第9話 公爵令嬢の邸宅へ
バーバラ・ルイスの行動は、日に日に激しくなっていった。
学園内で貴族子息へ声を掛ける。
婚約者がいようと構わない。
注意されれば泣く。
マルケールが現れる。
そして最後には決まって。
「エカテリーナ様の差し金か!」
その言葉が飛び出す。
最初のうちは、まだ「新入生が王太子に夢中になっている」という程度の話だった。
しかしそれは、もはやそんな可愛らしい話ではなくなっていた。
「またバーバラさんが男子生徒と一緒にいたわ」
「今度も婚約者持ちよ」
「さすがに酷くない?」
「でも、相手も嫌がってないのよね……」
そんな噂が学園中を駆け巡る。
そしてバーバラ本人は、それを一向に気にする様子がなかった。
むしろ自分へ向けられる視線すら、悲劇のヒロインを演出する材料にしているかのようだった。
◇
「私、何も悪いことしていません!」
ある日の昼休み。
また一人の令嬢と揉めていた。
「私の婚約者に何度も近づいているでしょう!」
「ただお話しているだけです!」
「腕まで組んでいたじゃない!」
「それは向こうからです!」
「でも、あなたも拒まなかったでしょう!」
「そんなこと言われても……!」
バーバラの瞳から涙が溢れる。
「どうして皆さん、私ばかり責めるんですか……!」
そして。
「──バーバラ!」
やはり現れた。
渦中の人物、王太子マルケール。
「殿下……!」
「また彼女を泣かせたのか!」
「違います!」
令嬢が反論する。
「私は婚約者に近づかないでほしいと──」
「そんなことを言う資格があるのか!」
「……!」
「バーバラが誰と話そうと自由だろう!」
「なんなんですか、それ」
「それとも」
マルケールの目が険しくなる。
「またエカテリーナの差し金か?」
「なぜそこでエカテリーナ様が出てくるのですか!」
ついに令嬢が叫んだ、その声に、周囲が静まり返る。
「私は一度もエカテリーナ様から何かを頼まれていません!」
「嘘をつくな!」
「殿下!」
近くにいた教師が駆けつける。
「ここは学園です。お静かに!」
マルケールは舌打ちした。
バーバラは泣きながら、その腕にしがみついている。
その光景をフォーマは遠くから見ていた。
「……酷くなってるな」
「ああ」
隣のニコラスが答える。
「もう誰にも止められなくなってる」
エレノアも小さく息を吐く。
「……いいや」
フォーマは静かに否定した。
「止められないんじゃない」
「え?」
「止めるつもりがないんだと思う」
◇
そしてついに学園の外にまで、その騒ぎは持ち出された。
休日。
王都の中心から少し離れた場所にある、フルーネフェルト公爵家の邸宅。
その門前に一人の少女が立っていた。
「エカテリーナ様に会わせてください!」
門番は、目の前のバーバラを見て、わずかに眉を寄せる。
「申し訳ございませんが、お帰りください。バーバラ・ルイス様」
「どうしてですか!」
「本日は、お嬢様への面会をお受けしておりません」
「なら、エカテリーナ様を呼んでください!」
「それもお断りいたします」
「どうして!」
「お嬢様をお呼びすることも、お嬢様の所在について、部外者の方へお答えすることもできません」
「……え?」
バーバラが目を瞬く。
「でも、ここにいるんでしょう?」
「お嬢様の所在については、お答えできません」
「嘘です!」
「嘘ではございません」
門番は淡々と答える。
「我々は、公爵家に仕える者として、お嬢様の予定や居場所を外部の方へお伝えすることを禁じられております」
「じゃあ……呼んでください!」
「お嬢様への面会を希望されるのであれば、正式な手続きをお願いいたします」
「そんなの待っていられません!」
「でしたら、お帰りください」
「……!」
にべもない返答に、バーバラの顔が歪む。
「私は殿下の婚約者に──」
「申し訳ございません」
門番は遮った。
「その件につきましても、我々が関与することではございません」
「……っ」
「お嬢様へのご用件でしたら、正式な書面をお預かりすることはできます」
「嫌です!」
バーバラは門を睨みつけた。
「私は直接、エカテリーナ様と話したいんです!」
「それはできません」
「どうしてよ!」
「繰り返しになりますが、お嬢様の所在を外部の方へお伝えすることはできません。また、許可なく邸内へお通しすることもできません」
「……!」
バーバラの拳が震える。
そして──
「エカテリーナさまぁー!」
突然、門に向かって大声を上げた。
「出てきてくださいよぉ!」
「おやめください!」
門番たちが慌てて制止する。
だが、バーバラは構わず叫び続けた。
「話する気あるんですか!?」
「ルイス様!」
「殿下と婚約破棄してくださいよ!」
「お静かに!」
「今すぐしてくださいよ!」
その声は、屋敷の前の通りにまで響き渡った。
「私の方が殿下に相応しいんです!」
「お嬢様はお会いになりません」
「だったら今すぐ伝えてください!」
「お嬢様のご予定について、我々から申し上げることはできません」
「エカテリーナ様!」
「お引き取りください」
「出てきてくださいよ!」
ついにフルーネフェルト公爵家専属の警備兵たちが門外へ出てきた。
その表情からは、一切の温情が消えていた。
「バーバラ・ルイス様」
「な、何よ……!」
「これ以上、当家の門前で騒がれるのでしたら、こちらも然るべき対応を取らせていただきます」
「私は殿下の恋人ですよ!」
「それは我々には関係ございません」
「……!」
「ここはフルーネフェルト公爵家の敷地です」
警備兵は冷静に告げる。
「許可なく居座り、大声を上げ続ける行為を、これ以上見過ごすことはできません」
「私はただ、エカテリーナ様と話を──」
「そのご希望を否定しているわけではございません」
警備兵は一歩も退かない。
「ですが、お嬢様の所在をお伝えすることも、無断でお呼び出しすることも、我々の権限にはございません」
「…………」
「お帰りください」
毅然とした声だった。
バーバラは悔しそうに唇を噛み、何度も門を振り返る。
やがてバーバラは踵を返し、その場を去っていく。
その背中を見送りながら、門番の一人が小さく息を吐いた。
「……随分と騒がれましたね」
「仕方あるまい」
もう一人の門番が答える。
「我々が守るべきものは、屋敷だけではない」
静かに門を閉じる。
「お嬢様の安全と、情報もまた──我々が守るべきものだ」
そしてその日のうちにこの一件は、フルーネフェルト公爵の耳へと入ることになった。
「……ルイス男爵家へ抗議文を」
公爵は静かに言った。
「かしこまりました」
「友人ならば我が娘が不在なのを知らなかったたわけでもないだろう」
「はい」
「それでも門前であれだけ騒いだのか」
「そのようです」
公爵は深く息を吐く。
「今までなら、学園内のことだと静観していたが……これは我が家への直接的な迷惑行為だ」
「はい」
「しかも、婚約者である王太子殿下との婚約を破棄しろと、公爵家の門前で叫んだのだな?」
「その通りです」
「ならば、もう遠慮する必要もない」
こうしてフルーネフェルト公爵家からルイス男爵家へ、正式な抗議文が送られることとなった。
◇
その頃。
当のエカテリーナは領地にある孤児院を訪れていた。
「こんにちは」
「エカテリーナ様!」
「今日も来てくださったの?」
「ええ」
子供たちに囲まれながら、彼女は穏やかに笑っている。
公爵邸で起きている騒動など今の彼女は知らない。
ただ久しぶりに訪れた孤児院で、子供たちと過ごす時間を楽しんでいた。
だからこそ帰宅した時。
「……何ですか、この手紙は?」
大量の書類を見て、目を丸くすることになる。
◇
そしてその頃の学園。
フォーマは一人、廊下を歩いていた。
先日の騒ぎ以来。
彼はマルケールの周囲にある魔力を注意深く観察していた。
「……やっぱり」
細い魔力の糸が見える。
数本、マルケールの身体から伸びている。
フォーマは足を止めた。
「……一つじゃない」
一本目。
非常に細い、術者との距離もかなりある。
魔力の質からして──
「王家の魔法……?」
フォーマは目を細めた。
王族を監視するための術式、あるいは王太子に何かあった際、即座に把握するためのもの。
そんな印象を受ける。
「……待て」
さらに探る。
「……こんなに?」
別系統の魔力が複数存在している。
その中には明らかに王家とは違う魔力も混ざっていた。
フォーマは驚いた。
魔力の痕跡を辿っていくその先にいるのは。
「……学園の生徒たち?」
しかも一人ではない。
子爵家。男爵家。伯爵家。
それぞれが独自に魔力の糸を付けている。
どうやらエカテリーナを心配した子息令嬢たちが、独自にマルケールの行動を監視しているらしい。
「なるほど……」
フォーマは小さく笑った。
自分だけではなかった。
皆、同じように疑問を持っていたのだ。
そしてもう一度、王家の魔力糸を見る。
こちらは明らかに違う。
術式の完成度が桁違いだった。
監視対象はマルケールだけではない。
おそらく王家そのものが、何かを警戒している。
フォーマは目を細めた。
「……面白くなってきたな」
だがその時、視界の端にバーバラの姿が映った。
彼女は一人、楽しそうに笑っている。
その手には小さな魔法具が握られていた。
「……?」
フォーマが目を凝らすが、バーバラはすぐにそれを懐へしまった。
フォーマは追わなかった。
まだ証拠がない。
ただひとつだけ確信した。
これは単純な恋愛沙汰ではない。
誰かがこの学園で起きていることを利用している。
そしてそれを監視している者もいる。
フォーマは静かに目を伏せた。
ならばこちらも、こちらのやり方で調べればいい。
留学生という立場を利用して、誰にも正体を悟られぬまま、この国で何が起きているのか、その全てを暴いてみせる。
まだ卒業まで半年以上ある。
けれどその時間は決して長くはないのかもしれなかった。




