第22話 崩れ落ちる王太子
大広間は完全な混乱に陥っていた。
「違う!」
「俺は何も知らない!」
「殿下、話が違うじゃないですか!」
先ほどまでエカテリーナを糾弾していた者たちが、今度は互いに責任を押しつけ始めている。
ニコルが突きつけた証拠。
シシリアが指摘した矛盾。
ナナリーが集めていた記録。
そしてこれまでエカテリーナを守ってきた生徒たちの証言。
積み重なった事実によって王太子側の断罪劇は完全に崩壊していた。
「……一体、何が起きている」
マルケールが呆然と呟いた瞬間、大広間の扉が開いた。
「国王陛下、王妃陛下のおなりです!」
空気が変わり、誰もが振り返る。
ゆっくりと国王と王妃が姿を現した。
そして2人の後ろには武装した兵士たちが並んでいた。
「……父上?」
マルケールの顔から血の気が引いた。
「どういうことですか……?」
王は答えなかった。
ただ深い疲労を滲ませた目で、息子を見つめていた。
「国王陛下……?」
エカテリーナが小さく呟く。
その隣でフォーマは静かに目を細めていた。
やがて国王がその重い口を開く。
「皆の者、今宵、この場にいる者の中には──国家転覆を企てた者がいる」
「……!」
どよめき。
王は続ける。
「更に、我が王家に対する暗殺計画まで立てられていた」
大広間が凍りついた。
「そんな……」
「暗殺……?」
「国家転覆って……」
王妃は目を伏せる。
その表情には悲しみが滲んでいた。
「我々はすでに2ヶ月以上前から調査を進めていた」
静かに、しかし明確に王は言う。
「そして、夜会の開始と同時に、関係者の拘束を開始した」
兵士たちが一斉に動く。
「なっ……!」
マルケールが後ずさる。
「待て!」
「王太子殿下」
兵士が頭を下げる。
「国家転覆及び王家暗殺計画への関与の疑いにより、拘束させていただきます」
「ふざけるな!」
マルケールが叫ぶ。
「私は王太子だぞ!」
「承知しております」
「ならば──!」
「だからこそです」
兵士の声は冷たかった。
「……っ!」
マルケールの顔が歪む、その横でバーバラも震えていた。
「いや……私、何もしてません……!」
「バーバラ様!」
バーバラを慕っていた下位貴族たちも次々と兵士に囲まれる。
「話が違うじゃないか!」
「俺たちはもっといい暮らしができるはずだったのに!」
「国王だけいい思いしやがって!」
「賭博で儲けて何が悪い!」
「別に金が足りなかったら税を上げればよかっただけなのに!」
「王太子殿下が王になれば、俺たちだってもっと……っけ」
口々に自らの罪を晒していく。
誰かが叫び、誰かが喚き、誰かが泣き出す。
その光景を見て国王は目を閉じた。
「……はぁ」
深いため息。
「……連れて行け」
「はっ!」
兵士たちが一斉に動く。
マルケールの両腕を掴み、拘束する。
「離せ!ッ、父上!」
王は何も答えない。
「私は王太子だぞ!こんな真似をして、ただで済むと思っているのか!」
「マルケール」
初めて、王が息子の名を呼んだ。
マルケールが振り返る。
「……」
そこにあったのは怒りでも憎しみでもない。
ただ、深い失望だった。
「……もう何も言うな」
「……っ」
マルケールの顔が歪む。
何かを言い返そうと口を開きかけたが、結局、言葉は出てこなかった。
兵士たちに引きずられるようにして、彼は大広間の出口へと向かう。
「嫌……!」
その隣では、バーバラも兵士たちに拘束されていた。
「放して!私は王妃になるのよ!この国の王妃になる女なのよ!」
必死に腕を振りほどこうとする。
けれど、兵士たちは一歩も退かなかった。
そして、大広間を出る直前。
「……チッ」
バーバラの口から、小さな舌打ちが漏れた。
「……え?」
すぐ隣にいたマルケールが、聞き慣れない音に顔を向ける。
バーバラは俯いていた。
肩を震わせ、今にも泣き出しそうな様子で。
しかし、次の瞬間。
「これなら、最初から別の方法でやればよかったわ」
その声には、もう涙の色などなかった。
「……バー、バラ?」
マルケールが呆然と彼女を見つめる。
バーバラはゆっくりと顔を上げた。
そこに浮かんでいたのは、いつもの愛らしい笑顔ではない。
心底うんざりしたような、冷たい嘲笑だった。
「ねえ、マルケール。あんた、本当に頭が悪いのね」
「……は?」
「私が一度でも、あんたにちゃんと『好き』って言ったことがあった?」
「な……」
「ないわよねぇ?だって、あんた、自分が誰からも慕われるのが当たり前みたいな顔をしていたもの」
バーバラはくすくすと笑った。
「ちょっと甘えた声を出して、上目遣いでお願いすれば、何でも言うことを聞いてくれる。私が困った顔をすれば、勝手に周りを怒鳴りつけてくれる。ほんっとうに、扱いやすかったわ」
「バーバラ……?」
マルケールの顔から血の気が引いていく。
「どうしたんだ、バーバラ。何を言っている……?」
「何って、今までのことよ」
彼女は鼻で笑った。
「あんたみたいなバカ王子より、ずっと優秀なエカテリーナ様。あの人に計画を知られないように、わざと意地悪して、周りから遠ざけていたのに」
バーバラの視線が、広間の中央に立つエカテリーナへと向いた。
「まさか、あの人の周りにまで、あれほど優秀な人間が集まるなんて思わなかったわ。あんな連中がいたら、いくらエカテリーナ様を孤立させたところで意味がないじゃない!」
「な、何を……言って……?」
「聞こえなかったの?あんたの頭じゃ理解できないかしら?」
バーバラはわざとらしく首を傾げた。
「自分にも被害が及ぶように自作自演までして、疑いの目を逸らそうとしたのよ?なのに、ぜーんぶ証言を覆されるし!」
彼女の声が、次第に甲高くなる。
「周囲の貴族たちには魔道具で催眠をかけたのに、いつの間にか解除されているし!気がつけば、あんたの周辺を探っていた影や貴族たちにまで邪魔されているし!」
バーバラは唇を噛みしめた。
「4つも用意した計画が、ぜーんぶ台無しよ!」
大広間が静まり返った。
誰もが、今の言葉を聞き逃すまいと息を潜めていた。
自作自演。
催眠。
そして、4つの計画。
それらはすべて、彼女自身の口から飛び出した言葉だった。
「……そんな」
マルケールの唇が震える。
「そんな……嘘だろう? バーバラ。君は、私を……」
「何?」
バーバラは心底不思議そうに目を瞬かせた。
「まさか、私が本当にあんたを愛していたとでも思っていたの?」
「……っ!」
「傲慢で、頭が悪くて、自分のことしか考えていない王子サマ?あんたに利用価値があったから近づいただけよ」
そして、彼女は吐き捨てるように言った。
「本当に、どこまでも愚かな男ね」
「そんな……」
マルケールの膝が、がくりと揺れた。
彼は今まで、バーバラこそが自分を理解してくれる存在だと信じていた。
自分を称賛し、自分を頼り、自分のそばで笑ってくれる。
エカテリーナとは違う、何の不満も口にしない少女。
その笑顔が、すべて計算されたものだったというのか。
「バーバラ……嘘だと、言ってくれ……」
「まだ言っているの?」
バーバラは冷ややかに笑った。
「だから、あんたは使えないのよ」
「……!」
マルケールが息を呑む。
その顔に浮かんだのは、怒りでも憎しみでもなかった。
ただ、信じていたものを失った人間の、あまりにも惨めな絶望だった。
エカテリーナは、そんな彼を静かに見つめていた。
かつて自分に婚約者としての義務を押しつけ、能力を隠すよう命じ、何年もの間、彼女の誇りを踏みにじってきた男。
けれど今、目の前にいる彼は、王太子としての威厳すら失っていた。
同情はしなかった。
彼が自ら選び続けた道の果てが、今なのだから。
「連れていけ」
国王の低い声が響く。
「待って!まだ話は終わっていないわ!」
兵士たちが再びバーバラを引き立てようとした、そのときだった。
バーバラは突然、国王の方を振り返った。
「……そうよ」
その顔から、嘲笑が消えた。
代わりに浮かんだのは、抑えきれない憎悪だった。
「あなたよ……!」
「バーバラ・ルイス」
国王が彼女の名を呼ぶ。
だが、彼女は構わず叫んだ。
「国王!!8年前に起こった北部の豪雨災害の時!!」
国王の表情が、わずかに変わった。
「なぜ、すぐに救助の兵を出さなかったのよ!!」
悲鳴にも似た声が、大広間に響き渡る。
「早く出してくれれば……!あのとき、もっと早く兵を出してくれていれば……!」
バーバラの声が震えた。
先ほどまでの冷酷な笑みは、もうどこにもない。
その瞳には、憎しみと、悲しみと、長い年月をかけても癒えなかった痛みが滲んでいた。
「母は……!」
涙が頬を伝う。
「母は……死なずに済んだのに……!」
静寂。
誰も何も言えなかった。
バーバラは泣きながら、国王を睨みつけていた。
「あなたが……!」
声が掠れる。
「あなたが、母を見殺しにしたのよ……!」
その叫びは、もはや王太子妃の座を求める者のものではなかった。
誰もが沈黙していた。
バーバラの頬を涙が伝う。
彼女の言葉を聞いた者たちの表情には、困惑と同情、そして国王に対する疑念が入り混じっていた。
8年前の北部豪雨災害。
あの災害で多くの人々が被害を受けたことは、この国に暮らす者なら誰もが知っている。
救助が難航し、家族を失った者も少なくなかった。
バーバラの母も、その一人だったのだろう。
だが、彼女の言うとおり、本当に国王が救助を怠ったのだろうか。
誰もが答えを持たないまま、国王の反応を窺っていた。
「……ふっ」
その時、場違いなほど小さな笑い声が、静寂を破った。
誰かが笑った。
ほんのわずかな、息が漏れたような音。
けれど、誰もが耳を疑うには十分だった。
「……?」
国王が顔を上げる。
マルケールも、拘束されたまま振り返った。
ニコラスやアーサー、エレノア、マリアンヌ。そして、ニコルたちも。
エカテリーナもまた、戸惑いながら音のした方へと視線を向けた。
そこにいたのは、フォーマ・バイエンスだった。
「……フォーマ様?」
エカテリーナの声には、明らかな困惑が滲んでいた。
無理もない。
先ほどまで、フォーマは彼女の隣で静かに事の成り行きを見守っていたのだ。
マルケールの罪が暴かれたときも、バーバラの計画が明らかになったときも、彼は冷静だった。
そして、エカテリーナに向ける眼差しは、いつだって穏やかだった。
それなのに今、彼は片手で口元を覆っていた。
「くっ……」
押し殺すような声が漏れる。
肩が、わずかに震えていた。
「ふ……ふふ……」
笑っている。
間違いなく、笑っていた。
しかし、その笑いは決して愉快な話を聞いた人間のものではなかった。
何かを思い出したような。
あるいは、ようやく探していた答えに辿り着いたような。
そんな、奇妙な笑いだった。
「フォーマ様……?」
エカテリーナがもう一度呼びかける。
彼はすぐには答えなかった。
やがて、口元を覆っていた手をゆっくりと下ろす。
そして、長い指先で前髪をかき上げた。
露わになった瞳が、まっすぐにバーバラを捉える。
その瞬間エカテリーナは、思わず息を呑んだ。
──違う。
いつものフォーマ様ではない。
目の前にいるのは、穏やかに微笑む留学生ではなかった。
その瞳には、先ほどまでの柔らかさが微塵もない。
代わりに浮かんでいたのは、揺るぎない確信。
そして、相手の知らない何かを握っている者だけが浮かべる、底知れない笑みだった。
「……なるほど」
フォーマが呟いた。
声は静かだった。
けれど、不思議なほどよく通った。
大広間にいる誰もが、彼の一言に耳を傾ける。
フォーマはバーバラから目を逸らさないまま、一歩、前へ出た。
靴音が大理石の床に響く。
「なんだ……」
口元が、ゆっくりと弧を描く。
「──あの時の関係者だったのか」
「……!」
バーバラの身体が、ぴくりと強張った。
ほんの一瞬それは、ほんのわずかな反応だった。
けれど、フォーマは見逃さなかった。
彼の瞳が、愉しげに細められる。
「……フォーマ様?」
今度はエカテリーナの声も、かすかに震えていた。
あの時の関係者。
たったそれだけの言葉なのに、彼が何を指しているのか、誰にも分からない。
8年前の豪雨災害。
その出来事について、フォーマは何を知っているのか。
なぜ今、あのような笑みを浮かべたのか。
そして、バーバラの言う「母を見殺しにした」という言葉の裏に、いったい何が隠されているのか。
その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。
ただ一人。
フォーマ・バイエンスを除いては。




