルレーヌ風の純白のドレスが映えるは、あのエルキュールに並んで今回最も注目を浴びている御仁であった。
「ごきげんよう――ロベール団長、ヴォルフガングさん。お二人とキールマン総帥のお話合い……わたくしも参加され頂いてもよろしくて?」
クロエ・ド・フォンターナは優雅に微笑む。王国きっての傑物二人に対し一切の怯懦もなく、ただ有無も言わせず。
◇◆◇
デュランダル本部最上階。総帥室の中には微妙な緊張感が漂っていた。応接間のソファに憮然とした表情で腰を押し付けるヴォルフガングと、それを宥めつつ周囲に注意を巡らす如才ないロベール。その対面で供された紅茶を美味しそうに啜るクロエに、少し離れた執務机からその様子を微笑ましそうに見つめているキールマン。アンティーク調の置時計の針を刻む音だけが暫く場を支配していたなか、取りあえず話を進めようと口を開いたのはロベールであった。
「……ふむ。殿下の思惑について尋ねるのは取りあえず後回しにしましょう。まずは、キールマン総帥に答えていただきたい。貴方はエルキュールが人間でないと知ってて彼を雇った、それに違いありませんか?」
「なぜ決めつけるような……と言っても、状況証拠を並び立てれば当然の結論じゃな」
「ブロニクスの事件で判明したのはエルキュールが魔人であること、そしてその起源が闇の聖域アートルムダールにあるということ。十五年前……彼の地の戦役で活躍されたデュランダルの面々が無関係であるはずもない」
「その通り。わしの他、執行部長のオーウェン、事務部長のグロリア、そして研究部長のローリー。この4名だけではあるが、エルキュールくんの正体については半分程度は理解しているつもりじゃよ」
「半分だと……? どういう意味だ、もっと詳細に話せ」
閉じていた両目を開けて、黙していたヴォルフガングが口を開く。
「おれの弟カルヴィンがあの戦役で逝ったのはお前も知っているだろう。ふだんの間抜けぶりもこの時ばかりは許さぬ」
「……分かっておるわい。あの戦いで傷を負ったのはお主だけではないからの」
キールマンはわざとらしく咳払いすると、似つかぬ真剣な顔つきで話し始めた。
「あの戦役を終わらせるために、当時エスピリトの故郷を失ったオーウェンたちと教皇のルクレア殿が戦場で出会ったという闇の魔人――ナハティガル。圧倒的な魔力と金色の剣を携えた圧倒的なイブリスじゃった。彼は古の時代に闇精霊が遺した被造物であり、何やら大きな使命を宿していたそうな。だがそれはもはやヒトが支配するヴェルトモンドには関係なく、ただその運命は閉ざされていた。オーウェンが彼を説得し魔物との戦争を終わらせるために協力を取り付けたのは、まさに現代における最大の転換点じゃろう。さもなくば、アートルムダールと闇の聖域は完全に魔の軍勢に呑み込まれていた」
「……要するに。総帥、その魔人というのが、あのエルキュール・ラングレーと同一人物であると貴方は言いたいのでしょう。しかしエルキュールは元々エスピリトのアザレア村で、人間の家族と暮らしていたという。そして、そもそも彼にはその戦役時代の記憶はなかった。つまり十五年前の戦役が終わってからの彼の経歴については未だ謎がある……そうではないですか?」
「そう、問題はそこなんじゃよなあ。これに関してはオーウェンが何か知っているじゃろう。かつてのエルキュールと最も親しかったのは彼じゃからな。だが奴はこの件に関してあまり話したがらない。それとなく探りをいれてみたが、どうやらナハティガル本人との間にとある約束があるようじゃ。先ほど『半分』と言ったのはこういうことになる、理解してもらえたかの?」
「……ふん、なるほどな。さらに情報を集めるにはエルキュール本人か、オーウェンの奴を捕まえて聞くしかなさそうだ。念のため聞いておくが、部長連中は住民どもの反イブリス感情をなだめるために動いているってところか?」
「然り。ヴォルフ坊はオーウェンとは親しいようじゃが、今回接触するのは難しいかもしれぬな」
「ヴォルフ坊はやめろ、古狸め。騎士学校生時代からのよしみとはいえ、おれはロベールほど優しくはないぞ」
「……私も坊よびは困るのだが。まあいい。総帥の話は概ね理解できた。むろん予想通りだった部分もあったが。――問題なのは、殿下。貴方が今回の大立ち回りの中なにを目指しているかです」
ロベールの鋭い指摘が空気を震わす。先の比較的和んだ雰囲気など嘘のように静まり返っていたが、その緊迫においてもクロエの態度は一向に崩れなかった。手にしていたカップとソーサーを丁寧に机に置くと、優雅に口許へ手をやって微笑んだ。
「目指す? わたくしはただ人道的な判断を下してエルさんを捕らえただけですわ。まるでわたくしが良からぬことを企んでいるかのような言い方はよしてくださいませ」
「失敬。しかしブロニクスの民衆の感情を爆発させないように振る舞ったところまでは理解できますが、いまなお彼の罪を立証しようという立場を貫かれているのは疑問が残ります。彼のこれまでの貢献を思えば、そしてブロニクスでの戦いにおける不可抗力を考慮すれば、むしろ貴方ならば彼の咎について情状酌量の余地を見出さそうと動くものだと思っておりました」
「確かにその考えは理にかなっているかもしれませんわね。わたくし、こう見えてエルさんのことをお慕いしていますもの」
なにが「こう見えて」なのかと、各人の雄弁な沈黙が響いたような空気が流れる。いかなる時も余裕を持つべしというクロエなりのアピールだったが、今回に限ってはあまり良い手とは言えなかったようだ。彼女はこほんと可愛らしく咳払いすると、その心の奥に隠された真意を語り始めた。
「……今回の立ち回りに関して、個人的な意図があるのは認めます。ここにいらっしゃる方々は誰もが傑物であり、そして先のお話にあったアートルムダールの戦役の当事者です。その一方で、わたくしは風の妖精などともてはやされ、類まれなる才覚を持って生まれたにも拘わらず……人類の未曽有の厄災に対し何の役にも立てませんでした。何たることでしょう。これでは生まれてきた意味などない。この力には価値がないではありませんか。それだけは嫌なのです。決して認められるものですか。ですから、わたくしは知らなければならない。アートルムダール戦役の真相を、エルさんの正体を。過去の戦役から続く因縁は現在に続いております。アマルティアと精霊の存在、闇の聖域の封印が弱体化していることがそれを物語っているでしょう」
クロエの口調は大人しくどこまでも静かであったが、そこに込められた怒りと後悔は真であった。王族として、魔法士として、戦士として。戦場に間に合わないことは、民の力になれなかったことは、何よりも耐え難い自責の念となる。それを分からない三名ではなかった。ここに居る者は皆、戦を知る者。手のひらから零れ落ちる雫の尊さを知る者なのだ。
「エルさんの正体を明確にするのがわたくしの目的です。これが彼にとって負担を強いることは存じております。しかしブロニクスでの事件が起こってしまった以上、隠し通しておくことは王国にとって不利益をもたらすでしょう。オルレーヌ民とエルさんが共存するためには、もはや真っ向から潔白を勝ち取り、民たちの信頼を得ていただくほかないのです」
「……成程、これは恐ろしいほどに効率的な策だ。我々が弁護しきれば王国は強力な鬼札を得る。逆に民たちの疑念を晴らすことが叶わなければ、大義名分のもと不穏分子である彼を排除できる。確かに彼には、ブロニクスの他にも魔獣の事件と関係している疑いがありますから」
ロベールは得心した様子で口許に手を当てて思案を巡らせた。
アマルティアが蔓延る現代、イブリスの特徴を持つエルキュールの存在は何もしなければこの先必ず民たちの不安と恐怖を煽り続けることだろう。ブロニクスの街でマリグノを倒すために、彼が魔人としての力を衆目の前で解放した限り仕方のないことだ。ならばいっそ大々的にこの件を取り上げて審判を下すというクロエの考えは暴力的ではあるが理にはかなっているといえよう。
一息ついたクロエの翡翠の目が、不敵に光り輝いた。
「わたくし、今回は何としてもエルさんを見定めるつもりです。わたくしがアマルティアと戦うためには彼の力が必要ですから」




