第5話 積み重なる傷
季節は、幾度となく巡った。
春が過ぎ、夏が来て。
長い夏休みが終われば、また新しい学期が始まる。
フォーマがカルディア学園へ留学してから、1年が経とうとしていた。
そして彼らは2学年へ進級していた。
◇
「フォーマ、久しぶり!」
新学期初日の朝。
教室へ入ったフォーマに、ニコラスが勢いよく駆け寄ってきた。
「久しぶり」
「帝国には帰ってたんだろ?」
「うん。家族に顔を見せてきた」
「どうだった?」
「楽しかったよ。やっぱり故郷は落ち着くね」
「へえ。今度帝国の話を聞かせてくれよ」
「もちろん」
その後ろから、エレノアとマリアンヌもやって来る。
「おはよう、フォーマ様」
「おはようございます」
「おはよう、2年生になった実感がないな」
フォーマが笑う。
「俺もだよ」
「皆様、おはようございます」
背後から穏やかな声が聞こえた。
振り返るとそこにはエカテリーナがいた。
「おはよう、カーチャ」
「おはようございます、フォーマ様」
「久しぶり」
「はい」
彼女も微笑んだ。
以前よりも自然な笑顔だった。
一年前と比べれば、明らかに変わっり自然に笑えるようになっている。
フォーマはそれを嬉しく思っていた。
だが、彼女の瞳の奥から、完全に疲労が消えたわけではない。
むしろ以前より、少し深くなっているようにも見えた。
◇
2年生になってからも、彼らの関係は変わらなかった。
授業
勉強会
昼食
時には王都の菓子店巡り。
6人はいつも一緒だった。
エカテリーナも、以前より積極的に会話へ参加するようになった。
「この前の歴史の課題、面白かったですね」
「だよな」
ニコラスが頷く。
「王国建国期の地図、今と全然違うんだよ」
「ええ。南部の地形もかなり変わっています」
「カーチャ、詳しいね」
「歴史が好きですから」
「じゃあ今度、帝国の歴史も教えるよ」
「楽しみにしています」
そんな穏やかな日々。
けれどマルケールとの関係だけは、少しずつ悪化していた。
いや悪化したというより、マルケールの態度が、徐々に変質していった。
◇
最初は些細なことだった。
「エカテリーナ、今日は私の側に来なくていい」
そう言われることが増えた。
そして次第に。
「君と話していると疲れる」
「そんなに私を見張るな」
「君は王太子妃になるのだから、もっと愛想よくできないのか」
言葉がきつくなっていった。
そして公の場でも。
「私の婚約者は、どうも勉強が苦手でね」
などと笑うようになった。
周囲の者たちは、それを冗談だと思っていた。
しかしフォーマには分かっていた。
マルケールは、本気でエカテリーナの価値を下げようとしている。
◇
秋
学園祭が近づいていた。
ある日の放課後。
図書室で勉強していた5人の前に、エカテリーナがやって来た。
「皆様……少しよろしいでしょうか」
「どうしたの?」
エレノアが尋ねる。
「……少し、お話したいことが」
エカテリーナは椅子に座った。
そして、しばらく黙っていた。
「実は最近……私物が、なくなるのです」
「……何?」
ニコラスの顔から笑顔が消えた。
エカテリーナは膝の上で手を握る。
「最初は私の勘違いだと思っていました。ですが、何度も続いています」
「何がなくなったの?」
マリアンヌが尋ねる。
「教科書ですとか……ノートですとか」
「それなら誰かが間違えて持っていった可能性も──」
「昨日はペンケースの……中に入れていたペンが、全て折られていました」
「……」
誰も言葉を発しなかった。
「それから」
彼女はさらに続ける。
「魔法実習用の手袋が切られていました」
「切られて?」
「はい」
エレノアが眉を寄せる。
「怪我は?」
「幸いありませんでした」
「幸いって……」
アーサーが拳を握る。
「それ、明らかに誰かがやってるだろ」
「私もそう思います」
エカテリーナは俯いた。
「ですが……証拠がありません」
「先生には?」
「相談しました」
「何て?」
「気のせいではないか、と」
「……は?」
ニコラスが声を荒らげる。
「そんなわけ──」
「ニコラス」
フォーマが静かに制した。
だがその声は普段より低かった。
「……いつから?」
エカテリーナが顔を上げる。
「はい?」
「私物がなくなったり、壊されたりするようになったのは、いつから?」
「……2ヶ月ほど前です」
「2ヶ月」
フォーマは考える。
「頻度は?」
「週に一度くらい……でしょうか」
「最近は?」
「……増えています」
エカテリーナの指が震えた。
「先週は三度ありました」
エレノアが息を呑む。
「三度……?」
「はい」
フォーマは目を伏せた。
これは偶然ではない、誰かが意図的にやっている。
しかも徐々にエスカレートしている。
「どうして、もっと早く言ってくれなかったの?」
エレノアが尋ねる。
エカテリーナは困ったように笑った。
「皆様にご迷惑をおかけしたくなかったので」
「迷惑なんかじゃない」
即答したのはフォーマだった。
「俺たちは友達だろ?」
「……」
「友達が困ってるなら、助けるのは当たり前だよ」
「ですが……」
フォーマは少しだけ笑う。
「それに、俺たちが気づかないところで、もっと酷いことになったら困る」
「……」
エカテリーナは目を伏せた。
「ありがとうございます」
その声は小さかった。
「では、今後は何かあったらすぐに言ってください」
マリアンヌが優しく言う。
「私たちも気をつけて見ておきます」
「私も」
エレノアが頷く。
「俺もだ」
ニコラスも続く。
「もちろん俺も」
アーサーが眼鏡を押し上げた。
「ありがとう……ございます」
エカテリーナは深く頭を下げた。
◇
その日の帰り道。
フォーマは一人、廊下を歩いていた。
いつもの柔らかい笑みは消え、氷のように冷たい表情だけ。
考えているのは、先ほどの話。
私物の紛失。
故意的な破損。
頻度の増加。
そして教師がまともに取り合わなかったこと。
「……誰がやっている?」
小さく呟く。
犯人は分からないが、誰が得をするのか。
それを考えれば、ある程度は絞れる。
その時。
「フォーマ様」
背後から声をかけられた。
振り返ると、エカテリーナがいた。
「カーチャ?」
「少し……よろしいでしょうか」
「もちろん」
彼女は少し迷った後、口を開いた。
「先ほどのお話ですが」
「うん」
「……本当に、大丈夫です」
「何が?」
「私のことです」
フォーマは黙った。
「これくらいなら、慣れていますから」
その言葉を聞いた瞬間、フォーマの中で何かが切れた。
「……カーチャ」
「はい?」
「それ、もう言わないで」
「……」
フォーマは彼女を見る。
「『慣れているから大丈夫』って言葉……それは、大丈夫じゃない人が言う言葉だから」
「……」
「君が傷ついているなら、傷ついているって言っていい」
エカテリーナの瞳が揺れる。
「嫌なら、嫌だと言っていい」
「……はい」
「怖いなら、怖いと言っていい」
「……はい」
「助けてほしいなら、助けてって言っていい」
「……はい」
彼女の瞳に、涙が浮かぶ。
「……では」
「うん」
「もし……」
エカテリーナは唇を震わせた。
「もし、これからもっと酷いことになったら……助けていただけますか?」
フォーマは迷わず答えた。
「もちろん」
エカテリーナは目を伏せる。
「……ありがとうございます」
「うん」
2人の間に沈黙が流れた。
やがてエカテリーナが小さく微笑む。
「それでは……また明日」
「また明日」
彼女が去っていく。
フォーマはその背中を見送った。
そして誰にも聞こえない声で呟いた。
「……もう、見過ごせないな」
◇
それから数週間
状況はさらに悪化した。
ノートが破られ、制服に飲み物をかけられ、机の中に悪意ある手紙を入れられ、魔法道具を壊される。
それでもエカテリーナは耐え続けた。
そしてフォーマたちも、彼女を一人にしないようにした。
教室へ行く時も、昼食を取る時も、図書室へ行く時も。
必ず誰かが一緒にいる。
だが嫌がらせは止まらなかった。
むしろエカテリーナの周囲に味方が増えたことで、誰かが意図的に彼女を狙っているかのように、その頻度は増していった。
そして冬が近づいた頃。
フォーマは、ある噂を耳にした。
「最近、殿下がエカテリーナ嬢を正式に婚約者から外すつもりらしい」
ニコラスが険しい顔で言った。
「……何?」
フォーマが顔を上げる。
「まだ噂だ。だけど、王宮でもそういう話が出ているらしい」
「理由は?」
「さあな」
ニコラスは首を振った。
「ただ……」
「ただ?」
「殿下が最近、妙に機嫌がいいらしい」
フォーマの胸に、嫌な予感が走った。
まだ何が起きるのかは分からないが、何かが変わろうとしている。
そんな気がしてならなかった。
そして、それから数ヶ月後。
カルディア学園に、一人の新入生が姿を現す。
彼女の名前は──バーバラ・ルイス。
この少女の登場がエカテリーナの運命を、大きく変えることになる。




