第12話 張り巡らされた糸
エカテリーナが療養に入ってから、3週間が過ぎた。
その間、学園では以前にも増してマルケールとバーバラが行動を共にするようになっていた。
昼食も、放課後も、時には授業の合間でさえ。
まるで、周囲に見せつけるかのように2人で過ごしている。
だがその一方でフォーマは、別のものを見ていた。
「……あれ?」
放課後の廊下。
フォーマは人の流れに紛れながら、マルケールの背後を見つめていた。
そこには肉眼ではほとんど見えないほど細い魔力の糸が伸びている。
以前から気づいていたものだ。
「増えている?いや……」
魔力の性質を探る。
対象者の位置。
魔力の状態。
場合によっては周囲の状況まで読み取れる。
高度な隠密系統の監視魔法。
「誰が付けたのかは……だいたい分かるけど」
フォーマは視線を少しだけずらした。
廊下の柱の陰。
そこには、誰もいないが確かにいる。
極めて薄い魔力、存在そのものを隠すように張り巡らされた術式。
「隠密用の魔法か……」
おそらく国王直属の隠密。
いわゆる──陰。
「なるほど、近くにいるのか」
フォーマは一瞬だけそちらへ視線を向けた。
そして何事もなかったように歩き出した。
(……気づかぬふりをしておこう)
わざわざ敵対する必要はない。
むしろ王家自身がマルケールを監視しているのならこれは好都合だった。
◇
その日の夜。
フォーマは自室に戻ると、一枚の紙を机の上に置いた。
「さて……」
小さく息を吐く。
そして指先に魔力を集めた。
淡い光が生まれ、細い糸のような魔力が遠く離れた場所へ伸びていく。
「こちら、フォーマ」
返事はすぐには来ない。
数秒後。
『こちら帝都連絡員。どうぞ』
「学園内の状況について、調査を頼みたい」
『内容を』
「マルケール・オールブライト王太子の周辺人物」
『側近ですか?』
「それも含めて。特に最近、王太子へ急速に接近した子息令嬢たちの身辺調査だ」
『承知しました』
「それから」
フォーマは少し間を置いた。
「バーバラ・ルイス」
『……例の新入生ですね』
「そう」
フォーマは机に肘をつく。
「彼女の家柄、交友関係、入学までの経歴。分かる範囲で全部」
『承知しました』
「急いで」
『かしこまりました』
通信が切れる。
フォーマは椅子に背を預けた。
「……さて」
王太子。
バーバラ。
そして彼らに急速に近づいた子息令嬢たち。
何かがおかしい。
フォーマにはそうとしか思えなかった。
◇
数日後。
返ってきた情報は。
予想以上にきな臭いものだった。
「……なるほどね」
フォーマは報告書をめくる。
マルケールの周囲に集まっている子息令嬢。
一見すれば王太子に忠誠を誓う優秀な貴族たち。
だが家系を遡ると……横領、密輸、違法な魔道具の取引、さらには過去に王家から内々に調査を受けた家まである。
「随分とまあ……」
フォーマは苦笑する。
「後ろ暗い連中ばかり集めたものだ」
さらにページをめくる。
そこで、いくつかの家名に見覚えがあることに気づいた。
「……あれ?」
フォーマの指が、ある家の名の上で止まる。
その家は数年前、所有していた複数の事業を相次いで手放している。
表向きの理由は経営方針の転換。
だが実際には、長年続けていた裏帳簿の存在を突き止められ、不正に得ていた資産の大半を差し押さえられていた。
そして、その調査を主導した人物の名が──
「エカテリーナ……」
フォーマは小さく呟いた。
別の家もそうだった。
密かに行っていた違法な魔道具の取引網を潰され、主要な取引先を失った家。
さらに別の家は、密輸に関わっていた商人との繋がりを断たれ、莫大な利益を失っている。
どれも数年前。
エカテリーナが政務の一環として手を入れた案件だった。
「……そういうことか」
フォーマの目が細くなる。
偶然ではない。
マルケールの周囲にいる者たちの中には、かつてエカテリーナによって利益を削られ、裏の商売を潰され、力を失った家がいくつも混じっている。
「なるほどね」
フォーマは報告書を閉じた。
「王太子に忠誠を誓っている、というより……」
口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「カーチャを恨んでいる者たちが、集まっているのか」
フォーマはそう呟きながら報告書をめくる。
そこに書いてあったのは、バーバラについての報告書。
そして彼女の経歴には、いくつかの不可解な空白があった。
「……入学以前の記録が薄すぎる」
男爵家の令嬢としては不自然だった。
学園へ入学するまでの教育記録。
交友関係。
過去の社交記録。
どれも妙に曖昧だった。
「偶然じゃないな」
フォーマは呟いてから、一枚の紙に書き出した。
バーバラ・ルイス。その下に、マルケール・オールブライト
さらに彼らの周囲にいる子息令嬢たち。
線を引いて繋いでいく。
「……」
複雑に絡み合った線。
それはまるで一つの網のようだった。
◇
決定的な情報が届いたのはその翌日だった。
『殿下の周辺で、不穏な動きがあります』
「具体的には?」
『卒業パーティに関係する動きです』
フォーマの目が細くなる。
「……卒業パーティ?」
『はい』
『王太子殿下側の人間が、卒業パーティに向けて何かを準備しているようです』
「何を?」
『まだ詳細までは』
フォーマは黙った。
「……分かった」
『引き続き調査します』
「頼む」
通信が切れた。
フォーマはしばらく黙っていた。
「やっぱり……」
卒業パーティ。
学園を卒業する貴族子弟たちが集まり。
多くの教師、各家の当主、王族関係者まで参加する。
まさに公の場。
そこで何かを起こすつもりなのだ。
「……カーチャを狙っている」
フォーマの目が鋭くなる。
◇
同じ頃。
エカテリーナ側でも動きがあった。
「……見つけたわ」
ニコルが一枚の紙を机に置く。
シシリアとナナリーが覗き込む。
「これは?」
「マルケール殿下の周囲にいる子息の一人。その家の使用人から得た情報よ」
「何が書いてあるの?」
「卒業パーティに向けて、何かを準備している」
シシリアの表情が険しくなる。
「何かって?」
「そこまでは分からない」
「……」
「でも」
ニコルは続ける。
「その子息が、最近エカテリーナ様について何度も調べている」
「え?」
「交友関係、授業、過去の成績。それだけじゃない」
ニコルが別の紙を取り出す。
「エカテリーナ様がどの時間にどこへ行くのかまで調べていた」
ナナリーの顔色が変わった。
「それって……」
「そう」
シシリアが低い声で言う。
「実害を与えるつもりじゃない?」
「私もそう思う」
3人の間に緊張が走る。
「……フォーマ様に知らせましょう」
「ええ」
◇
その日の夕方。
エカテリーナの見舞いを終えたフォーマは、3人の令嬢と話をしていた。
「つまり」
フォーマが確認する。
「卒業パーティで、エカテリーナを陥れる計画が立てられている可能性が高い」
「はい」
ニコルが頷く。
「私たちが掴んだ情報と、フォーマ様が掴んだ情報が一致しています」
「俺の方でも、王太子の周囲にいる何人かが妙に動いていることを確認している」
「やはり……」
ナナリーが不安そうに呟く。
「でも」
フォーマは冷静だった。
「まだ、具体的な内容までは分からない」
「それが怖いんです」
シシリアが言う。
「エカテリーナ様は今、療養中です。あと1週間ほどで学園には戻られる予定ですが……」
「それなら」
フォーマは答えた。
「戻ってくる前に、できるだけ情報を集めよう」
「はい」
「それと」
フォーマは3人を見る。
「カーチャには、この話を?」
「まだです」
「それでいい」
フォーマは頷いた。
「余計な不安を抱えさせる必要はない」
だがその言葉の裏でフォーマは別のことを考えていた。
卒業パーティ、王太子、バーバラ、そして後ろ暗い貴族たち。
「……」
フォーマは目を細める。
彼らが何を企んでいるのかまだ分からないけれど、ここまで揃えば偶然とは考えられない。
「フォーマ様」
ニコルが声を掛ける。
「何でしょう?」
「……どうするおつもりですか?」
フォーマは少しだけ笑った。
「どうもしないよ」
「え?」
「今のところはね」
そして静かに続ける。
「相手が何をするつもりなのか、最後まで見届ける」
「それは……危険では?」
「だからこそ」
フォーマは立ち上がった。
「こちらも準備する」
◇
夜。
エカテリーナはベッドの上で本を読んでいた。
先日フォーマから借りた、帝国の歴史ミステリー。
ページをめくるが、今日もどうにも集中できない。
「……フォーマ様」
無意識に名前が出る。
あの人は何を考えているのだろう?
いつも穏やかで優しくて……時々誰よりも鋭い目をする。
あの階段から落ちた日も自分を抱き上げた彼の姿を思い出す。
「……っ」
エカテリーナは頬を赤くしてそっと本で顔を隠した。
その一方でフォーマは窓辺に立っていた。
遠く王宮の方角を見る。
そしてマルケールに付けられた監視用の魔力糸。
さらに王家直属と思われる、極めて高度な隠密魔法。
それらを同時に感じ取る。
「……王家も見ている」
そして自分たちも見ている、エカテリーナ側の令嬢たちも見ている、帝国の諜報網も見ている、誰もが誰かを監視している。
まるで卒業パーティという一つの舞台に向かって全員が静かに駒を進めているようだった。
フォーマは小さく笑う。
「さて……俺も動くか」
誰が誰を陥れようとしているのか。
そして誰が最後まで立っているのか。
その答えが出るまであと、僅かだった。
◇
時は少し遡り、フォーマと別れた後。
三人の令嬢は、その場からしばらく動かなかった。
「……ねえ」
最初に口を開いたのは、ニコルだった。
「どうしたのですか?」
シシリアが振り返る。
「フォーマ様って……何者なのかしら」
「……」
ナナリーも黙り込む。
3人とも薄々、同じことを考えていた。
「ただの留学生ではないわよね」
シシリアが静かに言う。
「私もそう思う」
ニコルが頷く。
「今日の話を聞いていて確信したわ。あの方、情報の扱い方が普通じゃないもの」
「魔法の知識も」
ナナリーが続ける。
「授業では目立とうとしないのに、いざという時の判断が異常に速いわ」
「エカテリーナ様が怪我した時もそうだったわ」
シシリアが思い出す。
「エカテリーナ様が落ちた瞬間、真っ先に駆けつけたでしょう?」
「それだけじゃないわ」
ニコルが腕を組む。
「王太子殿下の周囲に監視用の魔力があることにも気づいている」
「それは私たちも気づいていたけれど……まさかフォーマ様もとは思わなかったわ」
「ええ」
ナナリーが苦笑する。
「それに、あの方は貴族同士の力関係にも詳しすぎる」
「まるで……」
シシリアが言葉を止めた。
「まるで?」
「……いや」
首を横に振る。
「高位貴族の家で、幼い頃から政治や外交について学んできた人みたいだと思っただけ」
「私もそう思う」
ニコルは少し考えてから言った。
「少なくとも……伯爵家程度の子息ではないと思う」
「侯爵家?」
「もしかしたらその上の公爵家かもしれないわね」
3人は顔を見合わせる。
「でも、聞かない方がいいわ」
ナナリーが言った。
「たしかに、フォーマ様が私たちに自分の身分を話していないということは、話したくない理由があるのでしょう」
「……そうね」
シシリアも頷いた。
「それに」
ニコルが小さく笑う。
「私たちが知っている必要もないでしょう」
「どういう意味?」
「フォーマ様がどんな家の方だろうと、私たちにとってはただのフォーマ様よ」
「……」
「エカテリーナ様の味方でいてくださる方。それで十分じゃない?」
3人は微笑んだ。




