第8話 暴走する新入生
春が過ぎ、初夏へと移り変わる頃。
学園では、一つの名前が頻繁に聞かれるようになっていた。
──バーバラ・ルイス。
新入生である彼女は、入学してから僅かな期間で王太子マルケールの寵愛を受ける少女として知られるようになっていた。
だがそれだけではなかった。
「ねえ、あなた」
「……俺?」
「はい」
廊下で、バーバラが一人の男子生徒へ声を掛ける。
「放課後、お時間ありますか?」
「まあ……少しくらいなら」
「本当ですか?」
嬉しそうに笑うバーバラ。
男子生徒も満更ではない様子で頷いていたが、
──その男子生徒には、婚約者がいた。
その事実を知った周囲の生徒たちは、何とも言えない顔をする。
そしてそれは一度ではなかった。
「今日の魔法実技、とても格好良かったです!」
「そうかい?」
「はい!もしよければ、今度魔法を教えてくださいませんか?」
「俺でよければ」
また別の男子生徒。
こちらも婚約者持ちだった。
「あなたって、本当に優しいんですね」
「そうかな?」
「ええ。私、そういう方が好きです」
また別の男子生徒。
「……また?」
エレノアが呆れたように呟いた。
昼休み、フォーマたちは中庭で食事をしていた。
「今度は誰?」
ニコラスが聞く。
「クランド子爵家の三男」
マリアンヌが答えた。
「婚約者は?」
「いるわ」
「……」
ニコラスが額を押さえる。
「本当に節操がないな」
フォーマは少し離れたところにいるバーバラを見る。
彼女は別の男子生徒と楽しそうに話している。
そして、その相手も楽しそうな顔をしていた。
「……問題は」
フォーマが呟く。
「相手の男たちも、嫌がってないことなんだよね」
「そうなのよ」
エレノアがため息をつく。
「だから余計に、婚約者の令嬢たちが怒っているの」
◇
数日後。
ついに、一人の令嬢がバーバラへ直接注意した。
「バーバラさん」
「はい?」
「あなた、私の婚約者に何度も近づいているでしょう?」
令嬢の声は冷静だった。
「婚約者がいる男性に、あまり親しくするのはお控えになった方がよろしいのでは?」
「……え?」
バーバラの顔から笑顔が消える。
「私、そんなことしてません」
「しています。現に何回もあなたと私の婚約者が仲睦まじくいる姿を目撃している人物が多く居るのですよ」
「していません!」
突然、バーバラの声が大きくなった。
周囲の生徒たちが振り返る。
「私がただお話をしていただけなのに……」
バーバラの瞳に涙が浮かぶ。
「どうしてそんな酷いことを言うんですか?」
「何も言ってないじゃないですか」
「私、あなたの婚約者を取ろうなんて思ってません!」
「だから、そういう話では──」
「じゃあ、どうして私を責めるんですか!」
そしてぽろぽろと涙を流す。
「私……学園に来たばかりで、何も分からなくて……」
「……」
「ただ、皆さんと仲良くしたかっただけなのに……」
令嬢は言葉を失った。
周囲の生徒たちも困惑する。
「──バーバラ!」
「……殿下?」
聞き慣れた声が響いた。
マルケールだった。
「何をしている!」
マルケールは泣いているバーバラの肩を抱く。
「誰だ!彼女を泣かせたのは!お前か!」
マルケールが令嬢を睨みつける。
「何をした!」
「私は、ただバーバラさんに──」
「彼女が何をしたというんだ!」
「殿下、落ち着いてください!」
「黙れ!」
話を聞こうとしないマルケールに令嬢のまゆがぴくりと動く。
マルケールの怒鳴り声が廊下に響く。
そしてマルケールは吐き捨てるように言った。
「どうせエカテリーナの差し金だろう!」
「……は?」
「私の婚約者が、バーバラを追い出そうとしているんだ!」
「なぜそうなる──」
「言い訳は聞かない!」
その場にいた生徒たちは顔を見合わせた。
近くにいた生徒の一人が教師を呼びに走ったことで、何とかその場は収まった。
しかしこの一件は、それで終わらなかった。
似たような騒ぎが何度も起こるようになった。
バーバラが誰かに近づく、婚約者の令嬢が注意する、バーバラが泣く、マルケールが現れる。
そして必ず最後には、
「エカテリーナの差し金だろう!」
その言葉が出る。
最初は偶然だと思っていた生徒たちも何回も繰り返されるうちに。
「……おかしくない?」
「毎回、同じじゃないか?」
「そもそも、殿下はどうして毎回あの場にいるんだ?」
そんな疑問を抱き始めていた。
そしてその疑問は、次の事件によってさらに大きくなる。
◇
ある日の放課後。
学園の廊下に、少女の泣き声が響き渡った。
「……ひっ、うぅ……」
その声に、帰宅しようとしていた生徒たちが足を止める。
廊下の中央に立っていたのは、バーバラだった。
制服は見るからに濡れている。
髪からはぽたぽたと水滴が落ち、手にしている鞄は無惨にも引き裂かれていた。
周囲の生徒たちが息を呑む。
「どうしたんだ……?」
心配そうな声が上がる中、バーバラは震える手で濡れた制服の裾を握りしめた。
「私の教科書も……ペンも……全部なくなって……」
声を震わせながら、壊れた鞄を見せる。
「それだけじゃありません……!」
バーバラは胸元を押さえ、涙を滲ませた。
「さっき、道を歩いていたら……突然、水をかけられたんです……!」
「何だと……?」
その声に、周囲がざわめいた。
そして、その中から一際鋭い声が響く。
「バーバラ!」
マルケールだった。
彼は駆け寄るなり、濡れた彼女の姿を見て顔を歪めた。
「一体誰がこんなことを……!」
「わ、私……何もしていないのに……」
バーバラは涙をこぼしながら俯く。
「……どうしてこんなことをされるのか、私にも分かりません……」
「誰にやられたんだ?」
「……」
バーバラは答えない。
ただ、怯えたように唇を震わせる。
「言ってくれ。俺が必ず──」
「……エカテリーナ様が……」
その名前が落ちた瞬間、マルケールの表情が変わった。
「……何?」
「エカテリーナ様が……私のことを嫌っているから……」
「バーバラッ!」
マルケールは勢いよく振り返った。
まるで、その名前の持ち主がそこにいることを知っていたかのように。
そして廊下の向こうから歩いてくる、一人の少女と目が合った。
「……エカテリーナ!」
「殿下?」
突然呼び止められ、エカテリーナは足を止める。
何事かと周囲を見回し──濡れたバーバラの姿を見て、目を見開いた。
「これは……一体……」
「お前……!」
マルケールの怒声が飛ぶ。
「バーバラに何をした!」
「……え?」
エカテリーナの顔から血の気が引いた。
「何のことでしょうか?」
「とぼけるな!」
「私は、本当に何も──」
「私物を壊したのも!今日、水をかけたのも!全部お前の仕業だろ!」
「違います!」
エカテリーナは思わず声を上げた。
「私はそんなことをしていません!」
「では誰だ!」
「知りません!」
必死に否定するエカテリーナ。
だが、マルケールの怒りは収まらない。
周囲の生徒たちも固唾を呑んで2人を見守っていた。
「殿下」
静かな声が割って入る。
シシリアだった。
「何だ!?」
「先程まで、エカテリーナ様は私と一緒にいました」
「……何?」
「魔法史の授業が終わった直後です。エカテリーナ様は私たちと一緒に図書室へ向かいました」
シシリアは落ち着いた口調で続ける。
「私も一緒でした」
ニコルが手を挙げる。
「その後、図書室で30分ほど勉強しています」
「私も確認できます」
ナナリーも頷いた。
さらに、近くにいた男子生徒が口を開く。
「俺もその場にいました」
「私もです」
「エカテリーナ様が図書室を離れたのは、次の授業の開始を告げる鐘が鳴る直前だったはずです」
次々と証言が重なっていく。
マルケールの表情から、先程までの勢いが少しずつ消えていった。
「……では、私物を壊したのは?」
苦し紛れに問いかける。
「それはいつの話ですか?」
「え……えっと……」
バーバラが視線を泳がせる。
「一昨日の昼……だったと思います」
「それも無理ですね」
今度はニコラスが答えた。
「一昨日のエカテリーナ様は王妃教育のため1日、王宮にいらしたはずです」
「……」
「証言なら、殿下の母君──王妃殿下がなさってくださるでしょう」
マルケールが黙り込む。
その隙を埋めるように、バーバラが慌てて口を開いた。
「あっ……違うわ!4日前よ!4日前の午後だったわ!」
「4日前、ですか?」
ニコルが首を傾げる。
そして手にしていた手帳を開いた。
「その時間でしたら、エカテリーナ様は魔法実技の校外授業で北側の森にいらしたはずです」
「何?」
「教師も、生徒も大勢いました」
淡々と告げるニコル。
バーバラの顔が引きつる。
「そ、それは……」
「そもそも」
今度はアーサーが口を挟んだ。
彼は廊下の窓から外を一瞥し、それからバーバラへ視線を戻す。
「今日、水をかけられた場所と、エカテリーナ様がいた場所は学園の反対側ですよ」
「……!」
バーバラの肩がびくりと跳ねた。
誰かが、小さく呟く。
「……じゃあ、エカテリーナ様には無理じゃないか?」
「言われてみれば……」
「証言も全部一致してるぞ」
「それに、さっきから話が……」
ぽつり、ぽつりと漏れ始める疑念。
それは瞬く間に周囲へ広がっていった。
廊下に集まった生徒たちの間で、ざわめきが大きくなっていく。
「また殿下の思い込み?」
その言葉がマルケールの耳にも届いた。
「黙れ!」
怒鳴るが、周囲は以前のように誰も黙らなかった。
そんな中、フォーマがふと眉をひそめた。
先ほどから妙な違和感がある。
エカテリーナでもない……バーバラでもない。
マルケールだ。
「……」
フォーマは、マルケールを見つめる。
肩、胸元、そして、その周囲。
肉眼ではほとんど分からないが、魔力の流れを意識して見ると。
「……何だ、これ」
ほんの僅かにマルケールの周囲に、奇妙な魔力の痕跡が残っている。
本人の魔力とは違う、もっと細い糸のような……誰かが遠くから伸ばしているような、そんな魔力。
フォーマは目を細めた。
──魔法?いつから?何のために?
「……」
フォーマは何も言わなかった。
まだ、用途も目的も分からない。
不用意に口にすれば、相手に警戒される。
ただ静かにマルケールの周囲に残る魔力の痕跡を観察した。
細い糸、淡く揺れる魔力、そしてその先は──
「……なるほど」
フォーマは心の中で、そっと呟いた。
(見ているな……)
誰かがこの状況を、どこかからじっと見ている。
フォーマは、誰にも悟られないように視線を逸らした。
──まだ動くな。まずは、正体を探る。
この時フォーマは初めて。
目の前で起きている一連の騒動が、単なる王太子と一人の少女の愚かな恋愛劇ではない可能性に気づいた。
ようやくこの国に来た本来の目的が動き出した事に1人ほくそ笑んだ。




