第20話 傷ついた心と、寄り添う心
マダム・モーリーの店を後にした帰り道。
馬車の中でエカテリーナはずっと窓の外を眺めていた。
街並みが静かに流れていく。
けれどその景色は、いつもより遠く感じた。
「……」
膝の上に置いた手をぎゅっと握る。
「カーチャ」
「……はい」
向かいに座るフォーマが声をかける。
「まだ気にしてる?」
「……」
エカテリーナは少しだけ俯いた。
「……はい」
「そうだよね」
フォーマは無理に笑わせようとはしなかった。
「楽しみにしていたものだもの」
「……」
「簡単に忘れられるものじゃない」
その言葉に、エカテリーナは少しだけ顔を上げた。
「……フォーマ様は、お優しいですね」
「そうかな?」
「はい」
「君に対してだけかもしれないよ」
「……っ」
また頬が赤くなる。
それを見て、フォーマが微笑む。
「でも」
少しだけ声を落とす。
「俺は本当に、君が悪いことをしたとは思っていない」
「……」
「だから、君まで自分を責めないで」
「……はい」
エカテリーナは小さく頷いた。
◇
それから数日。
フォーマは、以前より頻繁にエカテリーナを誘うようになった。
「カーチャ」
「はい?」
「今度の休日、予定はある?」
「特には……」
「なら、劇を見に行かない?」
「劇……ですか?」
「うん。帝国から来た劇団が王都で公演するんだ」
「まあ……!」
エカテリーナの目が輝く。
「以前、話した劇団を覚えてる?」
「はい!」
「その劇団が今度、王国に来るんだ。是非君に見せたくてね」
「フォーマ様が好きなあの群像劇ですね?」
「覚えててくれて嬉しいな」
「もちろんです」
フォーマは笑った。
「嫌なことばかり考えているより、少しは楽しいことをした方がいい」
「……では」
エカテリーナも微笑む。
「ぜひ、ご一緒させてくださいませ」
「決まりだね」
それから2人は劇の話をした。
好きな本。
最近読んだ物語。
学園で起きた些細な出来事。
そんな他愛もない話。
だけどエカテリーナにとってはそれが何より嬉しかった。
◇
王都の裏路地。
薄暗い建物の中に一人の青年がいた。
「……間違いありません」
フォーマの部下が報告する。
「ドレスに残されていた魔力痕跡を追ったところ、ここに辿り着きました」
「誰だ?」
「アシェル準男爵家の嫡男です」
「アシェル……」
もう一人の部下が資料を確認する。
「バーバラ・ルイス男爵令嬢の熱心な支持者として知られている人物ですね」
「そう」
「なぜ公爵令嬢のドレスを?」
「本人はこう証言しています」
部下が報告書を読む。
「『バーバラ様こそ、未来の王妃になるお方だ』」
「……」
「『エカテリーナ公爵令嬢が王太子殿下の隣にいることこそ間違いなのだ』と」
しばしの沈黙。
「盲目的だな」
「はい」
「バーバラ本人から指示を受けた証拠は?」
「ありません」
「……なるほど」
フォーマの部下は目を細めた。
「つまり」
「はい」
「本人が勝手にやった可能性が高い」
「ですが、誰かに唆された可能性も捨てきれません」
「調べろ」
「承知しました」
「アシェル準男爵家だけじゃない。バーバラ・ルイスに近づいている連中を全員洗い直す」
「はい」
部下は資料の一枚を指で叩いた。
「特に、王太子殿下の周囲にいる者たちを」
「承知しました」
◇
その日の夜。
フォーマの部屋。
報告書を受け取ったフォーマは深くため息を吐いた。
「……アシェル準男爵家の嫡男か」
静かに呟くと、部下が返答する。
「はい」
「バーバラを本物の王妃だと?」
「本人は本気で信じているようです」
「そう」
フォーマは報告書を閉じる。
「では、彼は駒だね」
「……駒?」
「本人にその自覚はなくても」
フォーマは窓の外を見る。
「誰かにとっては、都合のいい駒だ」
「では、どうしますか?」
「まだ捕まえない」
「……!」
「泳がせる」
フォーマの瞳が鋭くなる。
「彼が誰と繋がっているのかを見つける」
「承知しました」
「それから」
フォーマは一枚の報告書を取り上げる。
「バーバラ・ルイス本人についても調べて」
「はい」
「彼女が王太子に近づくようになった経緯」
「……」
「誰が彼女を王太子の側へ導いたのか」
部下が頷く。
「かしこまりました」
「フォーマ様」
「何?」
「エカテリーナ様の件ですが」
「……」
「劇のチケットを用意しておきました」
フォーマは少しだけ目を見開いた。
「そうだったね」
「2人分です」
「ありがとう」
フォーマは小さく笑った。
「そちらは俺が持っていくよ」
「承知しました」
部下が部屋を出ていくと、静寂が戻る。
フォーマは、机の上に置かれたチケットを見る。
「……少しは笑ってくれるといいな」
その声は先ほどまでの冷徹なものではなかった。
ただ一人の少女を心配する青年の声だった。
◇
翌日。
「カーチャ」
「はい?」
「これ」
フォーマが差し出したものを見て、目を見開く。
「……劇のチケット?」
「うん」
「本当に……?」
「もちろん」
エカテリーナはチケットを大切そうに両手で受け取った。
「ありがとうございます……!」
「楽しもう」
「はい!」
その笑顔を見てフォーマも微笑む。
「じゃあ、行こうか」
「はい!」
2人は並んで歩き出した。
その背後ではフォーマの部下たちが静かに、そして確実に事件の裏側へと手を伸ばし始めていた。
◇
卒業パーティ3日前
王都は朝から、どこか浮き足立っていた。
学園では最後の授業を終えた生徒たちが、3日後の話に花を咲かせている。
そんな中エカテリーナはフォーマと共に、マダム・モーリーの店を訪れていた。
「お待ちしておりましたわ!」
店に入るなり、マダム・モーリーが満面の笑みで迎える。
「エカテリーナ様。そしてフォーマ様」
「こんにちは、マダム」
「ごきげんよう」
「さあ、こちらへ!」
2人は衣装室へ案内された。
そこには一着のドレスが吊るされていた。
「……!」
エカテリーナは息を呑んだ。
藤色。
以前と同じ色、だがまるで別物だった。
裂かれた部分は綺麗に縫い直され、その縫い目を隠すように幾重にも重ねられた水色の布。
それは美しい造花へと形を変え、胸元から腰、そして裾へと流れるようにあしらわれていた。
まるで藤色のドレスに、水色の花が咲き誇っているようだった。
「……綺麗」
エカテリーナの口から思わず言葉が漏れる。
「でしょう?」
マダムが胸を張る。
「こちらは私の渾身の力作でございます!」
「本当に……素敵です」
エカテリーナはドレスへ近づき、そっと花へ触れる。
「この水色の布が……」
「フォーマ様からいただいたものですわ」
「……!」
エカテリーナが振り返る。
フォーマは少し照れたように笑った。
「余っていたものを使ってもらったんだ」
「ですが……こんなに素敵に……」
「マダムの腕だよ」
「まあ!」
マダムが嬉しそうに笑う。
「お2人とも、そういうところが似ていらっしゃいますわね」
「え?」
「いえ、こちらの話ですわ」
マダムは楽しそうに笑った。
「では、お支払いを」
エカテリーナが財布を取り出そうとすると。
「まあ、結構ですわ」
「え?」
「すでにフォーマ様から頂戴しております」
「……え?」
エカテリーナがゆっくりとフォーマを見る。
「……」
フォーマは苦笑した。
「……先に払っておいたんだ」
「フォーマ様……!」
「君に払わせるつもりはなかったから」
「ですが……!」
「気にしないで」
「そんな……」
エカテリーナは困ったように頬を赤くする。
マダムはそんな2人を見て、微笑ましそうに笑っていた。
「本当に仲がおよろしいことで」
「……!」
エカテリーナの顔がさらに赤くなる。
「マ、マダム……!」
「ふふふ」
その時フォーマが思い出したように言う。
「そうだ、カーチャ」
「はい?」
「これを」
フォーマが手を伸ばすと、侍従が持っていた箱を受け取る。
「……箱?」
「開けてみて」
「はい……」
エカテリーナが蓋を開ける。
「……!」
中に入っていたのは。
一つの髪飾りだった。
ダイヤモンドの薔薇の鮮やかな細工。
卒業パーティ用に用意したブローチとよく似た意匠。
透明な花弁に淡い光が差し込むとまるで水面のように輝く。
「……綺麗……」
エカテリーナは呆然と呟いた。
「気に入った?」
「はい……!」
その笑顔を見てフォーマも嬉しそうに笑う。
「ニコル嬢たちにデザインを見せてもらったんだ」
「まあ……!」
「君たちが作ったブローチと並べても違和感がないようにしてもらった」
「フォーマ様……」
エカテリーナは髪飾りを両手で包むように持った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「大切にします」
「うん」
エカテリーナは本当に嬉しそうだった。
「……では」
エカテリーナが今度は自分の侍女へ目を向ける。
「私からも」
「え?」
フォーマが少し驚く。
エカテリーナが差し出した小さな箱。
「フォーマ様へ」
「俺に?」
「はい」
フォーマが受け取り、そして蓋を開ける。
「……」
中には藤色の宝石を使ったネクタイブローチ。
そして同じ宝石を使ったカフスボタン。
「……綺麗だ」
「フォーマ様の礼装に合うと思いまして」
「ありがとう」
フォーマはそれを手に取る。
光を受けた藤色の宝石が淡く輝いた。
「卒業式の礼装に付けても?」
「もちろんです」
「じゃあ」
フォーマは微笑む。
「これで、お互いの色を纏えるね」
「……!」
エカテリーナの顔が一気に赤くなる。
「お、お互いの……色……」
「うん」
「……そ、そうですね……」
俯いてしまう。耳まで赤い。
フォーマはそんなエカテリーナを見てくすりと笑った。
「明日が楽しみだ」
「……はい」
小さな声だったが、その声には先日までの落ち込みなど、もう残っていなかった。
修復された藤色のドレスと髪飾り、そして互いの色を宿した装飾品。
2人が並んで歩けばきっと誰もが目を奪われるだろう。
あと3日で卒業パーティ。
2人にとって忘れられない一日になる予感がしていた。




