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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: もふおのしっぽ
第二章

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第106話:【解析】空白の経験と、母の納得

「……あの、佐倉さん」


 母がふと、手にした箸を置いて、背筋を正した。



 和らいだはずの空気が、再びピンと張り詰める。お父様がまた石像のように固まり、お母様が「はい?」と首を傾げた。



「私たちは、息子の決めたことに口出しをするつもりはありません」



 母の言葉に、僕は一瞬呼吸を忘れた。



 だが、母は僕を見ず、佐倉家の面々を真っ直ぐに見つめて続けた。



「ただ……巧が求めていたことが、今、ようやく理解できました。あの子が、どうしてあえてこの場所を、佐倉さんのようなご家庭を選んだのか」


「え……?」

 


 凛が、戸惑ったように僕と母を交互に見る。



 母は静かに、自らの記憶を展開し始めた。



「この子は中学に上がるまで、父親の赴任先で過ごしました。もちろん、治安の良い国ばかりではありません。日本人学校や現地校に通わせることはできても、セキュリティなしで外を一歩歩くことさえ叶わない国も、いくつもありました」



 母の言葉には、当時の緊迫した情勢を知る者だけが持つ、独特の重みがあった。



「どこへ行くにもセキュリティ・クリアランス(安全確認)が必要で、自由よりも安全が優先される生活。巧はそんな閉ざされた世界で……今思えば、日本なら誰もが享受できることが、この子の成長過程において決定的に欠落していたのです」

 


 母はそこで言葉を切り、目の前に並ぶ素朴で力強い郷土料理に目を向けた。



(母さんの脳裏には、高い塀と防弾ガラスに囲まれた豪華な邸宅と、その中で一人、分厚い教科書を読み耽っていた幼い僕の姿が浮かんでいるのだろうか……)



「友達の家にふらりと遊びに行ったり、近所の人と挨拶を交わしたり、こうして家族ぐるみで騒がしく食卓を囲んだり。そんな情緒的な原体験がなかったからこそ、この子は失われた時間を取り戻そうと、本能的な『反動』を起こした。そう考えれば、すべてロジックが通るのです」



 母は少しだけ苦笑した。



「佐藤さん……」


「だから、納得しました。……巧。あなたがこの『不器用で、暑苦しいほどの温かさ』を求めたのは、私たちが与えられなかったものへの正当な補完なのね」



 母の言葉は、僕のこれまでの選択を「非論理的なもの」ではなく、「必要なパーツを探すための合理的な選択」であったと定義し直してくれた。



 佐倉家の座敷に、静かな沈黙が流れる。



それは気まずい沈黙ではなく、母の不器用な息子への「愛の告白」を全員で咀嚼するような時間だった。



 母は、僕が求めていた答えを、僕以上に鮮やかに言語化していく。



(……ああ。やっぱり、母さんには敵わないな)



「(巧くん……。これ、佐倉家は褒められてるんですよね?!)」



 隣で凛が、鼻息荒く小声で耳打ちしてくる。



「(ああ……母なりの、最大級の賛辞と承認だよ。翻

訳すると『この環境は、金では買えない価値がある』と言っているんだ)」


「(……やったぁ!)」



 凛の顔がパッと輝く。



 母の納得という最強の承認を得た今、僕がすべきことは一つだ。



 この「納得」を、さらに確固たる「契約(結婚)」へと昇華させるための、最高にハイスペックでポンコツな儀式を成功させる事だ。




 その瞬間だった。



 バタン!!



 静寂に包まれていた座敷の空気を切り裂き、廊下から破壊的な衝撃音が響いた。



「あ……もしかして、蓮?」



 凛が素っ頓狂な声を出す。


 そういえば蓮くんの姿が見えないと思っていたが。



「何事!? 物理的衝撃を確認……!」



 お父様が「警察官のスイッチ」を入れかけ、母が反射的に身構えた。



 次の瞬間、座敷の襖が勢いよく開き、一人の少年が「得物えもの」を手に躍り込んできた。



 泥だらけのユニフォーム。


 肩には金属バット。



 部活帰り、あるいは「合戦」の帰りと言わんばかりの野性味溢れる姿。



「ただいまー! 腹減ったー! ……って、うわ、誰この人たち!?」


「なっ……! 何、この暴徒は!?」



 母が、本日二度目の「iPad盾」を構えてひるんだ。



 無理もない。



 母にとって、金属バットを担いだ少年が予告なしに室内に侵入してくる事態は、海外赴任先なら「即座に避難命令エバキュエーションが出るレベル」の非常事態だ。



「母さん、落ち着いて! 暴徒じゃない、義理の弟(予定)の蓮くんだ! 武器に見えるのはバットという名のスポーツ用品だ!」


「バット? それを家の中で保持したまま移動しているの? 安全管理はどうなっているのよ!」



 母の叫びを余所に、蓮くんはキョトンとしてバットを置いた。



「え、佐藤の親?」



「……。巧、この少年の言語プロトコルはどうなっているの。なんでこんな一回りも下の子に呼び捨てされているのよ」



 母の額に青筋が浮かぶ。



 一方で、お母様は「もう、蓮! 汚い格好で入ってこないの!」と、いつもの調子で蓮くんを浴室へ追いやろうとしている。



「……母さん、これは日本の一般的な思春期の少年の姿だ。母さんがさっき言った、僕が通ることのなかった原体験のひとつだよ」



 僕は、再びカオスに染まり始めた座敷を眺め、深く溜息をついた。



 情緒的な納得感は、蓮くんの持ち込んだ「土の匂い」と「金属バット」によって、一気に日常の泥臭さへと引き戻されてしまった。



 だが、これでいい。この支離滅裂な空間こそが、僕が愛した「佐倉家」なのだから。



「ふふ……ふふふっ、はははは!」



 その時、沈黙を破ったのは意外な人物の笑い声だった。



 今日この時まで、一言も発さず黙々と瀬戸内の料理とお酒を嗜んでいた僕の父が、膝を打って声を上げたのだ。



「父さん……?」



 驚いた。あんなに楽しそうに笑う父を見るのは、生まれて初めてかもしれない。



 母が目を丸くし、お父様がまた敬礼のまま固まる中、父は満足げに徳利を置いた。



「いや、失礼。……こんなに家族の食事というものが楽しいものだとは、今の今まで知らずに損をしていました」



 父の瞳は、これまでのどんな国際会議の成功後よりも、穏やかに澄んでいる。



「私も外交官として、数えきれないほどの晩餐会やレセプションを経験してきました。ですが、こんなに『生命』を感じる素敵な食事会は初めてだ。……巧。お前がここで幸せになってくれて、本当によかった」



 父の言葉は、母の分析よりもずっと直感的で、温かい祝福だった。



 僕は胸がいっぱいになり、深々と頭を下げた。



「……ありがとうございます、父さん」



 最高の承認、最高の祝福。



 会場のボルテージは今、間違いなく最高潮ピークに達している。



 凛とお母様がちらりと手元の時計に目をやる。

 顔を見合わせ、意味深な微笑みを残してキッチンへと消えていった。



「……? なんだ、追加の料理プロトコルか?」



 僕が首を傾げたその時、座敷の照明がパッと落とされた。



「なっ……! 停電!? 物理的な回線トラブルか!?」



 お父様が「警察官の危機管理スイッチ」を入れかけ、母が反射的に身構えた。



 だが、襖がすーっと開いた先に見えたのは、暗闇の中でユラユラと揺らめく「2」と「7」の小さな炎だった。



「……あ」



 テーブルの真ん中に、ずっしりと大きなホールケーキが置かれる。


 

(僕の少し過ぎてしまった誕生日祝いも、このカオスな顔合わせのプログラムに組み込まれていたのか)



「サプライズです! 巧くん、お誕生日おめでとうございます!」



「巧さん、おめでとう! 凛が朝からキッチンを戦場にして頑張ったのよ」



 凛がはしゃいだ口調で場を盛り上げ、お母様が内幕をバラす。



「(……ちょっ、お母さん! スポンジを三回焼き直したことは内緒の仕様だったのに!)」

 


「(……三回も? 道理で、この生クリームの積層レイヤーに並々ならぬ執念を感じると思ったよ。ありがとう、凛)」



「(むぅ)」



「では皆さん、ご唱和ください! あ! 蓮も着替えたなら早く! 混ざって!」



「……はいはい。わかってるって」



 泥を落として無理やり着替えさせられた蓮くんも加わり、佐倉家が全員揃った。



 母と父は、一瞬戸惑ったような、気恥ずかしいような顔をしていたが、すぐにこの場の「温度」を察して空気を読んだ。



「何年ぶりかしらね。こういう……騒がしさの中でお祝いするのは」



「ああ、そうだね。ベルギーにいた頃以来かな」



 母の頬が地酒のせいか、それともこの空間の熱にあてられたせいか、うっすらと赤みを帯びている。



 僕の知る「鉄の女」のプロトコルが、完全に幸福なエラーを起こしていた。



「ハッピーバースデー・トゥー・ユー♪」

「ハッピーバースデー・トゥー・ユー♪」

「ディア……巧くーん(巧ー)!」



 凛の音頭で、不揃いな、けれど圧倒的に幸福度の高い歌声が座敷に響く。



 かつて母が選んでくれた有名パティスリーの芸術的なケーキとも、あの日の「ズタズタの事故現場ケーキ」とも違う。



 僕という「欠陥だらけのハイスペック」を補完するために、この家の人々が心を込めて用意してくれた、世界で一番温かいバースデーケーキ。



「巧、おめでとう。誕生日も、そして結婚も」



「ありがとう……。………ふぅっ」



 鼻の奥がツンとするのを「急激な温度変化による粘膜の防衛反応」だと自分に言い聞かせながら、二十七歳の火を吹き消した。 

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