第3話 順位表の向こう側
定期試験の日がやってきた。
カルディア学園では、学期ごとに筆記試験と実技試験が行われる。
魔法学、歴史学、地理学、数学、語学。
そして魔法実技。
複数の科目を総合した順位が、学年順位として発表されることになっていた。
「いよいよ試験か」
教室で答案用紙を眺めながら、ニコラスがため息を吐いた。
「今回は厳しいぞ。数学の教師、絶対に平均点を下げに来てる」
「普段から勉強していれば問題ないでしょう」
エレノアが涼しい顔で答える。
「それができないから困ってるんだよ」
「威張ることではないわ」
マリアンヌが苦笑する。
そんな会話を聞きながら、フォーマは窓の外を眺めていた。
「フォーマは余裕そうだな」
ニコラスが恨めしそうに見る。
「そうでもないよ」
「嘘つけ」
「本当だよ」
フォーマは笑った。
実際、試験そのものに不安はなかった。
ゼレノイ帝国では幼い頃からしっかりと教育を受けてきた。
他国の試験だからといって、そう簡単に苦戦することはない。
ただし、フォーマは一人の人物を思い浮かべた。
エカテリーナ・フルーネフェルト
彼女が本気を出せば、恐らく自分と同じか、それ以上の点数を取る。
だがきっと今回も、彼女は力を抑える。
そのことを考えると、フォーマは少しだけ複雑な気持ちになった。
◇
試験初日
「始め!」
教師の声と同時に、生徒たちが一斉に答案へ向かう。
フォーマもペンを走らせた。
数学、歴史、地理、語学。
問題を一通り確認する。
難しくないが、フォーマは途中でペンを止めた。
問題用紙の隅に、小さく印をつける。
留学生としてあまり目立ちすぎるのも問題だから、満点をとる必要はない。
それに、自分の順位が上がれば上がるほど、王太子との比較も生まれる。
フォーマは一瞬だけマルケールの方を見る。
彼は真剣な顔で答案を書いていた。
ならば、自分も適度なところで抑える。
そう考えて、再びペンを走らせた。
◇
数日後
魔法実技試験。
指定された術式を構築し、決められた魔力を正確に流す。
フォーマの番が来た。
「フォーマ・バイエンス」
「はい」
魔法陣の前に立つ。
深呼吸をしてから、魔力を流す。
淡い光が魔法陣を走り、複雑な術式が一つずつ起動していく。
だが展開速度は気持ちゆっくりめに。
「……綺麗だ」
誰かが呟いた。
最後の術式が発動する。
寸分の狂いもない。
「合格」
教師が頷くとフォーマは軽く頭を下げて席へ戻った。
次に呼ばれたのは──
「エカテリーナ・フルーネフェルト」
「はい」
エカテリーナが立ち上がり、魔法陣の前へ。
彼女が魔力を流し始める。
──あまりにも綺麗だった。
魔力の流れは均一、術式の切り替えも完璧。
それなのに最後の一瞬、ほんのわずかに魔力を乱した。
結果として、術式の威力が僅かに落ちる。
「……合格」
教師が告げた。
その表情は複雑そのもののようだ。
フォーマは僅かに目を細める。
どうやら教師もエカテリーナの実力を理解しているようだ。
エカテリーナは一礼して戻ってくる。
席についた彼女を、フォーマはちらりと見る。
「……」
「どうかしましたか?」
「いや」
フォーマは小さく笑った。
「君、やっぱり上手いね」
「ありがとうございます」
「最後、わざと?」
「……」
エカテリーナは答えなかった。
ただ、ほんの少しだけ目を伏せた。
◇
試験結果発表の日がやってきた。
朝から、校舎の掲示板前には大勢の生徒たちが集まっていた。
「来たぞ!」
「学年順位だ!」
「どれどれ……!」
掲示板に張り出された紙を、一目でも早く見ようと、生徒たちが我先にと押し寄せている。
その人波を縫うようにして、フォーマもニコラスたちと共に掲示板へ向かっていた。
「さて、何位かな」
ニコラスが楽しそうに笑う。
「フォーマなら上位だろ」
「どうだろうね」
そう答えながら、フォーマは掲示板を見上げた。
そこには、学年上位20名の名前が既に並んでいる。
一番上、そこには当然のように、マルケール・オールブライト王太子の名があった。
「やっぱり殿下だ!」
「さすが王太子殿下!」
「今回も上位だ!」
周囲から歓声が上がる。
その声を浴びながら、マルケールは取り巻きたちに囲まれ、満足そうに胸を張っていた。
「当然だろう」
「本当に素晴らしいです!」
「王太子殿下は何をなされても一流ですな」
次々と向けられる称賛に、マルケールは当然のことのように頷いている。
その少し離れた場所では、エカテリーナが一人で順位表を見つめていた。
自分の名前を上から順番に探す。
10位……15位……20位。
──ない。
さらにその下へ視線を落とす。
やがて見つかった自分の名前は、学年全体で見れば真ん中より少し上の位置にあった。
決して悪い順位ではない。
むしろ、十分に手を抜く努力した結果だ。
「……あら」
近くにいた令嬢の一人が、順位表を見て小さく声を漏らした。
「やっぱりこの辺りなのね」
「王太子殿下とは随分と差があるわね」
「まあ、当然じゃない?」
「でも婚約者なのでしょう?」
くすくすと笑う声。
「王太子妃になるなら、もう少し頑張った方がいいんじゃないかしら」
「そうよね」
「公爵令嬢なのに、このくらいなのね」
「殿下のお隣に立つのに相応しいのかしら」
──っ。
エカテリーナの指先が、僅かに震えた。
一言残らず聞こえている。
けれど、何も言い返せない。
言い返したところで、自分があえてそういう順位に居るように調節しているのだから、ただ黙って順位表を見つめるしかなかった。
「……あった」
少し離れた場所から、声が聞こえた。
フォーマだった。
彼は上から順番に名前を追っていたが──やがて、ある場所で視線を止める。
「フォーマ・バイエンス……」
そして。
「──23位」
「おお!」
ニコラスが声を上げた。
「惜しいな!」
「本当に?」
「ほら、ここだよ」
ニコラスが指差す。
フォーマは掲示板を見つめた。
そこには確かに、自分の名前がある。
フォーマ・バイエンス──23位。
「……やった!」
両手を握りしめた。
「上位だ!」
「うお!?」
「惜しいけど上位だ!」
その声は、掲示板前に集まっていた生徒たちにも聞こえるほど大きかった。
「23位だ!」
フォーマは本気で嬉しそうに笑っている。
「やったぁ……!」
「おいおいフォーマ。そんなに喜ぶか?」
ニコラスが思わず笑い出す。
「喜ぶよ!」
フォーマは満面の笑みを浮かべた。
「ブライト王国に来て、これが最初の試験だぞ?しかも23位だ!」
「まあ……確かにな」
「だって学年全体だろ?」
「ああ」
「いやぁ頑張って良かった!」
フォーマは本当に嬉しそうだった。
まるで、この順位が世界で一番嬉しい知らせであるかのように。
「よかった!」
そして、胸を撫で下ろす。
「これなら父上にも、家族にも胸を張って報告できる!」
その無邪気な喜びに、周囲の生徒たちも思わず視線を向け始めた。
「帝国から来た留学生だろ?」
「23位かすげぇな」
「転入してきたばかりなんだろ?」
「かなり優秀じゃないか」
先ほどまでエカテリーナへ向けられていたものとは違う。
けれどそこには確かに──フォーマ自身へ向けられた称賛が混じり始めていた。
その声に、エカテリーナが顔を上げた。
視線の先には、嬉しそうに笑うフォーマがいる。
「フォーマ様……?」
「いやぁ、危なかった!」
フォーマは頭を掻きながら笑った。
「最後の方なんて、もう全然自信なくてさ。落ちてたらどうしようって、ずっと思ってたんだよ」
「お前、試験中そんな顔してなかっただろ」
ニコラスが呆れたように言う。
「してたよ!」
「ポーカーフェイスにも程があるって、なあ、エカテリーナ嬢」
「え?あ、まあ…そうですね」
「エカテリーナ嬢まで!?」
3人のやり取りに、周囲から小さな笑い声が起こる。
フォーマもつられるように笑った。
そして、その笑顔のまま、エカテリーナへ視線を向ける。
ほんの一瞬だけその瞳から、無邪気な笑みが消えた。
エカテリーナの周囲にいた令嬢たち。
彼女たちの言葉、嘲るような視線、俯いたエカテリーナの表情。
──全部、見えていた。
だからフォーマは、何事もなかったかのように笑った。
「エカテリーナ嬢に感謝だな」
「え?」
「ちゃんと勉強して、みんなと一緒に頑張って、それでここに名前が載ったんだ!」
その言葉に、周囲の空気が少しずつ変わっていく。
フォーマはそれを感じ取っていた。
けれど、あえて何も言わない。
ただ、笑う。
「それにさ」
フォーマはニコラスたちを見る。
「みんなで勉強しただろ?」
「お前……」
ニコラスが少し照れくさそうに笑った。
「そういうこと言うなよ」
「本当のことだろ?」
フォーマは笑った。
「俺一人の結果じゃない。みんなのおかげだ、エカテリーナ嬢も付き合ってくれたし」
「私ですか?」
エカテリーナが目を瞬く。
「ああ!」
フォーマは迷いなく頷いた。
「ありがとうな」
「……」
エカテリーナは、しばらくフォーマを見つめた。
「……どういたしまして」
ほんの少しだけ口元が緩んだ。
フォーマは、その小さな変化を見逃さなかった。
「よし!」
「何が『よし』なんだ?」
ニコラスが首を傾げる。
フォーマは拳を握る。
「試験も終わったんだ、今日は甘いものを食べに行こう!」
「またかよ!」
「いいじゃないか!」
「私は賛成!」
エレノアが笑う。
「私も」
マリアンヌも頷いた。
「俺も構わない」
アーサーも続く。
「じゃあ決まりだな!」
フォーマが笑った。
「この前話してたタルトの店に行こう!エカテリーナ嬢も一緒に行こう!」
「はい」
エカテリーナも頷く。
その表情は──先ほどまでとは違っていた。
まだ完全に晴れたわけではないけれどらほんの少しだけ明るくなっていた。
6人はそのまま、掲示板前を離れていく。
その背中を見送るように、生徒たちの声が聞こえてくる。
「バイエンス子息って面白い奴だな」
「23位であんなに喜ぶのか」
「でも、帝国から来たばかりであの順位位なら確かに凄い」
「なんか親しみやすいよな」
いつの間にかエカテリーナへの陰口は途絶えていた。
フォーマは振り返らない。
ただ隣を歩くエカテリーナの横顔だけを、ちらりと確認する。
彼女の瞳には、もう先ほどの沈んだ色はなかった。
「……ありがとうございます」
小さな声だった。
「ん?」
「いえ……何でもありません」
エカテリーナは首を振る。
フォーマは少しだけ笑った。
「そう?」
それ以上は聞かなかった。
ただ、何事もなかったように前を向く。
「それじゃあ、限定タルトを食べに行こう」
「はい」
「今月の限定は桃らしいですよ」
「通常メニューにキッシュもあるらしいぜ」
「いいわね」
「紅茶が飲みたいわ」
2人の前にはニコラスたちがいる。
後ろにも、多くの生徒たちがいる。
誰が見ても、ただの友人同士の集まりだ。
今はそれだけで十分だった。
フォーマは知っている。
エカテリーナ・フルーネフェルト。
彼女は、掲示板に書かれた数字だけでは測れないほど、もっと優秀な人間だ。
ただ、その力を十分に発揮できていないだけ。
だからいつか彼女自身が、そのことを胸を張って誇れる日が来ればいい。
そのためなら自分が23位だったことくらい、いくらでも喜んでやる。
フォーマはそんな決意を胸の奥にしまったまま、仲間たちと王都の街へ歩いていった。
その背中には自分の順位を喜ぶ、一人の留学生の姿しかなかった。




