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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: もふおのしっぽ
第二章

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【第101話】ステークホルダーのパニックと、深刻な報告漏れ

「あ、巧くん! 今お母さんに連絡したら、早速『今晩きていいって』! お父さんも早く帰ってくるみたい!」



「……え、今晩?」



 眼鏡の奥の瞳が、驚愕で見開かれる。



「早すぎる。コンセンサスを得るための事前準備(アジェンダ作成)が出来てないよ!」


「もう、巧くんは考えすぎです! 鉄は熱いうちに打て?ですよ!」



 凛は楽しそうにスマートフォンの画面をタップしている。



 今晩。



 つまり、数時間後に僕は再び佐倉家の玄関を叩き、あの「勝負師」のお父様と、鋭い包丁を操るお母様、そして反抗期真っ盛りの蓮くん……さらには太郎(犬)という多国籍軍のような家族構成員たちと対峙しなければならない。



「……分かった。確かにこういうのは早くした方がいい。行こう。不測の事態クイック・レスポンスへの対応も、ビジネスマンの基本スキルだ」



 僕は胃のあたりに微かな熱を帯びた違和感――「緊張」という非論理的な感情を覚えながら、身支度を整え始めた。



 手土産の選定、想定問答集の構築、そして太郎用のジャーキー(最優先事項)。



 僕の人生で最も難解なプレゼンが、予定を大幅に前倒しされた。



 ……そう、この時の僕は、微塵も疑っていなかったのだ。



 自分の用意した「完璧な身上書」が、佐倉家のちゃぶ台の上でどれほど凄まじい「混乱」を引き起こすことになるのかなど——。



(……太郎用のジャーキー、それから手土産の菓子折り……あれ?そう言えば、凛の両親の属性データが不明だ)



 僕は玄関の靴紐を結びながら、ふと思い出したように凛に問いかけた。



「そういえば、凛。ご両親の職業は何だっけ? 今日のプレゼン戦略の参考にしたい」



「え?言ってませんでした? お父さんは警察官ですよ! あと、お母さんは近所の道の駅で、地元野菜を使ったごはんを作ってます!」



 その言葉を聞いた瞬間、僕の手がピタリと止まった。



(……え? 今、なんて言った?)



 警察官。……鳴凪の治安を守る、地域のキーマン


 

 規律と法、そして身体的防御術が、生活の根底にある環境。



 凛の天真爛漫に見えて、実は「ここぞという時に絶対に逃げない」芯の強さ。

(あの、僕を羽交い締めにする力……防御術だったのか?)



 蓮くんの、大人をナメきった態度と、バッドを構えた時のあの無駄のない重心移動。

(彼らの「完成具合」は、ただの天真爛漫さではなかったのか……!)


 血筋による、防衛本能と高い身体能力が、無意識下でベースラインとして構築されているのだ。


(……とんでもないな)



 僕の脳内が、激しい警告音と鳴らす。



(……もし、僕が何かヘマをしたら。凛との交際プロセスにおいて、法的な、あるいは物理的な『職務質問』が待っているということか……!?)



 お母様が料理上手な理由も、これで合点がいった。



 地域住民の胃袋を支える道の駅の看板娘であり、同時に地域の秩序を守る警察官の妻。



「……巧くん? どうしたんですか?顔色が悪いですよ?」



 凛が不思議そうに僕の顔を覗き込む。



「……いいえ。なんでもない。……警察官のお父様と、食のプロフェッショナルであるお母様。……最高に、ロジカルで、最高な家族構成ですね」


「……それ、誉めてますか?」



 自分の震える指先を握りしめた。



 バッドを振り回す弟。

 規律を重んじるはずが、勝負師な警察官の父。

 包丁を操る食のプロの母。

 交渉術Dランク、攻撃力Bランクの太郎。



 僕はこの「鳴凪の守護神」とも言えるファミリーに対して、承認を得なくてはいけない。



(……ああ。手土産やジャーキーだけじゃ足りないかもしれない。……いや、まずは僕が適格であることを、身を持って証明するしかない!)



 僕は改めて玄関の扉を開けた。



 その先にあるのは、鳴凪の夜。



 最もスリリングで、最も胃が痛くなる、戦場の入り口へ。



「あ、これどうぞ」


「わんわん!!(うれしい!佐藤好き)」


 佐倉家の庭先。



 僕は太郎の鼻先に高級国産牛ジャーキーを慎重に提示した。



 先週までの警戒心はどこへやら、太郎は尻尾をプロペラのように回転させて僕の膝に甘えてくる。



「……チョロい。太郎、君はいいステークホルダーだ」



「佐藤! 毎週毎週なんでわざわざ来るんだよ! ……あ、それ、新しいソフト!?」



 背後から蓮くんが露骨に食いついてきた。買収用の最新ゲームソフトを差し出す。



「……ふん。まぁいいんじゃね? 貰うわ」


(……君が持ってるのは、僕がこの間買ってあげたスイッチ2だろうが。この思春期め)


 蓮くんは不満そうにしながらも、僕を家の中へと招き入れた。


「こんばんは」


「あら! いらっしゃい、佐藤さん。夕飯用意してるから食べてね」



 お母様の視線。


 昨夜の熱情はお見通しよ、と言わんばかりの含みある笑顔。



 つい咳払いが出てしまった。



「ゴホン……あ、あの、今日は大切なおプレゼンが」



 リビングのちゃぶ台に家族が揃う。なぜか太郎まで今日だけは入室を許されている。



「僕の身上書です。ご査収ください」



 すっと差し出すと、どれどれとお父様。流石は警察官だ。被疑者の供述調書でもめくるような鋭い眼光。



 だが、読み進めるうちにその顔が劇的に変化した。



「……えっ。お、お父様が外交官で、お母様が都内にマンションを複数所有するオーナー……?」



 お父様が、完璧なフォントで構成された資料を震わせながら絶句している。



「佐藤くん。君……君、いや、巧ちゃま。ただの意地悪な六千万持ってる若者じゃなくて、本物の……御曹司ボンボンじゃないか!!」



「いえ。僕はあくまで一介の会社員であり、実家の資産は僕の能力とは無関係な……」



「無関係なわけないだろ! 外交官の息子が、なんでうちの娘なんかと……!!」



 お父様はもはや「高度な結婚詐欺」を疑うレベルで狼狽している。



 隣でお母様も「あらやだ、私、安物のティーバッグで出しちゃったわ……」と、今さら湯呑みを隠してオタオタし始めた。



「…………」



 僕は、隣で能天気に太郎の耳をいじっている婚約者へと視線を向けた。



「……凛。君、ご両親には僕のバックボーンについて、どう説明してたの?」



「え? えーっと……『頭が良くて、かっこよくて、ちょっと性格がひん曲がってるけど、私にだけはたまに優しい、仕事の出来る先輩』って!」



「……属性情報が主観に寄りすぎてる! 最も重要な外部データが欠落しているじゃないか」



「だってぇ、お父さんの職業とか関係ないんだもん! 私も……ぼんやり思ってたけど! あっ、でも資産価値を気にする、どこぞの御曹司の巧ちゃまって、ちゃんと伝えてましたよ!」



「……そこをもっと強調して伝えてて欲しかったよ……」



 致命的な仕様書スペックの伝達ミス。居間の空気は緊急首脳会談のような緊張感だ。



「……あ、あと巧ちゃまご兄弟は?」


「……一人っ子です」


「……はぁ」



 お父様の深いため息。



 その横で、凛がポツリと呟いた。



「やっぱり結婚って、親が納得しないとダメですよね……南青山に似合うような人じゃないと」



 ――その言葉は、僕がこれまで彼女に拘り、説き続けてきたアイデンティティだった。



 それが今、彼女の瞳に不安の影を落としている。自業自得という名の特大ブーメランのような衝撃が後頭部を殴った。



(だめだ……僕の虚栄心が、最も大切なステークホルダーを不安にさせている)



 凛の両親は僕のスペックに驚いているが、問題は僕の両親――特に外交官の夫を支え、ビジネスに君臨する母が、この「予測不能な天然記念物」をどう評価するか。



(いや……待てよ。母さんは以前、凛が配信しているSNSをチェックして『面白い感性をしているわね』と気に入っている節があった。意外に、すんなりいく可能性もゼロではないはずだ)



「……ごめん。僕がいつも比較するように言っていた事が不安にさせたね。大丈夫。僕の両親は、そんな事で反対したりしないから」



 僕は自分自身に言い聞かせるように、震える声で断言した。それは論理的な予測ではなく、僕の人生で初めての、根拠のない「願い」だった。




「ごめんなさい。僕が家族と先に話しておくべき案件でした。……順番を、色々と間違っていました」



 僕はちゃぶ台に額を擦り付ける勢いで、土下座のように深く頭を下げた。



 南青山の価値観、僕の育ってきた環境では、この家族構成は「一般的」なポートフォリオに過ぎない。



 だが、ここは鳴凪だ。穏やかな時間が流れ、道の駅の美味しいご飯と、地域の治安を守る警察官の平穏がある場所。



 そこにいきなり「外交官の父」だの「不動産オーナーの母」だのという異物データを放り込めば、システムがフリーズして引かれるのは当然だった。



「いや……巧ちゃま、顔を上げてくれ。反対してるわけじゃないんだ」



 お父様が困ったように、けれどどこか畏れ多いものを見るような目で僕を促す。



「そうよ! 凛なんて今まで浮いた話が何もなさすぎて、彼氏すらできるか心配してたのよ。それが、ねぇ。こんな……御曹司と。……あ、これ、貰い物の玉露淹れ直したから! さっきのよりは口に合うでしょ?」




 お母様が慌てて差し出した湯呑み。高級な茶葉の香りが居間に広がる。



 ――だめだ。

 完全に変な気を使わせている。



 僕は玉露なんて普段から飲まない。



 コンビニのコーヒーか、凛が淹れてくれる普通の番茶で十分なのに。



「……すみません。ちょっと、両親に電話をしてきます」



 このままでは、佐倉家との心の距離レイテンシが広がる一方だ。



 僕は逃げるように縁側へ出て、震える指で「母」の連絡先をタップした。



 冷徹なビジネスの最前線にいる母。



 凛のSNSを「面白い感性」と評したあの言葉が、単なる皮肉ではなく、真実であることを祈るしかない。



 コール音が鳴るたびに、僕の心臓が限界までクロック数を上げる。



(……頼む。母さん。僕の人生で一番大切な『仕様変更』を受け入れてくれ……!)

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