第24話 新たな未来へ
大広間は、未だかつてないほどの騒然に包まれていた。
「ゼレノイ帝国の……第一皇太子殿下……?」
「では、あのフォーマ・バイエンスという男は……」
「まさか……本物なのか?」
誰もが戸惑い、互いの顔を見合わせている。
つい先ほどまで一人の留学生として親しまれていた青年が、実は大国の次期皇帝だったのだ。すぐに事実を受け入れられないのも無理はなかった。
そんな中、ヴァルフォロメイは、エカテリーナと繋いだ手をそのままにしていた。
「……」
エカテリーナはその手を見つめる。
ほんの少し前まで彼女が知っていたのは、穏やかで聡明な留学生──フォーマ・バイエンスだった。
自分の話を聞いてくれて。
くだらない話にも笑ってくれて。
授業で分からないところがあれば一緒に考えてくれて。
足を怪我した時には、何度も見舞いに来てくれた。
何より、誰もが自分の能力を押さえつけようとする中で、彼だけは彼女の努力を認め、心から褒めてくれた。
今握っている手の感触も、その温もりも。
その全てが、目の前にいる男と同一人物だった。
「……ふふ」
エカテリーナは小さく笑った。
「どうしたの?」
ヴァルフォロメイが首を傾げる。
「いえ……」
エカテリーナは差し出された手を握ったまま続ける。
「やっぱり、フォーマ様だったのだなと思いまして」
「……そう?」
「はい」
彼女の笑顔は、今まで彼が知っているものと変わらなかった。
「だって、私が知っているフォーマ様は、皇太子殿下になっても変わらないでしょう?」
「……」
ヴァルフォロメイは一瞬、目を丸くした。
「……参ったな」
小さく笑う。
「君には敵わないよ」
2人が微笑み合った、その時。
「ヴァルフォロメイ殿下」
国王が声をかけた。
ヴァルフォロメイが振り返る。
「我が国のためにも、今一度、説明していただきたい」
「もちろんです」
ヴァルフォロメイはエカテリーナの手を離し、国王へ向き直った。
「俺がこの国へ来た理由は、単なる留学ではありません」
大広間が静まる。
「以前から、ブライト王国の一部貴族が不自然な動きをしているという情報が帝国に入っていました」
ニコル、シシリア、ナナリーが顔を見合わせる。
「資金の流れ、国外との不審な接触、王太子殿下の周囲に集まっていた者たちの一部には、国家転覆を企てる動きまで見られました」
ヴァルフォロメイは淡々と話す。
「その手はこの国の国王のいのちは疎か、我が国ゼレノイ帝国まで及びそうな計画があると、諜報員からの情報がありました。そこで俺自身が身分を隠して学園へ入り、内部から調査をしていたというわけです」
「では……」
シシリアが呟く。
「最初から全部……」
「全部ではないよ」
ヴァルフォロメイが苦笑する。
「俺だって学生生活を楽しんでいた時期はある」
「まあ……」
ナナリーが思わず笑う。
「確かに、スイーツ店の話をしている時のフォーマ様は本当に楽しそうでしたわ」
「そうでしょう?」
「そこは否定なさらないのですね」
ニコルが呆れたように笑った。
張り詰めていた空気がほんの少しだけ和らいだ。
「……それに」
ヴァルフォロメイはエカテリーナを見る。
「学園に来たことで、思いがけない出会いもあった」
「……!」
エカテリーナの頬が赤くなる。
マリアンヌとエレノアが顔を見合わせて、にこりと笑った。
「まあまあ」
「これはもう完全に惚気ですわね」
「ちょ、ちょっとお二人とも……!」
エカテリーナが慌てる。
そんな様子を見てヴァルフォロメイは楽しそうに笑った。
その姿を見ていた国王は、静かに目を伏せた。
彼らがこうして笑い合えるようになるまで、エカテリーナがどれほどの苦しみを抱えてきたのか。
そして、その苦しみに王家がどれほど長く気づかずにいたのか。
王として、見過ごすことのできない事実だった。
「……エカテリーナ・フルーネフェルト嬢」
「はい」
国王の声に彼女は姿勢を正す。
「まずは……謝罪させてほしい」
「……」
「王太子であるマルケールの行いを、王として止めることができなかった」
国王は深く頭を下げた。
周囲の貴族たちが息を呑む。
国王が一人の令嬢に対して、公の場で頭を下げているのだ。
「そして長きにわたり、そなたを苦しませた」
「陛下……」
「本当に申し訳なかった」
エカテリーナはしばらく黙っていた。
かつて、どれほど苦しくても誰も助けてはくれなかった。
自分が悪いのだと言い聞かせ、笑顔を貼りつけ、ただ耐えるしかなかった。
だからこそ、今こうして国王から謝罪の言葉を受け取ることが、すぐには信じられなかった。
やがて彼女は静かに首を横に振る。
「……もう、よろしいのです」
「フルーネフェルト嬢」
「もちろん、辛かったです」
彼女は正直に言った。
「何度も、自分は何のために生きているのだろうと思いました」
その言葉に、友人たちの表情が曇る。
けれど、エカテリーナはもう俯かなかった。
隣に立つヴァルフォロメイを見る。
「でも……私はもう、一人ではありませんから」
「……!」
ヴァルフォロメイが目を見開く。
「私には友人がいます」
ニコルたちを見る。
「守ってくれる人たちがいます。そして……」
エカテリーナはそっとヴァルフォロメイの手を握る。
「私を、私として見てくださる方もいます」
ヴァルフォロメイを見上げると笑顔を返してくれた。
「だから……もう大丈夫です」
国王は目を閉じた。
「……そうか」
その短い言葉には、安堵と悔恨、そして彼女の未来を願う思いが込められていた。
そして王妃もまた、エカテリーナへ歩み寄った。
「エカテリーナ嬢」
「はい」
「あなたには……本当に苦労をかけました」
王妃は悲しそうに微笑む。
「私も王妃として、もっと早く動くべきでした」
「王妃陛下……」
「どうか、これからは自分のために生きてください」
「……はい」
エカテリーナは深く頭を下げた。
もう、誰かの期待に応えるためだけに生きる必要はない。
自分の望む未来を、自分の意思で選んでいいのだ。
その当たり前の自由を、彼女はようやく手に入れたのだった。
そして国王が正式な宣言をする。
「エカテリーナ・フルーネフェルト公爵令嬢」
「はい」
「此度の件をもって、そなたとマルケール・オールブライトの婚約解消を王家として正式に発表する」
静かなざわめきが広がった。
しかし、それは驚きの声ではなかった。
誰もが、この結末を当然のものとして受け止めていた。
エカテリーナは静かに目を伏せる。
長く自分を縛りつけていた婚約が、今度こそ公の場で終わりを告げたのだ。
もう、振り返る必要はない。
国王は広間を見渡し、改めて口を開いた。
「そして……」
国王は一度言葉を切った。
集まった貴族たちの視線が、一斉に国王へと注がれる。
「この場で公にしておこう。マルケール・オールブライトは今後、王家の名には残す。だが、王族としての公務および権限は一切与えない」
「……っ!」
マルケールの肩が跳ねた。
しかし、国王は息子の反応を気に留めることもなく、淡々と続ける。
「そして、次期国王候補として王太子の座を継ぐのは、我が弟の息子──ディオンとする」
「なっ!?」
マルケールが目を見開いた。
「父上!待ってください!ディオンはまだ10歳にも満たない子供ですよ!?そんな子供に務まるはずがありません!」
必死の訴えだった。
自分が王太子の座を失うなど、認められるはずがない。ましてや、その座を9歳の従弟に奪われるなど、到底受け入れられなかった。
だが、国王は深々とため息をついた。
「……マルケール。そなたは本当に何も分かっておらんのだな」
「…………へ?」
あまりにも冷静な声に、マルケールの勢いが止まる。
「ディオンは、齢9歳にして人々の生活水準を向上させる魔道具を開発しているのだぞ」
「……え?」
マルケールの表情が固まった。
国王は呆れたように首を振る。
「知らぬのか。近頃、国内で評判になっている便利な魔道具の数々を」
そこで王妃が、静かに口を開いた。
「聞いたことはないかしら?『ディーの宝石箱』という魔道具や便利道具を扱うお店を」
「あ……」
マルケールの口から、かすかな声が漏れた。
その店の名なら知っている。
暮らしを便利にする品々を次々と生み出し、貴族だけでなく平民からも絶大な人気を集めている店だ。
自分も日常生活で、その店の品をいくつも使っていた。
「あなたも普段の生活で使っているはずよ」
王妃の声は、どこまでも穏やかだった。
だからこそ、マルケールには逃げ場がなかった。
「そんな……」
「それにな」
国王はさらに追い打ちをかける。
「あの子は、国家転覆の計画があることにも気づいていた。そこにいるフォーマ・バイエンス殿……いや、ヴァルフォロメイ皇太子殿下と、ほぼ同じ時期にな」
「…………!」
マルケールの顔が引きつった。
自分が気づきもしなかった危機を、九歳の子供が察知していた。
自分が権力を振りかざし、周囲を見下していた間にも、ディオンは国の未来を考え、人々の暮らしを支え、国を脅かす陰謀に目を向けていたのだ。
その事実は、何よりも残酷な形でマルケールの無能を突きつけていた。
王妃は息子を真っ直ぐに見据えた。
「処分については、追って沙汰を出します。よろしいですね?」
もはや、反論の余地などなかった。
「……っ、はい……」
「うむ、最後に」
国王は頷いてから、ヴァルフォロメイへ視線を向けた。
「ゼレノイ帝国第一皇太子、ヴァルフォロメイ・ザイン・ゼレノイ殿下」
「はい」
「そなたが先ほど申し出た婚姻について」
エカテリーナが息を呑む。
国王は彼女にも視線を向け、柔らかな笑みを浮かべた。
「我が王家として祝福しよう」
「……!」
一瞬の静寂の後、大広間から歓声が上がった。
貴族たちが祝福の言葉を交わし、あちこちで拍手が沸き起こる。
「やりましたわ!」
ニコルとシシリアがナナリーに両サイドから抱きついた。
「ええ!こんなに嬉しいことはありませんわ!」
「ちょ、ちょっとお二人とも!わたくしまで潰れてしまいます!」
ナナリーが困ったように笑う。
一方、マリアンヌとエレノアは、エカテリーナの方へ駆け寄った。
「エカテリーナ様!」
「本当によかったですね!」
「ちょ、ちょっと……皆さん……!」
次々と祝福され、エカテリーナの頬はみるみる赤くなっていく。
それでも、その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
かつては、誰かの顔色を窺い、自分の感情を押し殺すことしかできなかった。
けれど今は違う。
嬉しいときに笑っていい。
幸せだと感じたとき、その気持ちを誰かと分かち合っていい。
そんな当たり前のことが、今の彼女には何よりも愛おしかった。
その隣で、ヴァルフォロメイは静かに笑っていた。
彼女が笑っている。
それだけで、胸の奥が温かくなる。
「カーチャ」
「……はい」
彼は彼女の前に立った。
周囲の喧騒が、2人の間だけ遠のいていく。
「これからは自分を押し殺さなくていい」
「……はい」
「君の人生は君だけのものだ。だけど喜びも悲しみも、俺は君と共に分かち合いたい」
その言葉を、エカテリーナはまっすぐに受け止めた。
「共に居てくれるか?」
もう、彼の隣に立つことを恐れたりはしない。
誰かに許されるためでも、誰かの期待に応えるためでもない。
自分自身が、この人と共に生きたいのだ。
エカテリーナはそっと手を伸ばし、彼の手を握った。
今度は、迷わなかった。
「はい、喜んで」
その言葉にヴァルフォロメイもまた笑った。
◇
──それから、数ヶ月後。
初夏。
学園の卒業式を終えたエカテリーナは王都の屋敷の前に停められた馬車へ向かっていた。
「エカテリーナ様」
「……皆さん」
ニコル、シシリア、ナナリー、マリアンヌ、エレノア、ニコラス、アーサー
学園で出会った大切な友人たち。
「お元気で」
「また必ずお会いしましょう」
「帝国のお話、たくさん聞かせてくださいね!」
「はい!」
エカテリーナは笑う。
かつて笑うことすら苦しかった少女とは思えない。
今の彼女は自分の未来を自分の足で歩こうとしていた。
「カーチャ」
聞き慣れた声、振り返る。
「ヴァルフォロメイ殿下」
「……その呼び方、まだ慣れないな」
「では……」
エカテリーナは少し考えて、くすりと笑った。
「ヴァルフォロメイ様?」
「それもなんだか距離を感じる」
「では、どうすれば?」
彼は笑った。
「2人きりの時は、今まで通りでいいよ」
「……フォーマ様?」
「うん」
エカテリーナも微笑む。
「では……フォーマ様」
「何だい?」
「これからも」
彼女はそっと手を差し出した。
「私をお守りくださいますか?」
ヴァルフォロメイはその手を取った。
「守るだけじゃないよ」
そして優しく握る。
「これからは、君も隣で生きるんだ」
「……はい」
2人は馬車へ乗り込む。
向かう先は、彼の故郷。
ゼレノイ帝国。
そこで彼女を待っているのは皇太子妃としての新しい人生。
けれどそれはもう誰かに決められた人生ではなく、自分で選んだ未来。
かつて誰かの婚約者としてしか見られなかった少女は。
今、一人の女性として、愛する人と共に新しい人生へ歩き出す。
馬車がゆっくりと動き出す。
「カーチャ」
「はい?」
「帝国に着いたら、君に見せたい場所があるんだ」
「それはどこですか?」
「秘密」
「まあ……」
エカテリーナが笑う。
「フォーマ様らしいですね」
そう言って、彼女はふと思い出したように手元の小さな包みを取り出した。
「あの、フォーマ様」
「ん?」
「実は……私からも、お渡ししたいものがあるのです」
差し出された包みを見て、ヴァルフォロメイは不思議そうに首を傾げた。
「俺に?」
「はい。どうか、受け取ってください」
「ありがとう、開けても?」
「はい」
丁寧に包装された包みを受け取り、ヴァルフォロメイはそっとリボンを解いた。
中から現れたのは、一冊の本だった。
紺色の装丁に金色の6本の剣が箔押しされ表紙。
題名を目にした瞬間、彼の動きが止まる。
「…………え?」
スモークバイオレット色の瞳が、信じられないものを見るように見開かれた。
そこにあったのは、彼がずっと探し求めていた一冊。
大人気舞台の幕間を描いた、限定千冊の特別小説。
舞台の主要人物たちの知られざる日常や、本編では語られなかった過去が描かれた作品であり、発売と同時に瞬く間に売り切れた幻の一冊だった。
ヴァルフォロメイは部下たちを使い、帝国中を探させた。
それでも、ついに見つけることのできなかった本だ。
「こ、これ……」
「はい。フォーマ様がお探しになっていた本です」
「どうして……これを……?」
まだ信じられないという様子で、彼は本とエカテリーナを交互に見つめた。
そんな彼に、エカテリーナは少し照れくさそうに微笑んだ。
「国王陛下が、今回の件について詫びとして何か欲しいものはないかと、尋ねてくださったのです」
「それで、この本を?」
「はい。王宮の図書館に立ち入る機会がありまして……そこで、偶然見つけたのです」
エカテリーナは、懐かしむように目を細めた。
「以前、フォーマ様がこの本を探していらっしゃったことを思い出しました」
舞台の話をしていた時の、あの楽しそうな顔。
限定版を手に入れられなかったと、少しだけ残念そうにしていた姿。
彼女は、そんな些細なことまで覚えていたのだ。
「陛下には、本当にそれでよいのかと何度も尋ねられました。もっと高価なものや、ほかに望むものがあるのではないか、と」
「……うん」
「けれど、私にとっては書よりも大切なものなどありませんから」
エカテリーナは、少しだけ胸を張った。
「ですから、どうしてもこの本をお譲りいただきたいとお願いしたのです。特別に許可をいただけましたので……」
そして、彼女は彼を見上げた。
「フォーマ様に差し上げます」
「…………」
ヴァルフォロメイは言葉を失った。
何度も夢に見た本が、今、自分の手の中にある。
それも、ずっと自分の隣にいてくれた、大切な人からの贈り物として。
彼が本を手に入れようとしていたことを、エカテリーナは覚えていてくれた。
自分が何を好きで、何を大切にしているのか。
彼女は、それを知ろうとしてくれていたのだ。
「……カーチャ」
「はい?」
「君って人は……!」
ヴァルフォロメイは本を大切そうに抱えたまま、思わずエカテリーナを抱きしめた。
「きゃっ……!フォ、フォーマ様!?」
「ありがとう……!本当に、ありがとう!」
その声は、普段の落ち着いた彼からは想像もできないほど弾んでいた。
「まさか、これを手に入れられるなんて……!ずっと探していたんだ。もう諦めかけていたのに……!」
「ふふ……そんなに喜んでいただけるなんて、私も嬉しいです」
「嬉しいなんてものじゃないよ!これはカーチャの次に大切な一生の宝物だ!」
抱きしめる腕に、ほんの少し力がこもる。
エカテリーナは驚きながらも、そっとヴァルフォロメイの背中に手を回した。
自分が彼にとって、こんなにも喜ばせたいと思える相手なのだと。
そして彼もまた、自分の心を動かしてくれる人なのだと。
その温もりが、何よりも確かな答えだった。
「参ったな……帝国に着いたら、君に見せたい場所がもっと増えてしまったな」
「まあ、どんな場所ですか?」
「それは秘密」
「また秘密なのですか?」
「うん。楽しみにしていて」
ヴァルフォロメイはようやく身体を離すと、手にした本を大切そうに胸元へ抱えた。
その顔には、隠しきれない喜びが浮かんでいた。
エカテリーナはそんな彼を見つめ、幸せそうに微笑んだ。
初夏の陽射しが2人を照らしていた。
その先にどんな未来が待っているのかはまだ誰にも分からない。
ただ一つ、2人が選んだ未来だけは誰にも奪うことはできなかった。
かつて無能と呼ばれた少女の物語は、ここで終わる。
彼女自身の人生は、大切な人達と共にここから始まった。
ついに完結です!
お付き合いありがとうございました!
話が飛び飛びになってしまった所とか入れたい伏線とかもあったのですが、ちょっと自分の技術不足で入れられなかったです、すみません。
愛称の作り方のモデルはロシア語から来ております!
キャラクターの髪色や目の色とか考えるのかなり悩みますね。
精進します!
他にも色々と投稿している小説たちもありますので良かったら読んで見てください!
ありがとうございました!
──3色あんこ──




