第7話 彼女の味方
あの日、マルケールがエカテリーナへ手を上げようとした事件から、数日が経った。
学園では、あの場にいた生徒たちの間で様々な噂が飛び交っていた。
王太子が婚約者へ手を上げようとした。
バーバラ・ルイスという一年生が、王太子へ露骨に近づいている。
そして、それを止めたのが、帝国から来た留学生だった。
だが噂がどれほど広がろうとも、フォーマたちは普段通りに過ごしていた。
少なくとも、表面上では。
◇
「……やはり、許せない」
放課後。
学園の一室に、3人の令嬢が集まっていた。
一人は、蜂蜜色の髪を持つ少女。
ニコル・アンジュー伯爵令嬢。
もう一人は、艶やかな黒髪を持つ少女。
シシリア・フランシス侯爵令嬢。
そして最後の一人は、白銀の髪をした少女。
ナナリー・スアビア伯爵令嬢。
3人とも、学園では有力な家の令嬢として知られている。
そして3人には共通点があった。
それぞれの婚約者が、マルケールの側近だった。
「もう限界よ」
シシリアが机を強く叩いた。
「私も」
ニコルが頷く。
「私だって、何度言ったか分からないわ」
ナナリーも唇を噛む。
3人の婚約者たちは、以前からマルケールの側近として行動していた。
しかしここ一年ほど、その態度が明らかに変わっていた。
「昔は、エカテリーナ様のことを『公爵令嬢』と呼んでいたのよ」
ニコルが言う。
「それが今では?」
「呼び捨てよ」
シシリアが吐き捨てる。
「しかも、まるで平民を呼ぶみたいに」
「私の婚約者なんて……」
ナナリーが目を伏せた。
「この前、エカテリーナ様のことを『王太子妃になるには能力不足だ』と笑ったの」
「……」
「私、許せなくて」
ナナリーは拳を握る。
「だから言ったのよ。『あなたは婚約者である私より爵位が上の方を、そのような呼び方で侮辱するのですか』って」
「それで?」
「……殿下がそう仰っているからいいんだ、と」
3人の間に沈黙が落ちる。
「もう、殿下のせいにして逃げるのも終わりにさせましょう」
シシリアが言った。
「私たちの婚約者は、殿下の側近である前に、それぞれの家を背負う貴族よ」
「そうね」
「それなのに王太子の機嫌を取るために、婚約者の令嬢を侮辱するなんて……」
ニコルが立ち上がる。
「父に話すわ」
「私も」
「私もよ」
3人は互いに顔を見合わせた。
「家を通して、国王陛下へ正式に抗議する」
「ええもう、十分証拠は揃ったわ」
「我慢する必要なんてないわね」
◇
翌日。
フォーマたちがいつものように図書室で勉強をしていると。
「……エカテリーナ様」
声をかけてきたのは、ニコルだった。
その後ろにはシシリアとナナリーもいる。
「ニコル様?」
「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
エカテリーナは立ち上がった。
フォーマも視線を向ける。
「俺もいていい?」
「ええ」
ニコルが頷いた。
「むしろ、あなたにも聞いていただきたいですわ」
フォーマは少しだけ眉を上げた。
「分かった」
6人は図書室の奥へ移動した。
ニコルが深く息を吸う。
「まず、謝らせてください」
「……?」
エカテリーナが目を瞬く。
「私たちは……あなたをずっと見ていました」
「え?」
「マルケール殿下があなたを冷遇していることを、知っていました」
エカテリーナの表情が固まる。
「成績を抑えるよう命じられていることも」
「……」
「あなたが人前で侮辱されていることも」
「……はい」
エカテリーナは静かに答える。
シシリアが続けた。
「ですが、私たちは今まで何も言えませんでした」
「相手は王太子、何をされるか分かりませんでしたわ」
シシリアは正直に答えた。
「王太子殿下に逆らえば、私たちの婚約者にも影響が出る」
「私たちの家にも」
ナナリーが続ける。
3人が頭を下げた。
「だから、今まで静観していて、ごめんなさい」
「……」
エカテリーナは言葉を失っていた。
そして静かに言った。
「顔を上げてください」
3人が顔を上げる。
「謝らないでください」
「エカテリーナ様……」
「私も、皆様の立場なら同じことをしていたかもしれません」
「ですが……」
「それでも」
エカテリーナは優しく微笑んだ。
「今、こうして話してくださったことが嬉しいです」
3人の瞳が揺れる。
ニコルが鞄を開いた。
「ですが、私たちは、何もしてこなかったわけではありません」
「……?」
取り出したのは、一冊の分厚い手帳だった。
「これは?」
「日記です」
ニコルが答える。
「2年ほど前、私たちが入学してから記録しておりました」
「……2年?」
「はい」
シシリアも自分の手帳を取り出す。
「私も」
ナナリーも続けた。
「私もです」
3冊の手帳が、机の上に並べられた。
ナナリーが適当なページを開いて指を指す。
「エカテリーナ様が侮辱された日」
「王太子殿下があなたに成績を抑えるよう命じた日」
「あなたの私物がなくなった日」
「壊されたもの」
「誰が何を言ったのか」
「誰がその場にいたのか」
一つ一つ細かく記録されていた。
エカテリーナは、手帳を見つめた。
「……どうして」
ニコルが微笑む。
「一つや二つの出来事を訴えても、国王陛下は動かないと思ったからです」
「王太子殿下と婚約者の間の些細な喧嘩だ、と言われる可能性もあります」
シシリアが続ける。
「だから、時間をかけて証拠を集めました」
ナナリーが静かに言う。
「学園にいる間だけでも、できる限り記録を残してきました」
フォーマは手帳を一冊手に取った。
日付、場所、発言、目撃者、その時の状況、かなり正確に記録されている。
「……凄いな」
思わずフォーマが呟いた。
「これなら、単なる噂じゃない」
「ええ」
ニコルが頷く。
「私たちは、この記録を父に渡します」
「そして家族を通して、国王陛下へ抗議するつもりです」
エカテリーナは何も言わなかった。
ただ手帳を見つめ続けていた。
「……私は」
ぽつりと呟く。
「ずっと、一人で耐えていると思っていました」
「エカテリーナ様……」
「誰も見ていないと思っていました。誰も、気づいていないと……」
彼女の目に涙が浮かぶ。
ニコルがそっと微笑む。
「いいえ」
「……」
「私たちは、ずっと見ていました」
シシリアが続ける。
「そして、今度は見ているだけでは終わらせません」
ナナリーも頷く。
「あなたは一人ではありません」
その言葉にエカテリーナの目から、涙が一粒だけ落ちた。
「……ありがとうございます」
◇
その話はやがて、学園中へ広がっていった。
最初は3人の令嬢だけだった。
だが彼女たちが自分たちの婚約者へ抗議し、家を通して王宮へ訴え出ると知った者たちが、少しずつ声を上げ始めた。
「実は俺も見た」
「私も」
「去年、王太子殿下がエカテリーナ様に……」
「そういえば、あの時も」
今まで誰も言えなかっただけだった。
相手が王太子だから。
逆らうのが怖かったから。
自分の家に迷惑をかけたくなかったから。
けれど一人が声を上げれば、次の一人も、声を上げることができる。
「……俺も、記録を残している」
アーサーが言った。
「俺も」
ニコラスが続く。
「私もです」
マリアンヌも頷く。
「私もよ」
エレノアが胸を張る。
フォーマは、その光景を見ながら静かに笑った。
エカテリーナの周囲に、人が増えている。
一人、また一人と、そしていつの間にか彼女の周囲には、十人以上の生徒が集まっていた。
◇
「……ねえ、フォーマ様」
エカテリーナが小さく尋ねた。
「ん?」
「私……こんなにたくさんの方に、見ていただいていたんですね」
「そうみたいだね」
「知りませんでした」
「俺も最初は知らなかったよ」
「……不思議です」
「何が?」
「私には、何もないと思っていました」
エカテリーナは胸元へ手を当てる。
「王太子殿下の婚約者だから価値があるだけで……殿下に必要とされなくなれば、私には何も残らないのだと」
フォーマは静かに彼女を見る。
エカテリーナは周囲を見る。
「ですが、違ったんですね」
「うん」
「私は……私自身として、見ていただけていたんですね」
「そうだよ」
フォーマは即答した。
「君は君だから」
エカテリーナは微笑んだ。
今度は涙を流しながら。
「……ありがとうございます」
「うん……だから、もう一人で耐えなくていい」
◇
その頃、王宮では。
一通の書状が国王のもとへ届けられていた。
複数の有力貴族家から連名で提出された抗議文。
その添付資料には、2年以上にわたって記録された、数多くの証言と出来事が記されていた。
国王は一枚、また一枚と読み進めていく。
「……これは」
最後の頁を読み終えたところで、深く息を吐いた。
そこには、王太子マルケールが、婚約者である公爵令嬢エカテリーナへ行った数々の言動が。
日時、場所、証言者とともに克明に記されていた。
「……2年以上、か」
国王は眉間を押さえた。
「私は、何も知らなかったというのか」
そして机の上にある別の書類へ目を落とす。
そこには王太子の婚約者に対する、複数の高位貴族家からの正式な抗議、と記されていた。
もうこれは一人の令嬢と王太子の間の問題ではない、王太子自身の問題になり始めていた。




