第6話 新入生と王太子
春が来た。
カルディア学園の校門を、今年も多くの新入生たちがくぐっていく。
フォーマたちは3学年へ進級し、卒業まで残すところ一年となっていた。
「ついに最終学年かぁ……」
ニコラスが教室の窓から外を眺めながら、しみじみと呟く。
「感慨深いわね」
エレノアも微笑む。
「入学した頃が随分昔のように感じます」
マリアンヌが言う。
「フォーマが来てから、もう2年か」
アーサーが眼鏡を押し上げる。
「そうだね」
フォーマは笑った。
「本当にあっという間だった」
そしてフォーマは教室の入口を見る。
そこには、エカテリーナがいた。
「皆様、おはようございます」
「おはよう、カーチャ」
フォーマが笑いかける。
「今年もよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
エカテリーナも微笑む。
2年前に比べれば、彼女は随分と変わった。
少なくとも、フォーマたちといる時には笑えるようになった。
けれど彼女の置かれている状況が良くなったわけではない。
むしろマルケールによる冷遇は、3年生になった今も続いていた。
婚約者であるエカテリーナを人前で侮辱し、彼女の成績を嘲笑する。
彼女が誰かと話していれば、わざとその相手を遠ざける。
そして、以前から続いている私物への嫌がらせも、完全には止まっていない。
それでもエカテリーナは耐えていた。
卒業まで、あと一年。それだけ耐えれば、そう思っていた。
◇
その日の午後
学園では新入生歓迎式が行われていた。
上級生たちも講堂へ集められ、新入生の紹介を見守る。
壇上に立った教師が、一人ずつ名前を読み上げていく。
「続いて、バーバラ・ルイス」
「はい!」
元気な声が響いた。
壇上へ上がった少女を見て、フォーマは少しだけ目を細める。
長いオレンジ色の髪。
大きな桃色の瞳。
愛らしい顔立ち。
小柄な身体。
そしてどこか人懐っこい笑顔。
「可愛らしい子ね」
エレノアが呟く。
「そうだね」
フォーマも頷いた。
バーバラは緊張した様子もなく、壇上から客席を見渡している。
そしてその視線が止まった。
王太子 マルケール・オールブライト。
バーバラの瞳が輝く。
「……」
フォーマは、その一瞬を見逃さなかった。
バーバラは壇上から降りると、同級生たちの列へ戻っていく。
その途中もう一度、マルケールを見る。
今度は明らかに頬を染めていた。
◇
歓迎式が終わる。
新入生たちが教室へ戻ろうとする中。
「殿下!」
声が響くと、バーバラがマルケールのもとへ駆け寄っていた。
フォーマはその様子を見て、僅かに顔をしかめる。
自ら王族に声をかけるのはご法度だ。王族側から声をかけられるか、目が合うまでは、一定の距離を保って待つのが基本である。
しかし、それを知らないのか、バーバラは小走りでマルケールへと近づいていく。
咄嗟にマルケールの側近とエカテリーナが、彼とバーバラの間に入る。
「殿下っ!」
「お下がりください」
「構わん」
マルケールは2人の制止を聞くことなく、その間を抜けて一歩前へ出た。
そして、バーバラへ向き直る。
「何だ?」
「先ほどの生徒代表の祝辞、素敵でした!」
「……そうか」
マルケールは、満更でもなさそうに口元を緩める。
「私、王太子殿下にお会いできて光栄です!」
「君は?」
「バーバラ・ルイスと申します!」
バーバラは可愛らしく頭を下げた。
「ルイス男爵家の娘です!」
「そうか」
マルケールは笑った。
「覚えておこう」
「本当ですか!?」
バーバラの顔が、ぱっと明るくなる。
その光景を、数歩離れた場所からエカテリーナが見つめていた。
「……」
エカテリーナの表情に、僅かな陰が落ちる。
フォーマはそれに気づくと、何も言わず彼女の隣へ歩み寄った。
「行こう、カーチャ」
「……はい」
だがその翌日から、バーバラは、明らかにマルケールへ近づくようになった。
昼休み。
「殿下!今日もいらっしゃったんですね!」
「私がこの学園にいるのだから当然だろう」
「そうですよね!」
バーバラは楽しそうに笑う。
「殿下は何がお好きなんですか?」
「そうだな……」
マルケールも楽しそうに答えている。
その光景を見ていたニコラスが、眉をひそめる。
「……おい」
「何?」
「これ、いいのか?」
「何が?」
「いや……」
ニコラスはエカテリーナを見る。
彼女は静かに食事を続けていたが、彼女がフォークを持つ指に、僅かに力が入っていることに気づいていた。
「カーチャ」
「はい?」
「今日の放課後、図書室行く?」
「……はい」
エカテリーナは微笑んだ。
「ご一緒させてください」
◇
それから数日
バーバラは、さらに露骨になった。
「殿下、一緒に食事をしませんか?」
「殿下、この本を教えてください!」
「殿下、魔法実技を見ていてください!」
何かにつけてマルケールへ近づく。
そしてマルケールも、それを拒まなかった。
むしろ楽しんでいるようだった。
ある日の昼休み。
ついにマルケールはバーバラの肩へ手を回した。
「えっ……殿下?」
「どうした?」
「み、皆さんが見ています……」
「構わない」
マルケールは笑った。
「私は彼女を気に入っている」
「……」
「むしろ、私の恋人だと皆に知ってもらった方がいい」
周囲がざわめく。
「こい、びと……?」
「王太子殿下が?」
「でも殿下には婚約者が──」
そしてその言葉は当然、エカテリーナの耳にも届いた。
「……」
彼女は何も言わなかった。
ただ静かに席を立つ。
「カーチャ」
フォーマが呼び止める。
「……大丈夫です」
エカテリーナは微笑んだ。
「少し、外の空気を吸ってまいります」
「俺も行こうか?」
「いえ」
彼女は首を振った。
「皆様は、そのままお食事を続けてください」
そう言って、去っていく。
フォーマは追いかけようとしたが、エレノアが腕を掴む。
「待って」
「エレノア?」
「今は、少しだけ一人にしてあげましょう」
「……」
フォーマは悔しそうに拳を握る。
「分かった」
しかしその直後バーバラがマルケールに甘えるような声を出した。
「殿下ぁ、放課後も一緒にいてくださいますよね?」
「ああ」
「嬉しい!」
フォーマは二人を見た。
そして静かに目を細める。
「……これは、まずいな」
ニコラスが頷く。
「ああ」
「でも、どうする?」
「まだ俺たちにできることは少ない」
フォーマは答えなかった。
ただエカテリーナが去っていった方向を見る。
胸の奥に、嫌な予感があった。
そしてその予感は、数日後に現実となった。
◇
「ねえ、エカテリーナ様」
廊下。
バーバラがエカテリーナを呼び止めた。
「何でしょうか?」
「殿下のことなんですけど」
「……殿下?」
「はい」
バーバラはにっこりと笑った。
「私、殿下のことが好きなんです」
「……」
「だ・か・らぁ」
一歩近づく。
「婚約者だからって、ずっと殿下を独占するのはどうなのかなって」
エカテリーナは黙って彼女を見つめた。
「殿下も私のことを好きだって言ってくださっています」
「……そうですか」
「なので、婚約を解消していただけませんか?」
周囲の空気が凍る。
エカテリーナは、しばらくバーバラを見つめていた。
「……ルイス男爵令嬢」
「はい?」
「それは、私にお願いすることではありません」
「え?」
「王太子殿下との婚約を私の一存で解消する権限はございません」
エカテリーナは静かに答えた。
「殿下との婚約は、2人だけの問題ではありません。王家と公爵家、そして王国そのものに関わるものです」
「でも……」
「もし本当に婚約の解消を望んでいらっしゃるのであれば」
エカテリーナは一歩も引かず、淑女の微笑みを浮かべた。
「私ではなく、国王陛下に進言なさってください」
「……!」
「殿下ご自身がお望みならば、殿下から陛下へ正式にお話しすればよろしいでしょう」
淡々とだが、一切の隙なく。
「私に婚約を譲ってほしいと仰るのは、少々筋が違うのではありませんか?」
「そ、それは……」
バーバラの笑顔が引きつった。
周囲から小さなどよめきが起こる。
エカテリーナはそれ以上追及しなかった。
ただ、最後に一言だけ。
「私は、決められた婚約を勝手に破棄するつもりはございません。
そのような重要なことを、私一人の判断で決めることなどできませんから」
静かな声音だった。
けれど、その言葉には公爵令嬢としての矜持があった。
──その直後。
「──エカテリーナ!」
廊下に怒声が響いた。
マルケールが怒りの形相でやってくる。
「殿下……」
「バーバラに何を言った!」
「私は何も──」
「嘘をつくな!」
マルケールが近づく。
「お前がバーバラを虐めたそうだな!」
「そのようなことは──」
「もういい!」
マルケールは怒鳴る。
「お前の差し金でバーバラが私から離れようとしているのだろう!」
「違います!」
「言い訳するな!」
マルケールが腕を振り上げる。
「──っ!」
エカテリーナが目を閉じた。
しかしその腕はエカテリーナへ届かなかった。
誰かが、マルケールの手首を掴んでいた。
「……そこまでにしてもらおうか」
低い声。フォーマだった。
その後ろには、ニコラス、エレノア、マリアンヌ、アーサー、そして何人かの高位貴族の生徒たち。
皆が、険しい表情でこちらを見ていた。
「離せ留学生……!」
マルケールが睨むと、フォーマはあっさりと手を離した。
「女性に手を上げる王太子なんて、初めて見たよ。もしかしてこれがブライト王国での礼儀作法なのかな?」
「貴様……!」
「それ以上はやめた方がいい」
フォーマは静かに言った。
「ここには、見ていた人間が大勢いるからね」
マルケールの顔が歪むが、その場ではそれ以上何もできなかった。
フォーマはエレノアとマリアンヌに背中をさすられてるエカテリーナへ振り返る。
「カーチャ、大丈夫?」
「……はい」
エカテリーナは震える声で答えた。
「ありがとうございます……」
フォーマは頷いた。
そして、アーサーとニコラスと同じように、彼女の前に立った。
まるでこれ以上、誰にも近づかせないとでも言うように。
この日を境に、エカテリーナを取り巻く空気は、大きく変わり始めた。




