1.血が流れても、雨がそれを奪うんだ
「ガキが!」
男が振るった腹への強烈な一撃。目の前の男に比べたらちっぽけな己の体は容易に吹き飛んでしまう。崩れかけた壁に背をぶつけ、呼吸が止まる。
そのまま地面に倒れこむと、薄暗い路地裏の水たまりに血反吐が混じった。綺麗な赤だ。顔を汚しながら奴を見上げる。相も変わらず、怒声をあげている。濁った眼だ。
「おめぇみたいな汚ねぇクソは、居ねぇ方が世の為だ!」
「つれないなぁ。俺はこんなに必死に生きているってのに」
少し、腹が減っただけだ。そして、こいつは獲れるところに食べ物を置いていた。それを盗らずしてなんとする。
振り下ろされた鉈が鼻先すれすれで停止する。少年はギラギラと金色の瞳を輝かせて嗤う。
よく目を凝らしてみれば、この路地裏の一角だけ、空間がキラキラと光っている。
少年は口を吊り上げた。獰猛に、残酷に。
「あ? ……ヒぃっ」
「こういうときはな。嗤うもんなんだぜ」
事前に張り巡らせておいた糸を手繰り寄せる。と、キラキラが蟲に喰いこみ、体に埋まっていく。蟲はゴミとなって、ゴミはそのままバラバラと意味のない塊に変わっていく。泥水が血の水に変わり、味気ない路地裏に彩りが生まれた。
「んだよ。お祝いってか?」
まだ声変わりもしてない少年の声でそう言うと、空に向けて口を開けた。降り始めた雨が喉を潤す。
「うめぇ。けど、祝いにはちっと足りねぇ」
ゴミの中に宝を求めて表面を覆っていた汚ねぇモノを引きはがし、漁る。しばらくして、鍵を探しあてると、少年は口角をつりあげて暗闇に消えていった。
◆
ゴミが持っていた鍵を使って、散々ゴミの家を物色し終えた少年は、貧民街を上機嫌に歩く。吊るされた衣類を意味もなく蹴り飛ばし、戦利品をみるなり襲い掛かってくる蟲を無造作に殴りつける。
じめじめと淀んだ路地裏。そこらへんにぶちまけられた生ごみの臭いが鼻をつく。今日も此処は活気に満ち溢れている。少年はそう思うと愉悦が止まらない。
自身がいつ生まれたかなど、知らない。気がつけば檻の中にいたし、気がつけば手は血に染まっていた。飢えと寒さをしのぐ自分なりの最適解を選び、そして、気がつけばこの街のこの淀んだ一等地に流れ着いていた。
そんな複雑でくそったれなこの一等地も、長い事住み続けたこの足は無意識に目的地へと向いてくれる。
しばらく歩いた先に、スクラップの集合体のような山が見える。その一角のとりあえずと恰好だけつけられたような扉をあけて、少年は戦利品の一部を投げ入れた。
「おい、レイトン。分けてやるぜ」
扉を開ければ、案の定、いつもの老人がいる。
「また殺してきたのか?」
「あ? 先に手をだしたのはあっちだぜ? なんだかのドンってわりには只のゴミだった。おい、レイトン。いらねぇのか?」
不愛想な老人が物品に目を向けないものだから、バルバロッサは手で引っ込めようとしたが、老人は品物を足で踏んずけてそれを止めた。
「ふん、貰わねぇ理由がねぇ」
レイトン。洗いざらしのような白髪に、白衣を着ている風変りな爺さんを一瞥すると少年――バルバロッサはその手元をジッと見つめた。
「何やってたんだよ?」
「薬の調合だ。いいか小僧。おめぇは腕っぷしがつえぇみたいだ。だがな」
「わーってるよ爺さん。知識を積めだろ?」
バルバロッサは喧しいというように大きく手をふってレイトンの言葉を遮った。レイトンはそれをちらりと横目で見てから視線を手元に戻した。
「ふん。時に知は武にも勝る」
「んだっけ? メトスの言葉だっけか?」
「そうさ。智の神メトスだ。教養ってやつさ。覚えといて損はねぇ」
レイトンはそう吐き捨てると再び作業をはじめる。棒に括り付けられた皿に砂を盛って、棒の反対に取り付けられた皿に草を置いていく。そうして地面と水平になったら、草を取り出してすり潰す。そんなことを何回も繰り返している。
バルバロッサはそれを見つめる。貪欲に、吸収するように。手元を動かしながら、レイトンが口を開く。
「復讐はできたのか小僧」
「……誰かもわからねぇ。だから、かたっぱしから殺す」
「青春だな。死ぬ前にここに来いよ。前みたいに治してやる」
「負けねぇよ」
バルバロッサはこの街に行きついた。そして、その初日に洗礼を受けた。ただ、気に入らなかっただけだろう。貧民街にしてはほんの少しだけ身なりの良かった蛇のような目つきの男と小太りの豚。
殴られ、蹴られ、嘲られた後に投げ捨てられた。
血みどろで、視界もかすむ中、一度目を閉じた。そして、気がつけばこの家にいたのだ。その時、レイトンは何も言わなかった。貸しは作らない。だから、バルバロッサは日々レイトンに戦利品を分けてやる。そうでもしないと、負けてしまうからだ。
「いいか小僧。三流は話になんねぇ。二流は調子に乗る。一流はな、能力を見誤らねぇもんだ」
「チッ、小言のうるせぇジジイだぜ。じゃあな。またくるぜ」
ここのところ、レイトンは事あるごとに知識を押し売りしてくるし、話が長くなる傾向にある。
むずかゆく感じるこれがバルバロッサは苦手だった。
――温かいからだ。
「小僧」
「んだよ」
「死ぬなよ」
「死なねぇよ。生きてたらな」
そんな短いやりとりをして、バルバロッサはレイトンの家を出たのだった。




