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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: もふおのしっぽ
第二章

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第112話:【確定】2月28日の宣戦布告

社用スマートフォンのバイブレーションが僕のポケットを叩いた。



 武藤さんからの「暗号化されたPDF」の更新通知だ。



(まだ追加があるのか……?)



 そこには、ガス部門の僕とは別の、もう一つの「最重要プロトコル」が記されていた。



【追加内々示:石油部門・アラスカ重質油ルート交渉チーム】

 松本 大成(石油部門 販売促進課)



(……松本か)



 思わず、名前を口に出しそうになった。


 

 松本。



 入社以来、事あるごとに僕を「ライバル」と呼び、どちらが先に海外事業部(エリートの聖域)へ辿り着くか、勝手に競い合っていた男だ。



(さすがハイエナ王……。世の中の混沌すら、己のキャリアの餌食にするつもりか)



 あいつは石油、僕はガス。



 手法も性格も水と油だが、あいつの「相手の懐に泥臭く潜り込む、計算を超えた交渉術」だけは、僕も一目置いていた。



(まさか、地政学のリスクが僕たちを同じ戦場へ引きずり出すとはな。……皮肉だ。松本、お前は僕と違って、何の迷いもなく即決したんだろうな)



 僕が「凛」への未練に足を取られている間にも、世界は音を立てて回り続けている。



「あ、佐藤さん、佐倉さん。ちょうど良かった」



 デスクで事務作業をしていた僕たちの元に、田中くんが紙のメモをひらつかせながらやってきた。その足取りは妙に軽く、顔には隠しきれない「企み」が滲み出ている。



「田中くん。……何かあったのか?」



(……怖い。その、口角の上がり方が、営業スマイルの域を超えている)



「ええ、例の『報告会』の日程が固まりました。2月28日です。会場はグランドホテルを抑えてます! 当日、絶対に、絶対にスケジュール空けておいてくださいね。(意味深)」



「…………ありがとう」



(えらく会場が格式高いが……何の魂胆だ? )



「わあ、もう日程決まったんですか! ありがとうございます、田中さん!」



 隣で凛が、パッと顔を輝かせて身を乗り出した。



(……凛、君は本当に疑うことを知らないな。その純真さが、時として僕を絶望の淵へと誘うんだ)



「……2月28日、承知しました。その日なら、大丈夫です」



 僕は平静を装って答える。だが、内心は冷や汗ものだ。


2月末。



 それはアメリカ異動の正式な辞令が、イントラネットにアップロードされる運命の日。



(……詰んだ。最悪のタイミングだ。バッドエンドのフラグ管理に失敗した気分だ)



 鳴凪支店の皆が、画面越しに僕の「サヨナラ(帰任辞令)」を確認したわずか数時間後に、「おめでとう! これからも鳴凪のために尽くしてくれ!」という熱量のパーティーが開催されるのだ。



 僕の脳内シミュレーターが「祝賀会から修羅場への最短ルート」を弾き出そうとするのを遮るように、凛が申し訳なさそうに手を合わせた。



「本来は、私たちがお招きして主催しなきゃいけない立場なのに……。準備まで進めていただいちゃって、本当にすみません」


「いえいえ! 佐倉さん、お気になさらず! 僕たち『サミットメンバー』がやりたくてやってるんですから。当日、最っ高にいい会にしましょうね!(最大出力)」



(メンバー……他にも黒幕(主催者)がいるのか?)



 田中はそう言うと、僕の肩を一度だけ強く叩いた。



 その手つきは、まるでお祝いという名の処刑台へ向かう背中を押しているかのようだ。



「……田中くん。一つだけ確認したい。当日のアジェンダはいつ共有されますか? 当事者が詳細を知らないというのは――」


「あ、内線だ! 営業部、田中入りまーす!」



 僕の追及を華麗なステップでかわし、田中くんは自分のデスクへと逃げ帰っていった。



 受話器を耳に当てるその口元は、どう見てもニヤけている。



(逃げられた……?)



 残されたのは、手帳に書き込まれた『2/28』という日付と、隣で「何を着ていこうかな」と楽しそうに悩み始めた、純白のウェディングドレスを着せられる未来をまだ知らない恋人だけだった。



「……よし、これで完璧」



 立花は、鳴凪営業所の片隅で、作成したばかりの「回覧板」を満足げに眺めた。



 表題は『【極秘】凛ちゃん&佐藤さん 婚約レセプションのご案内』。



 本来なら「佐藤さん&佐倉さん」とすべきところだが、立花のなかで主役はあくまで親友の凛だ。



 「佐藤はおまけよ、おまけ。ハイスペの付け合わせ、パセリと同格よ」



 彼女はそのまま、営業所内の詰め所へと向かった。



 そこには、鳴凪の物理的なインフラを支えるベテラン配送員、森さんがいた。

 


「森さーん、例の件、回覧板持ってきましたよ~」



 声をかけた瞬間、森さんは持っていた伝票を震わせ、タオルで顔を覆って号泣し始めた。



「う、ううっ……凛ちゃんが、あんなに小さかった凛ちゃんが(※新卒三年目です)、ついに嫁に行っちまうなんてぇ……!」


「森さん、落ち着いてください。泣きすぎですよ」



 凛を娘……いや、もはや孫のように可愛がり、隙あらば現場で「これ、お裾分けな」とたこ焼きやお菓子で『餌付け』してきた森さんの涙に、立花は苦笑いする。



「大丈夫ですよ。辞めるわけじゃないんだから……(今はそう思っておいてくださいね)」


「そうかぁ? そうだよねぇ……。でも、寂しいよぉ。あの東京の坊ちゃんに、凛ちゃんの天然ボケが通じるのか心配でよぉ……ぐすっ。鳴凪のマスコットも人妻かぁ」



(大丈夫……。その天然沼に引きずり込まれたのは佐藤だから)



 森さんは鼻をすすりながら、震える手で『出席』の欄に力強く丸をつけた。その筆圧には、愛する「孫」への祝福がこれでもかと込められている。



「……あっ、そうだ! 詰め所の連中にも俺から聞いて、まとめて持ってくるよ。みんな凛ちゃんのこと大好きだからなぁ。出席率100%は間違いねえな! 祝儀代わりの特注たこ焼き、100個焼いて持っていくか!?」



「あ、いいですね!飲食物の持ち込みはホテル側に確認しますから、待ってくださいね!」



 詰め所を後にする立花の背中には、森さんの「幸せになれよぉぉ! 佐藤、泣かせたらガスボンベ全部引き上げてやるからなぉ!」という、愛ある脅迫に近い叫びが追いかけてきた。



(凛……みんな祝福してくれてるよ。相手が、佐藤であること以外は、完璧ね)



 立花は、充填所を歩きながら小さく息を吐いた。



 森さんに告げた言葉を、自分自身に言い聞かせるように反芻する。



(……でもまさか、退職まで考えてたなんてね。来年いっぱいでいなくなっちゃう……なんて。やっぱり、一回くらい相談して欲しかったな。……親友なんだからさ)



 榎木さんがこっそりと、本当に絶対に他言無用でと教えてくれた。



 立花の胸をかすめたのは、祝福の裏側にある、ほんの少しの寂寥感。


 

 鳴凪の街を走る配送トラックの面々まで巻き込んだ、巨大な祝福の包囲網。



「凛……、出戻りしたら笑われるわよ!! ……私はこの『佐藤の友達・玉の輿ビッグウェーブ』をモノにするんだからね! 狙うは石油王よ!」



 誰にも見つからないように、一瞬だけ目尻を拭い、それから力強くスキップしながら事務所へ戻っていった。



 三階、豊予支社。



 ここは最も「情報の鮮度」が高い場所。経理部のデスクは、単なる事務スペースではない。



 お局様たちと、彼女たちの秘蔵っ子(?)である高橋による、公式・非公式含めたあらゆる情報の集積地だ。



 高橋が音もなくフロアに現れ、お局様たちのデスクの輪に加わると、空気は一変した。



 お局様たちは、まるで「獲物を待つライオン」のような目で、高橋の口元に全神経を集中させる。



「皆さん……いいっすか? 一度しか言いませんよ」



 その背後で、島田は「……ああ、もう手遅れだ」と言わんばかりの、すべてを諦めて悟りを開いた「スン」とした表情で佇んでいる。




 ゴクリ、とお局様たちが生唾を飲み込んだ。



 高橋が小声で、だが絶対的な自信を持って囁く。



「――佐藤と、佐倉さん。確定です。結婚します」



「「「「「やっぱりーーーー!!!!!」」」」」



 低く、重厚な歓喜の叫びがフロアを震わせた。



「あ、あの『マッスル猫ドラレコ事件』の時はもう絶対にできてたわ!!」


「やだぁ! あの『親子請求事件』の時には、もう結納決まってなかったかしら?」



 高橋は満足げに鼻を鳴らした。



普段、いつまでも経ってもワークフロー計上を覚えないお局様らに容赦ない彼だが、こういう「他人の動静の不一致」を暴くことに関しては気が合って仕方がない。



「佐藤のやつ、隠し通せると思ってたみたいですけどね。……甘いんですよ。レセプションの日程は、2月28日のグランドホテルです。田中さんがもう外堀を埋めてます」


「あら、グランドホテル!? 気合い入ってるわねぇ!」


「私たちも、ご祝儀代わりに『とっておきの情報』を披露しちゃおうかしら? あのドラレコ!!あれを式でながしちゃいましょう!みんなキュン死するわよ!」


「いいですね。それ、僕がバックアップのデータ用意しますよ!はい、島田さん!データください!」



 高橋の黒い笑みに、お局様たちは「やだぁ、高橋くんってば最高!」と大盛り上がり。



 このフロアにおいて、佐藤巧のプライバシーはもはや「全社員共有資産」として処理されていた。



 祝福という名の「佐藤巧・公開処刑」。



「……高橋くん。君、本当に性格悪いね(褒め言葉)。でも、あれは流石にコンプライアンス的に大々的には無理だ……」



 島田の弱々しい呟きは、お局様たちの「ドレス何着ていく!?」という喧騒にかき消されていった。



 その頃、二階の鳴凪支店。






 佐藤巧は、謎の悪寒に襲われていた。



(……なんだ? 三階から、地響きのような『殺意に近い祝福』が伝わってくるんだが……)



 隣で平和を極めている凛と何か企んでそうな榎木を見ながら、佐藤は自分の脳内シミュレーターが「2月28日:生存率0%」を叩き出していた。


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