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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: もふおのしっぽ
第二章

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第113話:【実装】共同生活とクリスマスイブ

そして、週末。



 街がクリスマスの華やいだ喧騒に包まれる中、僕のマンションでは重大なプロジェクトが開始された。



「……さて。本日から開始される『共同生活プロトタイプ』にあたり、まずは基本規約ガイドラインを策定します」



 リビングのダイニングテーブル。



 普段はタブレットやノートPCしか載っていないはずの無機質な天板の上に、今はマッスル猫の文房具と、凛が持ち込んだ「引っ越し段ボール(第1弾)」が鎮座している。

 


 年末年始を待つ予定だったが、僕たちに残された時間はあまりに少ない。



 3ヶ月という限られた猶予を最大限に活用するため、服と日用品だけを運ぶ「緊急配備プラン」へと前倒ししたのだ。



「規約……。巧くん、顔はあんなにかっこいいのに、言ってることは変な会議ですね。しかもクリスマスイブなのに」



 凛はソファに深く腰掛け、持ち込んだ自分のお気に入りのマッスル猫のクッションを抱きしめながら、くすくすと他人事のように笑っている。



「馬鹿にしてるな……。だが、異なる環境で育った二つの個体が、一つの居住空間という限定的なリソースを共有するんです。初期設定を疎かにすれば、後半で必ず致命的なエラーが発生します」



(それは最悪、取り返しのつかない『破綻』に繋がる……)



 僕はタブレット端末に、あらかじめ作成しておいたチェックリストを表示した。



「第一条。家事の分担は完全な並列処理マルチタスクではなく、得意分野に基づいた最適化を図る。料理は僕が栄養バランスを管理し、掃除と洗濯は——」



「はいはい、リーダー! 質問です!」



 凛が元気よく手を挙げた。



「……何かな。まだ『ゴミ出しの分別ルール』の説明が終わっていないんだが」

 

「第10条くらいに、『寝る前のハグは義務とする』っていうのは入りますか?」



「…………」



 タブレットを握る指先が、僅かに震えた。



(……ハグ。物理的な接触による、オキシトシン分泌の促進……。論理的にはストレス緩和に寄与するが、僕の理性的コンプライアンスが維持できる保証がどこにもない。……というか、今の時点で維持が困難だ)



「……それは、オプション項目にしよう。必須要件ではない。任意だ」


「えぇー! 却下ですか? 私にとっては、これがないと安眠モードに入れないくらいの、人生に関わる最重要プログラムなんですけど」



 凛はソファから立ち上がり、とてとてと歩み寄ってくると、僕の背中から腕を回して密着してきた。



背中に伝わる、柔らかい感触。



 冬の寒さを一瞬で溶かすような体温と、凛の甘い香り。

 


「……っ。凛、今はプランニングの最中だ。今の不意な物理的接触は、僕の思考回路をショートさせ、作業効率を著しく低下させる……」



「巧くんの心臓、すっごい速いですよ? これもシステムエラーですか? それとも、クリスマス限定のバグ?」



 凛が耳元でカラカラと笑う。



「……これは、……全部、君のせいです」



 僕は溜息をつき、降参するようにタブレットをテーブルに置いた。

 


 鳴凪の街を離れるまでの、残りわずかな日々。



「……わかった。第何条かは忘れたけど……重要項目に追加します。……寝る前の、その……義務ハグを、毎晩、必ず……」


「わぁい! さすがリーダー! 話がわかる! じゃあ、今から練習ですね!」



 抱きつく力を強める凛。



「なら……今からベッドに連行するけど?」


「え、まだ、晩御飯食べてないですよ?」


「君が煽ったんだから……義務を果たすんだよ。第10条の、ね」


「……ふふ。一週間、我慢したので……いっぱい、ぎゅってしてくださいね?」



 赤くなった顔を胸に埋める凛を抱き上げた。



規約も、数式も、地政学のリスクも、今はどうでもいい。ただ、この壊れそうに温かい「プロトタイプ」を、一秒でも長く稼働させていたい。



(だって、この行為もあと何回できるのか……)




 腕の中に収まるその確かな存在感が、僕の胸の奥にある「空洞」を物理的に埋めていくような錯覚を覚える。



「……はぁ、巧くん、もぅ……」


「はぁ、うん……僕も、一緒に……」




 


 寝室のカーテンの隙間から、街のイルミネーションが微かな青と白の光を投げ込んでいた。



「……巧くん。私、お腹すきました……」



 ベッドで抱き合い微睡んでいると、凛は上目遣いで、照れ隠しのように口にした。



 だが、その頬はカーテンの光の下でも分かるほど、まだ林檎のように赤く染まっている。



「第15条『不測の事態における夜食供給プロトコル』を発動させますか?」


「なんですかぁ? それ、ふふふ。何時ですか? いま」


「今? えっと、19時半だ」


「ならまだお店あいてますよね? どこかいきませんか? ……巧くんと、鳴凪でデートちゃんとしたことないなって……」


「……確かに、そうだね」



 付き合うと決めてからの展開がとてつもなく早かった。



 一緒に東京へ行ったきり、僕たちは「デート」らしいことは何一つしていなかったのだ。



クリスマスイブの夜。



 本来なら、レストランを予約し、スマートにエスコートすべき日。



 なのに僕は、アメリカ行きでのマルチタスクで余裕を無くし、プレゼントすら用意できていない。



(……ハイスペックを自称しておきながら、僕はなんて致命的な欠陥品だ)



「……よし、今から出かけよう。鳴凪のクリスマスを、君と歩きたい。凛の言ってたスイーツ店のコンプリートも達成しなきゃね」


「ふふ。そうですよ、忘れないで下さいね!クリスマスケーキ、食べましょう」



 僕は彼女の手を握りしめた。


 

 余裕を失っている暇はない。



(そうだ。彼女に贈れる「思い出」という名のプログラムを、一つでも多く実行しよう)



 「じゃあすぐに準備して。僕が知っている中で、一番綺麗な鳴凪の夜を見せに行くから」



 だが、凛は僕の手をぎゅっと握り返し、いたずらっぽく首を振った。



「いえ、私の知ってるお店に行きましょう!」


「え?」


「だって、鳴凪は私の地元ですよ? 巧くんに知っててほしい所、いっぱいあるんです」



 凛はベッドから跳ね起きると、自分の段ボールからガサゴソと厚手のマフラーを引っ張り出した。

 


「巧くんが見せようとしてるのって、きっと駅前の高いビルの展望台とかですよね? もっと……鳴凪らしい、私が好きな所に行きましょう!」



 僕は虚を突かれた思いで彼女を見つめた。



(……そうだ。彼女はこの街で育ち、この街の美しさを僕よりもずっと深く理解している『鳴凪のプロフェッショナル』なんだ)



「……わかった。本日のナビゲート権を君に譲渡アサインします。僕はただの『同行者』として、君の後ろをついていくよ」



「はい! 任せてください! 迷子にならないように、ちゃんと手を繋いでてくださいね?」



 マフラーに顔を埋め、目を輝かせる凛。



 急いで着替えを済ませ、僕たちはマンションを出た。



 外の空気は刺すように冷たい。



 だが、繋いだ手のひらからは、先ほどまでの微睡みの余熱のような温かさが絶え間なく流れ込んでくる。



 街灯に照らされた凛の横顔は「鳴凪のガイド」としての自信に溢れている。

 


 その小さな手を離さないよう、そっと力を込めた。


 

「あ、見て! あそこの角のたこ焼き屋さん、クリスマスはマヨネーズでトナカイ描いてくれるんですよ!」


「……情緒より食欲が優先されている気がするんだが。しかもクリスマスにたこ焼きなのか」


「いいんです! それが鳴凪スタイルです!」


「いや……凛スタイルでしょ?だって行列すらできていないよ」



 笑い合う声が、冬の夜空に白く溶けていった。


 僕たちの、短くて永いクリスマスデートが始まった。



「……普通はチキンとか、ケーキとか、そういう華やかなものを優先する日なんだぞ」


「いいんです! そんなのいつでも食べれますから。ここのおじちゃん、クリスマスなのに暇そうだから応援してあげなきゃなんです。それに、巧くんと外で食べるたこ焼き、絶対美味しいですよ?」



 屈託のない笑顔で僕を見上げる凛。



 その瞳には、駆け引きも、他人との比較も、SNS映えを気にするような下心も、一ミリも存在しない。



(……本当に、この子は)



 今まで、彼女の周りには数多の男がいたはずだ。



 アプローチがなかったはずがない。



 なのに、彼女はそれらをすべて「天然」というバリアで無力化し、二十数年間、この真っ白な感性を守り抜いてきたのだ。



(凛が天然で良かったと、今更ながらハッキリと思うよ)



 そして今、その「初めてのクリスマスデート」という貴重なリソースが、僕という人間に、しかも「たこ焼き屋の前」で費やされている。



(……幸せだな。たこ焼きが輝いて見えるよ)



 彼女の「初めて」を独占しているという事実が、冬の冷気さえも熱に変えていく。



「……巧くん? 顔、赤くなってますよ? 寒いですか?」



 凛が心配そうに顔を覗き込んでくる。



 その無防備な近さに、僕はたまらずマフラーに顔を埋めた。



「………マヨネーズのトナカイ、好きなだけ注文していいよ。」


「わぁ! さすがリーダー、太っ腹! おじちゃん、トナカイ二舟ください!」



 はしゃぐ彼女の後ろ姿を見ながら、僕は誓った。



(この「たこ焼きで幸せになれる凛」だけは、誰にも、何にも染めさせたくない)



 冷たい風の中で、爪楊枝を手に熱々のたこ焼きを二人で頬張る。



「……っ、あっつ……! うま……!」


「おいひぃれふよねぇ、巧くん」



 口の中の熱さにハフハフと身をよじりながら、凛が幸せそうに応える。



 マヨネーズで描かれた歪なトナカイの顔が、パックの中で無残に崩れていくけれど、今の僕にはどんな高級フレンチのデコレーションよりも美しく見えた。



「凛、口の横にマヨネーズがついてる」


「えっ? どこどこ?」



 慌てる彼女の頬をハンカチで拭う。

 


「……次はケーキだ。コンプリートしに行くぞ」


「はい! こっちです!付いて来てください!!」



 鳴凪の夜、イルミネーションの下。



 たこ焼きの香りと彼女の笑い声を連れて、僕たちの「鳴凪デート」は、甘い熱を帯びながら加速していった。



 「ここです!!」



 凛が自信満々に指差したのは、大通りから少し入った路地裏にある、温かな灯りの漏れる店だった。



(……ほう。いわゆる、夜中まで開いている『夜カフェ』か)



 鳴凪の街の喧騒を少し離れた、隠れ家のような場所。



(凛のような「健全な」タイプには少し珍しいチョイスだな)



 凛からすると、こういう「夜の居場所」は珍しくて、とびきり背伸びした特別な場所に感じられるのだろう。



「ここのシフォンケーキが、すっごく美味しいんです! コーヒーも本格的なんですよ」



 扉を開けると、焙煎された豆の芳醇な香りと、甘い生クリームの匂いが優しく僕たちを包み込んだ。



 ショーケースには、真っ白な生クリームで丁寧にコーティングされたシフォンケーキが数種類、静かに並んでいる。

 


 それは、まるでクリスマスの夜に降り積もったばかりの雪のように瑞々しく、気品に溢れていた。



「……なるほど。これは確かに『コンプリート』に相応しいクオリティだ」


「でしょ? 巧くん、何にしますか? 私はもう、紅茶のシフォンって決めてるんです!」



 メニューを覗き込む凛の瞳は、夜カフェの落ち着いた照明を反射して、宝石のようにキラキラと輝いている。



 たこ焼きをハフハフと食べていた天真爛漫な彼女と、この静かな空間でケーキを愛でる彼女。



(……どちらも僕だけが知っている凛だ……。ん?でもこんな隠れ家的な場所に、誰と来てたんだ?自発的に来るとは思えない)



 独占欲が、コーヒーの苦味のように胸の奥で静かに広がっていく。



 「……僕は、チョコチップのやつにしよう。それと、君の紅茶に合う深煎りのコーヒーを二つ」



「わぁ! さすが、注文もスマートですね!」



 カウンターの隅、肩を並べて座り、運ばれてくる「甘い思い出」を待つ。



「……凛にしては、少し珍しいチョイスだね。ここ、誰かと来たことがあるの?」



 努めて冷静に、けれどほんの少しの独占欲を滲ませて尋ねてみる。



 すると凛は、僕の肩に自分の肩を預けるようにして、悪戯っぽく微笑んだ。



「大学の時に、……友達が連れてきてくれました! ……ねぇ、巧くん。なんか夜遊びしてるみたいで、ドキドキしませんか?」



(……友達、だと?)



 瞬時にその「友達」という曖昧なデータの解析を始めた。



 夜中まで開いている隠れ家のような夜カフェ。



 そんな場所に、わざわざ凛を連れてくる「友達」。



(……間違いなく、男だな。それも、下心という名の不純物を隠し持った)

 


 かつて、この静寂とケーキを口実に彼女を口説こうとした輩がいた。


 

 その事実だけで、胃のあたりがチリリと焼けるような感覚に襲われる。



 だが、当の凛はといえば、「夜遊びだ!」とはしゃぎ、僕の腕に体重を預けて純粋に目を輝かせている。



(……その男の意図を、一ミリも理解していなかったんだろうな)



 きっと、今日のような展開を期待してここへ連れてきたのだろう。



 だが凛の鉄壁の天然バリアによって、惨敗したであろう見知らぬ男の影に、僕は心の中で小さく勝ち誇った。



「……そうだね。ドキドキしているのは、僕の方だよ。……バグかもしれないね」


「ふふ、巧くんはすぐバグのせいにしますね」



 やがて運ばれてきた、真っ白なシフォンケーキ。



 フォークを入れると、驚くほどふわふわとした手応えが指先に伝わった。



「巧くん、ふわっふわですよ!」



 一口頬張った凛が、蕩けるような表情を浮かべる。



 僕も自分の分を口に運んだ。甘すぎないクリームと、チョコチップの食感。



 そして、彼女の選んだ紅茶の香りが、夜カフェの静寂に溶け合っていく。



(美味しいな。……本当に、美味しいよ、凛)



 僕たちは、残り少ない鳴凪の夜を、一文字ずつ丁寧に読み進めるようにして味わった。


 

 プレゼントも、豪華なディナーも用意できなかったけれど。



 たこ焼きのソースの匂いと、この白いシフォンケーキの甘さ、そして隣にいる彼女の体温。



 それだけで、僕の人生はこれ以上ないほどに「満点」で満たされていた。

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