5.空を呪って、大地に唾を吐く
洞窟を抜けて痛む全身を叱咤しながら、森を進む。あの貴族サマ達がなぜこんなところにきたのか、なんてまるで分らない。幸いなことに、土の地面の上には葉が敷き詰められている。
コツがいるのだが、気をつけて歩けば足音を大分消すことができる。
息をひそめて進む。レダ達の気配はない。諦めたのだろうか。
まずは泉を目指す。レイトンが言っていた。切り傷を受けた時はまず洗い流す。
そして止血には清潔な布だ。だが、布なんてものはない。そんな時は広葉樹を集めて縛ればいい。目的の泉に辿り着くと、バルバロッサは衣類を投げ捨てて、そこに飛び込んだ。
ひんやりと冷たい水。口を大きく開けて飲み込む。水中の音を楽しんで全身で踊る。固まっていた筋肉や、酷使していた腱が解れていく。
そして、泉を出る。肩口に自身の髪が張り付いている。
(随分と長くなってやがる)
バルバロッサはダイタスの短剣を髪に添えた。添えただけだった。で、あるのに髪は抵抗もなくばさり、と落ちていく。
そんな様子に目を丸くしたバルバロッサは次の瞬間には笑みを浮かべて、短剣を高く掲げた。
「いいね。俺の武器だ」
傷口に葉を貼り付けて、糸で固定する。
(残りがなくなってきやがった)
残りの糸はこぶし大で約二十巻。些か心許ない。短剣が手に入ったといえど、糸はバルバロッサの基本戦術なのだから。
◆
「みろよ」
「……上等な剣じゃねぇか」
早朝からの激闘で、すっかり腹をすかせたバルバロッサは、市場で肉串をくすねて腹を満たしたあとにレイトンの家に向かった。
そして、書物を読み耽っているレイトンに、短剣を見せびらかす。レイトンはじっと短剣を見つめた後に、静かに口を開いた。
「……さっさと売っちまえ。それは不幸を呼ぶ」
「あ? んだよ。こちらとら必死だったんだぜ? それを乗り越えてのこの大物さ」
短剣をくるくると回しながら、バルバロッサが口を尖らせる。
「いいか、バルバロッサ。実力を見誤るな。この短剣は今のお前がどうこうできるもんじゃねぇ。見ろ、この紋章を。黒獅子だ。ダイタスなんだよ」
レイトンがバルバロッサから短剣を奪い取り、柄の紋章を手でなぞる。空に向けて大きな口を開けた黒獅子が彫られている。そんなレイトンの様子に、バルバロッサは重心を低くした。
「貴族だろ? それぐらい知ってるぜ」
「馬鹿野郎。大貴族様だよ」
「……ハッ、悲鳴をあげて血を出してクソもすりゃ、ションベンもする。同じ蟲だろうが」
「小僧。お前の感情は感情でとっておけ。だが、それとは別問題だ。風が吹く、火は熱い、貴族は力を持っている。それだけだ」
「……チッ」
悪態をつきながらバルバロッサは椅子に座る。そして、レイトンがその背後に立った。腕をとり、一つ一つの傷を診ていく。
「腕がいい。あと少し深けりゃ、どれも致命傷だ」
「……」
それだけ言って、ジジイは小瓶から液体を取り出して塗りたくってくる。
少し、染みる。
「でも、俺が勝った」
「どうだかな」
ジジイはそう言って、小瓶をしまうと、再び書物を開いて読み始めた。
「なぁ、ジジイ。それ、おもしれぇのかよ」
そんなバルバロッサの言に、レイトンは無言で本棚を指差す。
読んでみろってことだ。
舌打ち交じりに、バルバロッサは本を開く。そして、叫んだ。
「読めねぇよ!」
土くれにいる、細長い虫みたいな線の羅列に目が回りそうだ。
「ハッ、わかったろ。おめぇは三流だ。できねぇこと、わからねぇことが多すぎる。教えてやる。こい」
ここ最近レイトンが与えてくる知識量が増えてきた。だが、今日に限っては特別多い。バルバロッサは怪訝に思いながらも、大人しく知識を授かる。
文字の読み書き、神話、大陸の国々。その全てがバルバロッサにとって新鮮だった。
「……くねくねしてやがるぜ。これを覚えりゃ、あの戦士の絵の本を読めんのかよ」
「アルザードか。読める」
「なら、やる」
ジジイは一瞬、目を丸くしてほんの少しだけ口許を緩めた。そして、授業を続ける。
ピピンへの薬撃、騎士の剣技、レダとの決闘。ここ数日で、バルバロッサは知っているということの威力と、知らないことへの無力さを、痛いほどに理解していた。
そして、バルバロッサはまた一つ質問をしたくなった。どうしても聞きたい単語だ。
「なぁ、ジジイ。『戦士』ってなぁ、なんだ?」
「……」
レイトンは木の板に文字を書いていたが、その手を止める。
「んだよ。黙りやがって」
「ふん。目指すなといったろ」
背中を向けたまま、ジジイはこちらを見ようとしない。
「仕方ねぇだろ。しっくりくるんだよ。響きがな。そして何となくわかるぜ。魂が鳴くのさ。戦士って言葉にな。さぁ、教えな。戦士ってな、なんだ?」
そして、ゆっくり、緩慢な動作でこちらを見た。その目は何を見ているのだろうか。少なくとも、バルバロッサを見てはいなかった。
「戦士はな。己が信念の為なら死も厭わねぇ馬鹿野郎のことさ。忠義、親愛、欲、学問、なんでもだ」
「腕っぷし、じゃねぇのか?」
「おめぇが美しい、と。綺麗だ、と。尊い、と。そう思った時、魂が燃える。ああ、そうさ、お前は正しい。魂が燃えるんだ。戦士はな、燃えるんだ。腕っぷしだけの奴なんかじゃあ、燃えねぇよ」
「ふぅん。じゃあよ。こいつを作った奴も戦士だ」
バルバロッサは本棚の隅にあった、背表紙の文字をなぞる。『ヤ、ク、ガ、ク……』。拾い読みすらおぼつかないが、表紙に書かれたレイトンの筆跡だけで察しがついた。
『薬学研究録』
「ほう?」
あまり感情も見せずにジジイはそれだけ言った。
「こいつに、おれは美しさを感じる。執念もだ。言え、ジジイ。これはジジイが書いたんだろ? あんたも戦士なんだ」
「ぬかせ。そろそろガキは寝る時間だ。その本は貸してやる。帰れ」
「へぇへぇ。あばよ」
バルバロッサはレイトンの家を出る。日が落ちて、地平の先に濁った赤い空が見える。小憎たらしい空は変わらず平等だ。
いつもの壁を通り抜けると、今日も蟲共の躯が数体積み上がっていた。
バルバロッサは歩を進める。そして、背後からドサリ、と躯が投げ捨てられた音がした。何故だか無性に気になって、一瞥するとバルバロッサは目を細めた。
貧民街に似つかわしくない人の好い顔は、恐怖で歪んでいる。歳にしては小柄なその体は赤に染まり、言葉を発さぬ躯と化している。
「ハッ、綺麗だぜ」
バルバロッサは、前を向いて、森へ向かった。バルバロッサなりのドリスへの弔いとして、そう吐き捨てた。




