四章 第九話「萌芽~オルタナティブ~」
薄暗い地下牢にしばらく幽閉されていると、暇を持て余したエルキュールの脳裏には、ふと昔日の出来事が思い起こされるようになった。
時は十年前。エルキュールがエスピリト霊国のアザレア村に住むラングレー家に引き取られてすぐの時期のことである。当時の彼は今よりもよほど人間味に欠け、起きているようで眠っている、仮死状態とも言える状態で日がな一日ベッドで横になるだけの生活を送っていた。
それはひとえに著しい魔素欠乏によるもの。魔人であるエルキュールには定期的に外界から魔力を吸収しなければならなかったのだが、そのときの彼は心臓部であるコアの機能不全に陥っており、また狭い村社会でそのような目立つ動きをすれば、人類の敵である魔人を匿った家族の罪が白日の下に晒されてしまう。二重の束縛。彼は自らの居場所に疑問を持ちながらも、「家族」というヒトの言葉に含まれる互恵的な関係を必死に守ろうとしていた。
一家の母であるリゼット・ラングレーは花を用いた装飾品づくりに長け、日中は外に出て村民から引き受けた仕事をこなしていた。エルキュールは折を見て、彼女に尋ねたことがある。「なぜ自分を引き取ったのか」と。彼女は笑って、「あなたの瞳に光を見たから」どうやら彼女にとってエルキュールという魔人は他の魔物とは一線を画した存在であると認識していたようだが、その決め手となるのは何であったかは分からず、また教えてももらえなかった。
日中忙しい母の代わりによく傍でエルキュールの回復を見守ってくれたのは、その娘であるアヤ・ラングレーという少女だった。彼女は人見知りが激しい性格のようで、出会って間もない頃はエルキュールの眠る寝室のドアからこっそりと様子を窺っては隠れてばかりいた。
エルキュールがしばらく観察していると、その過剰な防衛反応は村の子供に上手く馴染めないことや魔法の授業での失敗から自尊心に欠けていることなどの原因があると分かった。
幸い、魔人であるエルキュールは魔法は誰から教わるでもなく得意であったため、体調に問題ない時は彼女の勉強をしばしば見るようになった。
「アヤ、光魔法ライトの魔素配列は――もう少し正方形に近く――」
「……? え、えっとぉ……うう、ぐす……」
「――ああ――泣か、ないでくれ――。そうだ、手を繋ごう」
「ん? おてて? ……んしょ……これで、いーかな?」
「そうだ――偉いな。そうしたら、俺が今からライトを放出するのを――その手を通じてよく感じるんだ」
「……で、でも……いっぱいべんきょーしてもわからなかったのに、できるのかなあ……」
「出来る。言語による理解は魔法の真髄ではない。己の魔力を知覚するのがその第一歩なのだ。だから、我――いや、俺が。お兄ちゃんが道を示す。――ついてきてくれるか、アヤ?」
「……! う、うんっ! わたしがんばるっ」
「いい子だ。よし――ライト。ふむ――灯った。では――いま俺に流れた魔力の流れを――君の中で同じようにしてみるんだ。安心して――真似ればいいだけだ」
「うん……じゃあ――ライト! あうう……ひかりがすぐきえちゃう……」
「自分の中の魔力をイメージしきれていないせいだな。――大丈夫だ、何回でも実践しよう」
「で、でもっ……エルキュールさ――お、おにい、ちゃんは、からだがよくないって、おかあさんが……」
「問題ない。ライトのような初歩的な魔法ならな。それより……――ライト。ほら、もう一度だ」
「うん……。――ライト! あ、さっきよりもいいかんじかも……?」
「君は覚えがいいな。その調子だ」
「……え、えへへ。そう……? じゃあ、が、がんばるね……? ――ライト。――ライト。――ライト。――――あ、みてっ! ぴかぴかがきえなくなったよ!」
「ああ――見えている。優しく、温かな、光だ――」
「……っ。お、おにいちゃん……あの、ね?」
「どうした?」
「……あ、ありがとう。わたし、がっこうでももっとがんばるっ……!」
この件がきっかけか、アヤは徐々にエルキュールに対し心を開くようになり、性格もより朗らかになっていった。よく村の森に出かけては、夜行性の花々をエルキュールのために摘んで帰ってきた。夜に生きる植物は闇の魔素を豊富に含んでおり、それがエルキュールのコアを回復させるのに有用であったのだ。
「お兄ちゃん、これ今日つんできたお花だよ。まりょくほじゅー? だっけ。その助けになればいいなって」
「……――ああ。アヤか。いつもありがとう。おかげで体調も安定している」
「うん、ならよかった。お兄ちゃんが早く元気になればいいなって最近ずっと思うんだ。わたしが学校でも上手くやれてる姿をお兄ちゃんにも見せたいの」
「――そうか。しかし、君から話を聞けるだけでも――俺は、十分だ。花々が発する魔素も――ありがたい」
「……えへへへ。じゃあ、今度はお母さんに頼んでもっとたくさんお花あげるね? そうしたら、もっとお兄ちゃんといっしょにいられるよね?」
「――ああ、きっと――な」
魔人の兄と、人間の妹。ふたつの命はお互いを支えて生かすようになり、母はそんな子供らを微笑みながら見守っていた。アヤから貰った花の魔素によって活力を取り戻したエルキュールは、より家族との交流を志向するようになった。
だが、慎ましくも温かな日々を送る中、よりヒトらしく咲こうとしていたエルキュールの精神を揺るがす事件が起こった。
アザレア村から少し行った森は色とりどりの花々の群生地であり、ラングレー親子の得意とする場所であった。兄のためにそこへ足繁く通っていたアヤは、その日不幸なことに魔獣の群れに囲まれてしまった。草木から発せられる魔力は微細なもので、通常ならば魔獣を惹きつける性質もないはずである。その油断を嘲笑いにでも来たのか、痩身の狼型の群れは幼気な少女を舐めまわすように追い詰めていった。
「お兄ちゃん、た、たすけ――!」
あわや、汚染される。アヤが絶望した瞬間――漆黒の魔人が目の前に立ちふさがり、一瞬にして魔物どもを殲滅したのだ。いつか彼女に教えた初歩的な魔法などとは比べ物にならない、驚くほどに洗練された闇魔法であった。
全身を覆う黒の痣と鳴動する胸のコア、発光する瞳はヒトならざる者の象徴であり、内に眠りし力を解放した魔人は暫し後悔するようにそこに立ち尽くしていた。
しかし、すぐに己の為すべきことを思い出したのか、振り返ってはなおも怯える妹をそっと慰めた。
「アヤ――村が、襲われている。すぐに、母さんのところへ行こう。立てるか――?」
「……うん。わたし、お兄ちゃんがいればへいき、だから……」
二人が村へ戻ったとき、そこには絵に描いた如き凄惨が嫌味なほどに広がっていた。燃える家屋、血を流し倒れる人々と魔獣の死骸。至る所に散見される争った形跡。村民は逃げ惑い、焼かれる村を捨てて小高い丘へと避難した。
幸い母リゼットとは合流出来たが、逃げ延びた先で待ち受けていたのはさらなる試練であった。
「俺は見たぞ! この男、実は魔人だったんだ! ラングレー家は魔物を匿っていた!」
「おらっ! てめえが魔物を呼び寄せたんだろ! このコアは魔人の証拠、あいつらと同種である証明だ!」
放心するエルキュールを嬲る村民に、アヤとリゼットは割って入って彼を救出し、三人は人間の悪意から逃れる旅を始めた。騒ぎを起こした以上、エスピリト霊国の地は離れたい。リゼットの提案により、彼女らは北東にあるオルレーヌ王国を目指し始める。
旅は想像以上に過酷だった。ヒトの悪意を始めてぶつけられたエルキュールは、人間との関わりを疎んだ。「俺のことなど置いて行ってくれ。二人はまだ――引き返せる」そんな言葉を、アヤもリゼットも決して肯定しなかった。
荒野を行き、山々を行き、湿地を行く。三人だけで、他の人の手を借りず。ヒトの手の介在しない地域では魔物が猛威を振るう。エルキュールが逐一それらを掃除して道を拓き、休む際はアヤとリゼットが簡易的な拠点を都度作って雨風を凌いだ。
これが母娘の負担にならないはずがない。ひとりは少し花に詳しい一般の女性にすぎず、もう一人に限ってはまだ初等教育を受けるべき子供である。こんな生活を続けていいはずがない。この世界にとって異分子なのは魔人であるエルキュールだけ。彼女らが同じ業を背負う道理など、はじめからどこにもないのだ。
「やはり、やめるべきだ……母さん。俺のことなど、放っておけばいいじゃないか。君たちが人間らしい生活を失っていくのを近くで見るのは辛い。この旅に果たして意味はあるのか?」
「あら、しっかりと考えてくれるのね。お母さんは嬉しいわ。……それにしても、意味……ね。難しいことを言うわね」
「だが意味は必要だ。そうでなければ、全ては徒労になる」
「ううん。そうとは限らないのよ、エル。きっといつか、この旅が意味のあるものに変わる。お母さんは信じているわ。だからエルも信じて。自分の幸福を。あなたがここで独りになってしまえば、もう二度とあなたに手を差し伸べる人はいなくなってしまうかもしれないもの」
「この世界は俺が生きる場所ではないのだから、それも止む無しだろう。自然の摂理なんだ」
「……でも、それでも悲しいわ。私も、そしてアヤも。あなたのことをこんなにも愛しているのに」
「――――」
「争いが好きなのではないの。ただ、優しいあなたがこの世界で生きる場所を見つけられたら。それは私にとってどんなに嬉しいことか。今は理解できなくていい。いつか――あなたも知る時が来るわ」
「……それがただの願望に過ぎなければ――本当にこの上ないことだろうな」
数年が経ちエルキュールの人間の模倣が安定すると、家族は各地の街を転々として暮らすようになった。アヤの教養と社交性は日に日に磨かれ、エルキュールも人間の世界に憧れを抱くようになっていった。いつの日か、あの光に触れてみたい。自らの原罪が赦される機会が訪れますよう。母であるリゼットは、そんな子供たちの成長が実を結ぶことを願い続けて彼らを支え続けた。
三人はオルレーヌへの越境を果たし、ヌールの街に移り住むようになった。そこは自然との調和が美しい穏やかな街で、高名な魔法学校も擁している。ラングレー家に最適と言っていいほどの好条件な地であったのだ。
二年間の、仮初の平和が訪れる。人の身にとって安定した生活基盤は必要不可欠だ。故にエルキュールは、家族にとって第二の故郷となるこの街を守ろうと日々勤しむようになったが――。
アマルティアとの邂逅が、すべてを変貌させた。
組織の幹部であるザラームは、ヒトの世に住む強力な魔人の存在を嗅ぎ付け、そのためだけに街を焼いた。
繰り返される茶番。下らない三文芝居を終わらせるためには、もはや舞台を破壊するほかなかった。エルキュールはアマルティアを滅ぼし、自らの存在を再定義するために旅を始めた。
それは家族との別離を指し、身勝手な行動であったのかもしれない。しかしエルキュールは葛藤の末、茨で彩ろられた道を歩くことにしたのだ。それが、三人にとっても理想の未来に繋がるのだと。無邪気に、そう信じていたゆえに――。
「……言葉の意味が、分かりません――もう一度、仰ってください」
審判を前日に控えたザートセレの月27日のこと。慌ただしく訪ねてきたロベールとナタリアから放たれた一言は、純粋なる魔人の夢想を微塵も残さず破壊した。
先ほどの端的な言葉はあまりに実を欠いているように思えて、次第に世界から現実感が損なわれていくようにさえ感じられる。やがてエルキュールの身体の平衡感覚が揺らぎ、足元が覚束なくなる。傍で話を聞いていたロレッタはそんな彼を労わるように背中を支え、檻の外にいるロベールらを恨めし気に睨めた。「そんな言葉、冗談でも言うべきではない」彼女の憤慨は荒ぶ吹雪の如く鋭い。
対し、ナタリアは心底悲しそうに。ロベールは逡巡を噛み殺しながら毅然として返した。
「すまない。酷なようだが、もう一度だけ言おう」
ロベールは呆然とするエルキュールを見下ろして告げた。
「――今日の明け方、復興中であったオルレーヌ領ヌールは完全に壊滅した」




