2.肺がボケて生息(いき)を忘れやがる。
レイトンのボロ家を離れて、バルバロッサは先ほどの光景を脳内で反芻した。古びた本と薬草の燻した匂い。薄暗い部屋の中。
レイトンが何度も秤にかけていたあれは、ダラ草にナハツの芽だ。バルバロッサはそれらの粉末が鎮痛作用を及ぼすことを知っていた。
——口元が緩む。
近所のやつに聞いてみれば普段は寝ているという。レイトンはいつもそうだ。そして、バルバロッサに合わせるように、夕刻になってから活動し始める。
(おかしなジジイだぜ)
雨が弱くなってきた。怯えた目で蟲どもがこちらを睨みつけている。ここにきてどれくらい経ったか。いまやここでバルバロッサを知らない者などいない。と思う。
襲い掛かってくるやつは片っ端から殺してきた。それが、その分だけ、バルバロッサの糧となる。それをレイトンは『愛』だといった。よくわからなかったが。
蟲に向かって愛の言葉を投げかける。
「ククク、良いのかよ。お前ら、これ見よがしに食料なんぞ見せつけやがってよ」
だから、バルバロッサはその言葉を気に入っていた。愛だ。愛だ。この世界には愛がたんまりだ。
蟲達が顔を青くさせて緑色じみた肉を隠す。
「よこせよ。その愛をよ。いいじゃねぇか」
そういうと、大抵の蟲は鳴き声をあげて走り去っていくのが常である。今日もそうやって有象無象が散っていく。だが、
「イカレタ言葉だな」
たまにこういった人間が現れる。ゾッドファミリーのピピンだ。バルバロッサよりも一回り大きな成人の男。ゾッドファミリーといえば、聞こえはいいが、要は只の群れだ。そして、こんな手合いが現れるそんなとき、バルバロッサは思うのだ。
(たまんねぇな)
と。口角があがる。いまだ子供の域を抜き出ていない体躯で、成人近いピピンと対峙する。やつの得物はナイフと腰に据えた金属の棒だ。左手前にナイフを構えている。しかし、その肩が上がっている。
「クハハ! おい、ピピン。ガキ相手に力んでんな?」
「――ッ!? チッ、ここでおめぇをガキ扱いするやつはいねぇよ」
「俺ぁ、いま機嫌がいいんだよ」
「そうかい。死にな!」
ピピンが怒声と共にナイフを構えた。
奴の足元の泥が跳ねあがる。
力の動作方向は『直線』。
視える。突進だ。
左足を引いて半身を作った。
上がっていた肩が下がることで初動がわかりやすい。しかし、成人の膂力による速さ。
ナイフが風を切りながら迫ってくる。
やはり、速い。
わかっていても躱しきれずに肩を掠める。
痛みに息が止まる。
そのまま、ピピンの脇に腕を絡ませ肋骨に肘をめり込ませる。
悲鳴が上がる。
同時に骨の折れるおしゃれな感触が腕中に伝わってくる。
そして、目と鼻と口が目の前だ。
だから、バルバロッサは言う。
「ピピン。戦士はよぉ。智もなきゃぁいかんらしいぜ?」
「……!?」
バルバロッサの瞳が爛々と輝く。その小さな体から発せられる殺気にピピンは知らずのうちに一歩、二歩と後退してしまいそうになった。
踏みとどまったのはなけなしの矜持か。
「んでな。ジジイ曰く、実験と失敗ってのが大事らしい」
「何を言って……る?」
懐から包をとりだして、粉を振りかける。色煙が舞い、ピピンの鼻に吸い込まれるのが確認できた。
レイトンからくすねたダラ草とナハツ芽の粉末の配分を自分なりに変えた劇薬。自信作だ。
(痛みを抑える。そりゃ、麻痺だ。麻痺はいきすぎると……)
「テメェ! なん、だ、これ、は」
「クハハハハハハ! レイトン! 確かに強えぇ! こりゃ最高だ! さぁて、実験だ。大事らしいぜ」
腐敗臭をきりさく哄笑と共に、バルバロッサは動けなくなったピピンにゆっくりと近づいて、試していく。その命の灯が消えるまで。一通り。思いつくかぎり。
そして、貧民街にまたゴミが散らばった。ほうっておけば、誰かが外に投げ捨てるはずだ。
◆
バルバロッサは鼻歌まじりに歩く。瓦礫の散らばった地面を蹴とばし、貧民街の崩れた壁から外に出る。
出た瞬間、世話焼きなクソッたれな風が体を撫でやがる。夜露に濡れた草の匂いに唾を吐く。道端に咲いている陰気な乙女くさい花を蹴とばしてバルバロッサは進む。
ガルヴェリア帝国西の拠点ゼネビア、更にその西のディーズ公国の国境沿いのドールの街の片隅に貧民街はあった。
バルバロッサは貧民街に拠点を持たない。狙われる心当たりなど山程あるからだ。三流は話にならない。二流は調子に乗る。一流は、能力を見誤らないものである。
バルバロッサは自身の身体を見下ろす。体格の差というものはどうにも覆しがたいようだ。ピピンの突進を思い出して、また一つ学ぶ。
(また一つ、俺は力を得た)
体格は単純に強さの指標になる。ということだ。
鼻につくお調子者の森に足を踏み入れ、しばらく歩く。整備された跡がそこかしこに見られる。なんとも背伸びした森だ。
なるべくそういった道を外しながら、進んでいく。洞窟。ここがバルバロッサの拠点だ。ちかくでは小川が控えめな音を鳴らしている。
バルバロッサは慣れた手つきで積まれた草葉をどかし、入る。
湿った石の匂いだ。
バルバロッサは床に入る。心踊る今日の体験と刺激を反芻してなかなか眠れぬ己を嗤いながら。




