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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: もふおのしっぽ
第二章

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第105話:【警告】顔合わせプロトコル

「タクシー代はこれで。……あ、お釣りは結構です」



 僕は震える手で一万円札を運転手に押し付け、逃げるように車を降りた。



 背後では、母が鋭いヒールを鳴らしてアスファルトを踏みしめ、父が「呪いのバッグ」を誇らしげに揺らしながら続いている。



「お初にお目に掛かります! 鳴凪警察署勤務の佐倉です! 本日は巧さんのご両親をお迎えするにあたり、周辺警戒および歓迎の儀を執り行わせていただきます!」



 お父様の声が、静かな住宅街に無駄に響き渡った。



 母はサングラスをずらし、まるでマルサの査察のような目でお父様を見つめる。



「え……あの、失礼ですが本職の方?」


「はい! 現在は警務課勤務で御座います!」


「ええ……そうですか。以前こちらの県警から外務省の在外公館に出向されていた警備対策官の方には、大変お世話になりました。本日はご自宅にお招き頂きありがとうございます。……巧の母、佐藤貴子でございます」



 母が外交プロトコルに則った完璧な挨拶を繰り出す。



 対してお父様は、緊張のあまり完全にパニックに陥っているようで、敬礼したまま石像のように固まっている。



 その隣で同じく硬直している凛。


 

 彼女の着ているジャンパーの背中には、『地域貢献DX推進チーム』の文字が躍っている。



(なぜ、それを着ている!?)



 凛なりの戦闘服なのだろうか……。




母の視線が、その「絶妙なダサさ」に釘付けになった。



「……あなたが、凛さんね」


「あ、巧くんのお母さん! 初めまして、佐倉凛です!」


「そのジャンパー、斬新ね。あなたが運営しているSNSでも映っているのを見たことがあるわ……」



 一触即発の空気が流れた、その瞬間だった。

 


 沈黙を切り裂いたのは、玄関の奥から響く爆音のような咆哮。



「ワン! ワンワンワン!(不審者発見! 排除開始!)」



 凄まじい勢いでドアが開き、プロペラのような尻尾を回転させた太郎が、弾丸のように母へと突撃してきた。



「きゃっ! な、何この生き物……!? 質量が、カノン(実家のチワワ)と違いすぎるわ!」


「母さん、危ない! それは犬という名の、歩く野生生物の太郎です!」



 慌てて間に入ろうとした僕をすり抜け、太郎は母の足元で激しく「回転」を始めた。



 母の完璧なセットアップに、太郎の抜け毛が容赦なく付着していく。


 

 だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。



父が追い打ちをかけるように、あの「呪いのバッグ」を凛に掲げたのだ。



「凛さん、このバッグ、本当に評判がいいんだよ。

今日も空港で視線を感じた。君の独創性は、国際社会でも通用するかもしれない」



「……え?! 本当ですか!? さすが佐藤先輩のお父さん、審美眼がハイスペックですね! このジャンパーはどうですか?!! これも私がデザインしたもので!」



「とても良いですね。次の粗品インセンティブはそれですか?」



 「これ、巧くんの会社の高級スポーツウェアで仕入れが高いので、配れないんです…… 。あ、外務省特注で『広域多国間・地域経済連携DX推進特命事務局』ってデザインで作ってみてはどうですか?漢字の詰まり具合が国の資料デザインぽくて、ハイスペックですよね!」



「……素晴らしい。特に『特命』という響きに、組織の重みを感じる。私のバッグと合わせれば、パリの社交界でも注目の的でしょう」



「(iPadを握りしめながら)……巧。あの二人を止めなさい。私の知っている『外交』が、音を立てて崩れていくわ……」



「(遠い目をして)……母さん、諦めて。本日締結された新しい国際秩序プロトコルだ」



 父と凛が「狂気の共鳴」を起こし、お父様は敬礼のままフリーズし、母は太郎の猛攻をiPadで防御している。



 僕は、天を仰いだ。



平穏を祈って迎えた顔合わせのロジックは、太郎の抜け毛によって、今この瞬間、跡形もなく崩れ去った。



「……皆様、立ち話も何ですから。早く中へ入りましょう。……料理が、冷めてしまいます」



 僕は、もはや感情を失ったシステムメッセージのような声で、一同を地獄の食卓へと誘った。



 玄関に入ると



「お母さーん! コロコロ持ってきてー! 急いで! 巧くんのお母さんが大変なことに、っていうか『太郎まみれ』になってるから!」



 凛がジャンパーをなびかせながら、居間に向かって叫ぶ。



 父と「アバンギャルドの共鳴」を果たした彼女は、もはや緊張の閾値を超えて、完全に「通常モード」へと切り替わっていた。



 (凛だ、いつもの凛だ……。良いんだけど、良くない)



「えっ……! り、凛、……もう見えられたの!? 」



 お母様がコロコロを持って出迎えてくれる。


 

 お父様はまだ白目を剥きそうな勢いで硬直している。


 「警備対策官」という話のネタになりそうな人物像を掘り起こしている。



「あ、あら……? この子、まだ回るのね……。ねえ巧、この『質量を伴う暴風』を止めるコマンドはないの?」



 母がiPadを盾にしながら、困惑と驚愕が混ざった声で僕に助けを求める。



「あらあら、すいません!誰?太郎繋いでないの!!もう……太郎おすわり!!」



 良かった。



「巧さんのお母様、大変失礼しました。これをどうぞお使いください。凛の母です。本日はようこそおいでてくれました。」


(……助かった。さすが、佐倉家における唯一の良心……)



 僕は、お母様が差し出してくれたコロコロを母に手渡し、ようやく肺に空気を送り込んだ。



 母は「ありがとう。失礼するわ」と、眉間に皺を寄せつつも、お母様の迷いのない接客対応にわずかな敬意を示したようだった。



「お父さん! 玄関前で固まってないで! お客様を座敷にお通しして! 巧さんのご両親、お荷物お預かりしますね」



 お母様のテキパキとした指示で、ようやくお父様が「ハッ! 失礼いたしました!」と再起動し、父は凛と「呪いのバッグ」の耐久性について語り合いながら座敷へと消えていった。



 

 ――佐倉家の座敷。



 

 そこには、南青山の高級フレンチでも体験できない「圧倒的な素材の暴力」が鎮座していた。



「さあ、冷めないうちに召し上がってください。巧さんが『美味しい』と言ってくれたものを中心に、瀬戸内の味を並べてみました」



 お母様がテーブルに置いたのは、大皿に盛られた「瀬戸内の天然真鯛」の刺身。



 エッジが立ち、光を透過させるその身は、もはや芸術品の域だ。



「……あら。この、角が立ったような透明感。それにこの淡い桜色……」


「佐藤さん。それは今朝、鳴凪の漁師さんが気合を入れて水揚げしてくれた天然物です。東京の高級店でも中々食べられないと思います」



 母の手が、ピタリと止まった。



さらに運ばれてくるのは、鳴凪が詰まった郷土の色彩。



「こちらは『白和え』、それから名物の『しょうゆ豆』です。それと……巧さんが特に気に入ってくれた『鯛の煮付け』もご用意しました」


「……素晴らしいですね。この真鯛、そしてこの彩り……。たしかにこの鮮度を東京で再現しようとしても無理ですわね」



 母の視線の先には、金糸卵が美しく散らされ、瀬戸内の海の幸が宝石のように散りばめられた鳴凪流のちらし寿司があった。



「鳴凪では『今さっきまで海にいたもの』が基準なんです。いわば、鮮度のハイパーインフレです!母の手料理は本当に美味しいので、ぜひお召し上がりください!!」


「ハイパーインフレ……。それは、経済用語として使い方が間違っているわよ、凛さん」



 凛が目を見開いて僕を見る。



(僕と理屈ぽいところが、似てるとでも言いたいのかな……?) 



 母が小さくため息をつきながらも、意を決したように箸を手に取る。



 父はすでに「この白和え、豆腐のタンパク質の密度が素晴らしいな」と、郷土料理を頬張って上機嫌だ。



(……ああ。母さん。気づいてほしい。その鯛を一口食べた瞬間、あなたの舌にある『南青山の秩序』が、鳴凪の素材スペックに飲み込まれてしまうということに……)



 僕は幸福と混乱が入り混じるフルコースの幕開けを見守った。



「……いただきます」



 母が、まずは真鯛の刺身を口に運ぶ。



 その瞬間、母の瞳がわずかに見開かれたのを、僕は見逃さなかった。


「……美味しいですね。本当に。素材の良さが、調理の理屈を超えているわ」



 母がポツリと漏らしたその一言に、固唾を呑んで見守っていた佐倉家の面々に、さっと安堵の色が広がった。



「良かった! このお刺身は巧さんも大好きなんですよ。今日も彼から、どうしてもご両親に用意してほしいってリクエストがあって。朝から一緒に買い出しまで手伝ってくれたんですから」



 お母様が嬉しそうに微笑むと、母はわずかに目を見開き、僕の方を鋭く一瞥した。



「そうなの? 巧、そんな無理を言うものじゃないですよ。魚を捌くご負担や、この鮮度を揃える手間を考えなさい。相手のリソースを尊重するのは基本でしょう?」


「……この地で最も価値のある体験を共有してもらうためにお願いしたんだ。確かに、母さんの言う通り少し配慮が欠けていたかもしれないけれど」



 小言で体面を保とうとする母を、お母様が包み込むような笑顔でフォローする。



「いいんですよ、佐藤さん! 私は食べてくれる人が『美味しい』と言ってくれるのが一番の幸せですから。巧くん、いつもお米も美味しいって、何杯もおかわりしてくれるんですよ。作り甲斐があるわぁ。ほら、巧さんも鯛を食べて。朝から頑張ってくれたんだから」

 


「お、おかわり……? あの、炭水化物の摂取量をグラム単位で管理していた巧が?」



 母の驚きをよそに、お母様がテキパキと手を動かす。



「いや、僕は……先に皆さんで召し上がってください。僕は後でいいので」



「もぅ、巧くん。お母さんに怒られて凹んでるんですか?」



 隣で凛がクスクスと笑いながら顔を覗き込んできた。



「え? いや……確かに母の言うことは最もだなと反省していたところで……」


「あら、巧さんは真面目すぎね! そんなこと気にしないで。……あ、お父さん、お酒を。佐藤さんに注いで差し上げて」



 お母様に促され、お父様がビクッと肩を跳ねさせた。



「い、いや、今日は飲まない! 私は警備……じゃなくて、ホスト役に徹するんだ。失態は許されないからな……!」



 お父様は「外交官とその妻」という巨大なプレッシャーを前に、いまだに自分を律しようと必死だ。



 だが、お母様はそんな夫を笑い飛ばす。



「やだぁ! ちょっとは飲んだ方がいいわよ、お父さん。さっきから敬礼したまま全然喋らないじゃない。緊張が伝わって、佐藤さんたちが困っちゃうわよ。アハハ!」



 快活に笑いながらお父様の背中を叩くお母様。



 その一方で、凛がテキパキと小皿を配り、「お父さんもどうぞ!」と僕の父に親しげに接している。



(やっぱり、この家で顔合わせをして良かった……。僕がどんなに言葉でプレゼンをしようと、この『温度』だけは絶対に伝わらなかったはずだ)



 母はその様子を、箸を止めてじっと見ていた。



南青山の自宅では、食事は「効率的な栄養摂取」と「高度な情報交換」の場であり、そこには常に洗練された静寂があった。



 けれど、目の前で繰り広げられているのは、理屈もプロトコルも無視した、騒がしくて、けれど圧倒的に純度の高い「家族」の姿だ。



(……母さん。計算外だろう? 理詰めで動く僕が、どうしてこの『非効率な温かさ』に惹かれたのか)



 母の瞳の奥が、少しだけ和らいだような、あるいはさらに深い思考に沈んだような不思議な光を湛えていた。



「……賑やかで、いいわね。こういうのも」



 母が少しだけ小さな声でそう漏らした。


 

 その瞬間、僕の胸の中で何かが小さく、けれど確かに、勝利の音を立てて弾けた気がした。



南青山の自宅では、食事は「効率的な栄養摂取」と「高度な情報交換」の場であり、そこには常に洗練された静寂があった。



 けれど、目の前で繰り広げられているのは、理屈もプロトコルも無視した、騒がしくて、けれど圧倒的に純度の高い「家族」の姿だ。



(……母さん。計算外だろう? 理詰めで動く僕が、どうしてこの『非効率な温かさ』に惹かれたのか)



 母の瞳の奥が、少しだけ和らいだような、あるいはさらに深い思考に沈んだような不思議な光を湛えていた。



「……賑やかで、いいわね。こういうのも」



 母が少しだけ小さな声でそう漏らした。


 

 その瞬間、僕の胸の中で何かが小さく、けれど確かに、勝利の音を立てて弾けた気がした。


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