第5話:魔王の審判
応接室に、静寂が落ちた。
テオドールが履歴書を置いた音が、まだ耳に残っているような気がした。
勇者ジークフリートは、その場に立ち尽くしたまま、言葉を持てずにいた。
二年間、隣で戦い続けた仲間が、自分の足で新しい場所へ踏み出していく。その背中を、止める言葉が出てこなかった。
テオドールは就職宣言を終えた後、椅子に静かに腰を下ろしていた。もう迷いはない。その横顔は、旅の間中一度も見せなかった、穏やかな落ち着きを帯びていた。
沈黙を破ったのは、魔王ソロモンだった。
「……さて」
ソロモンは悠然と脚を組み替え、眼鏡の奥の瞳をジークフリートへと向けた。その眼差しには、敵意も怒りもない。ただ、静かな、しかし確かな知性の光があった。
「テオドール君は、決めた」
ソロモンはテオドールへ一瞥を送ってから、再びジークフリートを見据えた。
「では、君はどうする? ジークフリート君」
「……どうする、とは」
「このまま聖剣を抜くか。話を聞くか。あるいは――」
ソロモンは口角をわずかに上げ、一枚の書類をジークフリートの前に滑らせた。
そこには、見覚えのある書式が並んでいた。
求人票だ。
「君も、うちに来ないか」
「……は?」
ジークフリートは、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「魔王軍の求人票を、俺に?」
「君の戦闘能力は折り紙付きだ。単身で魔獣の群れを壊滅させ、この魔境を踏破してきた実力は本物だろう。それに――」
ソロモンは一拍置いた。
「君も、今の環境に搾取されている一人だろう?」
その言葉が、ジークフリートの胸の奥に刺さった。
「……俺を、勧誘するつもりか。笑わせるな。俺は魔王を倒しに来たんだ」
「そうか。では聞こう」
ソロモンは椅子に深く腰を沈め、静かに、しかし重く問いかけた。
「君は今、誰のために戦っている?」
「……世界のためだ。故郷のような悲劇をこれ以上増やさないために」
「その『世界』に、君自身は含まれているか?」
ジークフリートは、答えられなかった。
含まれているか。
二年間、一度も考えたことがなかった問いだった。世界を救うために戦う。それが勇者の使命だ。その使命のために、自分の欲求も、疲労も、疑問も、すべて後回しにしてきた。
それは正しいことだと、ずっと思っていた。
だが今、その問いを突きつけられた瞬間、ジークフリートは気づいた。
自分が守ろうとしていた「世界」の中に、自分は入っていなかった。
ソロモンは続けた。
「君はろくな支度金も与えられず、補給拠点もない死地へ放り込まれた。仲間の疲弊にも気づけないほど、自分の使命感に盲目になっていた。テオドール君が限界を超えて働き続けていた間、君は何をしていた?」
「……それは」
「責めているわけではない。君もまた、その構造の被害者だからだ」
ソロモンは立ち上がり、窓の外へ視線を向けた。魔境の濁った空が、遠く広がっている。
「君たちはなぜ、『パーティ』などという最小単位でこの魔界へ放り込まれた? 敵地へ攻め込むなら軍隊を組織し、兵站を確保するのが定石だ。本気で魔王を倒したいなら、なぜ王国は正規軍を動かさない?」
ジークフリートは反論しようとして、喉の奥が引き攣った。
疑いもしなかった。勇者といえば数人の仲間とパーティを組み、魔王を討伐しに行くもの。お伽話も、伝説も、すべてそうだった。
だが、本気でこの地を平定したいのであれば、なぜ王国は正規軍を動かさない。
答えは、出なかった。
「休憩時間も確保できぬほどの少人数で、補給拠点もない魔力汚染地帯を強行突破させる。これは遠征ではない。単なる『棄民』だ」
○
魔王の放った「棄民」という言葉が、ジークフリートの胸に深く、重く突き刺さった。
(棄民……捨てられた、民……)
否定したかった。だが、否定するための言葉が、喉の奥で腐っていた。
思い返せば、おかしいと感じた瞬間は何度もあった。
王都を出る前夜、支度金の少なさに誰かが不満を漏らした。その時、自分は何と言ったか。
「——世界を救う旅だぞ。金の話をするな」
自分がそう言ったのではない。誰かがそう言った。だが、自分はそれに頷いた。むしろ、心のどこかで安堵した。文句を言わずに済む理由ができたから。
テオドールが夜中に一人でポーションを調合していた時も、そうだ。「みんな苦しい旅だ、自分だけ楽はできない」——その言葉を、テオドールに向けたつもりはなかった。だが、それは同時に、自分が動かない理由にもなっていた。
(みんな我慢している。だから俺も我慢する。だから、お前も我慢しろ)
その論理は、どこに向かうのか。
我慢した者が、次の者に我慢を強いる。声を上げた者が、「空気を読め」と潰される。そうやって、誰も何も言わないまま、理不尽だけが積み上がっていく。
それを「仲間への思いやり」と呼んでいた。
(……俺は、その仕組みの中で、一番従順な部品だったんじゃないのか)
脳裏をよぎるのは、出発の儀のあの日だ。
王宮の謁見の間。金銀で飾られた玉座。そして、異常なまでの数の近衛兵たち。
あの時、自分は「英雄を守るための護衛だ」と思っていた。
だが、今になって思い返すと、違う。
あの兵たちは、英雄を守るためではなかった。
魔獣を単騎で屠り、民衆のカリスマになりつつあった「ジークフリート」という存在を、いつでも処理できるように取り囲んでいたのではないか。
王の瞳に宿っていたのは、英雄への期待ではなかった。値踏みする目。あるいは、厄介払いをするような、冷ややかな安堵だったのではないか。
(最初から……倒してほしくなんてなかったんじゃないか)
その考えが浮かんだ瞬間、ジークフリートは全身の力が抜けていくのを感じた。
俺たちは、勝ち残って帰ってくることなど、想定されていなかった。
使命感という名の鎖で手足を縛り、「世界を救え」という言葉を旗にして、ここへ送り込まれた。
それは、国防ではなかった。体裁のいい、口減らしだったのではないか。
(……だとしたら、俺たちは最初から、何のために戦っていたんだ)
二年間。
故郷を失った怒りを胸に、魔王を倒すという一点だけを見て、前だけを向いて走り続けた二年間。
その全てが、誰かに設計されたレールの上を走っていただけだったとしたら。
床が、ぐらりと揺れたような気がした。
ソロモンは、その動揺を見透かすように、静かに続けた。
「さらに言えば、我々魔族は、何百年もの間、魔境から溢れ出す魔獣と戦い続けてきた。この城が縦にではなく横に長く、異様なほど頑強に造られているのは、侵略のためではない。魔境との境界を塞ぐための、防波堤だからだ」
「……防波堤?」
「魔族こそが、魔獣の最大の被害者だ。魔力が高い者から順に狙われる魔獣の習性上、魔族は常に最前線に立たされている。我々が魔獣を操っているという王国の主張は、真逆なのだよ」
ジークフリートは、思わず振り返り、城の壁を見た。
あの外壁の爪痕が、脳裏に蘇る。外側から叩きつけられた、巨大な何かの爪。古い血の痕と、まだ乾ききっていない新しい傷。
「だが、我々だけでは、もう限界に近い。魔境は年々拡大している。人類側からも押さえ込まなければ、いずれ魔族も人間も、共倒れになる」
ソロモンはそこで一拍置き、引き出しから一枚の図面を取り出した。
緻密な設計図。魔境との境界線上に築く共同防衛拠点。物資の流通路と補給拠点の配置。雇用を生み、経済を回し、食糧難を根本から解決するための、大規模な再建構想。
「魔境という共通の脅威を、人類と魔族が両側から封じ込める。これが、私が描いてきた構想だ」
ジークフリートは、その図面を食い入るように見つめた。
その時、背後でかすかな気配を感じた。
モルガンが、一歩だけ前に出ていた。
その目が、図面の上をなぞるように動いた。まるで、見覚えがあるかのように。
だがすぐに、何事もなかったように元の位置へ戻った。
ジークフリートは、その動きを視界の端で捉えながら、何も言わなかった。
「君が王国から勇者に任命されたのは事実だ。だが、責任の所在を履き違えるな。すべての不備は、経営トップである国王にある」
「……確かに、あんたの言うことは正しいんだろう」
ジークフリートは、震える拳を握りしめながら、それでも顔を上げた。
「俺たちが不当に搾取されていたことも、王宮の連中が俺たちの命を安く見積もっていたことも、否定できない事実だ。……だがな、魔王」
彼の脳裏に、赤く染まった故郷の空が蘇る。
「だからといって、あんたを倒さない理由にはならないんだ。あんたが言っていること自体は筋が通っている。でもあんたが言ったことが嘘ではないとも言えない」
ジークフリートはわずかに冷静さを取り戻す。魔王が言っていること自体は、理解できる。だからと言って、真実とは言えないし、憶測の域を出ていない。
それに対して、ジークフリートのなかに変わらない事実はある。
「あの日、俺の故郷は魔獣に滅ぼされた。親も、友人も、帰る場所も、すべてを失った。王国が嘘をついているのかもしれない、俺たちが使い捨ての駒なのかもしれない。……でも、目の前で家族を失い、泣き叫ぶ子供たちの絶望だけは、何があっても揺るがない事実なんだ」
その言葉を、テオドールは静かに聞いていた。
勇者の目に、嘘はなかった。使命感も、怒りも、本物だ。
(この人は、本当に故郷のために戦っている)
テオドールは、そっと口を開いた。
「……ジークフリート」
勇者が振り向く。
「あなたの気持ちは、本物だと思います。でも、一つだけ聞かせてください」
テオドールは、静かに、しかしはっきりと言った。
「魔王を倒した後、あなたは何をするつもりですか? 王国に帰って、英雄として称えられて……その後は? 同じ王国が、また同じことを繰り返すだけじゃないですか?」
ジークフリートは、答えられなかった。
ソロモンが、静かに続けた。
「君が私を倒し、英雄として帰還したとしよう。だが、それこそが王にとって最大の『不利益』となるのが分からないか? 私という共通の敵がいなくなった後、最強の武力と民衆の支持を持つ君は、王座を脅かす最大の懸念材料だ。王は君を、内側から変えるチャンスなど与えない。凱旋パレードの翌日にでも、不慮の事故か、国家反逆の濡れ衣で君を処理するだろう」
ジークフリートは動揺する。自分の不安が他者に言語化されている。
「だが、あんたが言っているのは、すべて推測に過ぎない」
その時だった。
モルガンが、静かに口を開いた。
「……一つだけ、事実を確認させて」
その声は淡々としていた。しかし、どこか覚悟を決めたような静かな重さがあった。
「あなたの村が滅んだ直接の原因は、本当に『魔獣』だったの?」
「……魔獣が、俺の村を滅ぼしたんだ。それの何が違うっていうんだ!」
ジークフリートは吐き捨てるように答えた。だが、その言葉は空虚に響き、彼自身の胸に鋭い違和感として突き刺さった。
「あの日、襲撃してきた魔獣を、あなたはたった一人で全て制圧した。村人の中に一人の死傷者も出なかった。それは紛れもない奇跡だったわ」
ジークフリートは息を呑んだ。
「けれど……守り抜いたはずの村は、その冬を越せずに滅びた。直接の原因は魔獣の爪牙ではなく、食糧の枯渇による集団餓死だったのよ」
「……餓死?」
「収穫の秋だった。たとえ畑が荒らされたとしても、王国に十分な備蓄があり、適切な支援さえあれば、誰一人死ぬ必要はなかったわ。けれど、王国は一切の援助を拒んだ。王都の倉庫には、贅沢を極めても余るほどの食糧が積み上げられていたというのに」
「……なぜ、そこまで詳しいんだ」
ジークフリートが静かに問うと、モルガンは一瞬だけ間を置いた。
「……調べたことがあるから」
それだけ言って、モルガンは黙った。それ以上は、何も語らなかった。
ジークフリートは、言葉を失い立ち尽くした。
餓死。
その一言が、頭の中でゆっくりと広がっていった。
俺は、全員を守った。魔獣を一頭残らず倒した。誰一人、傷一つ負わせなかった。
それが、自分の誇りだった。
あの夜の記憶は、今でも鮮明だ。
燃える麦畑。魔獣の咆哮。鍬を剣に持ち替えた瞬間の、恐怖と覚悟が入り混じった感覚。必死に、ただ必死に、目の前の命を守ろうとした。
そして、夜明けに皆が無事だったことの、あの安堵。
(俺が守ったんだ。俺が、全員を守り切ったんだ)
その記憶が、誇りが、今、音を立てて崩れていく。
守ったのではなかった。
俺が守ったのは、あの夜だけだった。
その冬、村人たちは食糧を失い、王国に援助を求めた。しかし王国は、一切の援助を拒んだ。
俺が王都に召喚されたのは、その翌春だ。
(……俺がいなくなった後、村はどうなったんだ)
考えたことがなかった。
勇者として旅立つ日、村人たちが見送ってくれた。誰もが誇らしげな顔をしていた。
その冬に何が起きたか、俺は知らなかった。
知ろうとしなかった。
(俺が守った、と思っていた。だが、俺が去った後、村は滅びた。俺が守ったのは、魔獣からだけだった。本当の脅威から、村を守れたのは、誰だったんだ)
膝が、震えた。
怒りは、消えなかった。
むしろ、深くなった。
だが、その矛先は二つに割れた。
一つは、王国へ。村を見殺しにした、あの冷たい玉座へ。
もう一つは——自分自身へ。
(俺は、あの冬を知らなかった。知ろうとしなかった)
王都に召喚された春、村人たちが誇らしげに見送ってくれた。自分はその笑顔を「期待」だと受け取り、胸を張って旅立った。
だが、あの笑顔は何だったのか。
食糧を失い、王国に見捨てられ、それでも「勇者様のご活躍を祈っています」と言うしかなかった人たちの、あれは笑顔だったのか。
声を上げれば何か変わるかもしれない。だが、勇者の足を引っ張るわけにはいかない。世界を救う使命の邪魔をするわけにはいかない——そう思わせる空気を、誰が作ったのか。
王国だ。そして、その空気に乗っかって「世界を救う」と旗を掲げた、俺自身だ。
(みんなが我慢してくれたから、俺は前だけを見て走れた。その我慢の上に、俺の使命感は乗っかっていた)
英雄とは何か。
最も遠くまで走れる者ではない。
自分の後ろで誰かが倒れていても、気づかずに走り続けられる者のことではないのか。
その問いが、胸の奥に根を張った瞬間、ジークフリートは初めて足が止まる感覚を覚えた。
物理的にではない。
二年間、一度も止まらなかった、あの衝動が——静かに、速度を落とした。
だが、その瞬間だった。
ジークフリートの腰にある聖剣が、突如として禍々しい黒い光を放ち、心臓の鼓動のように激しく脈打ち始めた。
「――ッ! なんだ、この光は……!?」
その直後、凄まじい衝撃音と共に、魔王城の厚い外壁が外側から盛大に爆ぜた。
崩落した外壁の隙間から、土煙を切り裂いて躍り出たのは、異形の魔獣の群れだった。どれもが狂ったような咆哮を上げ、魔王とモルガンへと同時に殺到する。
「やらせないわ……!」
モルガンが瞬時に詠唱し、防御魔法を展開する。しかし、魔獣の群れはあまりに多すぎた。
死角から放たれた魔獣の爪が彼女の喉元に迫ったその時――。
「チッ、」
ソロモンが不快そうに指を鳴らした。一瞬でモルガンの前へと転移し、その巨大な障壁で、彼女を飲み込もうとしていた魔獣たちを力ずくで弾き飛ばした。
漆黒の外套が、モルガンを包み込むように広がる。
ジークフリートはその光景を一瞬だけ見て、しかし考える暇もなく剣を構えた。
「落ち着け、勇者。今は個人の感傷に浸っている暇はないぞ」
ソロモンはモルガンを背後に庇ったまま、押し寄せる魔獣の群れを鋭い眼光で射抜く。
「魔獣は強大な魔力を喰らうためだけに現れた、純然たる殺戮の獣だ。不本意だろうが、この場の脅威を排除するまで、一時的な『共同戦線』を張れ」
ジークフリートが答えを出すより早く、テオドールが杖を掲げた。
「ジークフリート、今は迷っている暇はありません! 聖なる加護よ――!」
テオドールの守護魔法が、魔王とモルガンを包んだ。
ジークフリートは、歯を食いしばりながら剣を構えた。
「……一時的だ、本当にこの場を凌ぐためだけだぞ……魔王!」
乱戦が始まった。
次々と壁の裂け目から溢れ出す魔獣を斬り伏せながら、ジークフリートの脳内では、戦いとは別の思考が静かに動き続けていた。
視界の端で、ソロモンが魔獣を粉砕している。
(……演技か、本気か)
もし、魔王が魔獣を操っているなら、こんな場所でわざわざ魔獣と戦う必要はない。自分たちを騙すための演技にしては、消耗が大きすぎる。
だが、分からない。
この男は頭が切れる。自分を取り込むために、巧妙な嘘をついている可能性だって、ゼロではない。
(信じるには、まだ早い)
次の魔獣を斬り伏せながら、視界の端に外壁が映った。
外側から叩きつけられた爪痕。古い血の痕と、まだ乾ききっていない新しい傷。
(……あれは、本当に魔獣の爪痕なのか)
疑いが、頭をよぎった。
見せかけかもしれない。自分たちを信じ込ませるために、用意された舞台かもしれない。この男は頭が切れる。それくらいのことは平然とやる。
だが。
ジークフリートは、今まさに目の前で魔獣を斬り続けながら、その考えを手放せなかった。
(……何百年分だ、あれは)
古い傷の上に、新しい傷が重なっている。一夜や二夜ではない。何十年、何百年と叩きつけられ続けた跡だ。
演技でこれを作るなら、城ごと作り直す必要がある。
(信じるには、まだ早い。だが——)
否定するための根拠も、今の自分には、ない。
魔王がいうように、魔族は、何百年もここで戦い続けてきたのかもしれない。誰かに命じられたわけでもなく、英雄と呼ばれたわけでもなく、ただ同胞を守るために。
その間王国は、魔獣を「魔王の脅威」と呼び、共通の敵として恐れ続けた。
(都合がいい話だ)
外に敵がいれば、内側の腐敗から目が逸れる。民衆が魔族を恐れている限り、王国への不満は「今は団結すべき時だ」という言葉で封じられる。
俺はその構造を、疑いもしなかった。
いや——疑う気力を、持てなかった。
毎日魔獣と戦い、仲間の消耗を横目に見ながら、それでも「使命だから」と前だけを向いていた。余裕がなかったのは本当だ。だが、余裕を奪うことが、最初から目的だったとしたら。
考えさせないために、走らせ続ける。
疑わせないために、消耗させ続ける。
(……俺たちは、飼い慣らされていたのか)
だが、これも今この場で証明はできない。結局すべてが筋が通っているが、確証を得れていない。
その瞬間だった。
一際巨大な魔獣が防衛線を突き破り、ソロモンの背後へと迫った。
モルガンが間に飛び込んだ。爪が肩を深く抉る。
ソロモンが転移した。外套がモルガンを包み込む。
その動作に、計算はなかった。
冷静な魔王が、その一瞬だけ、ただの人間と同じ顔をした。失うことを恐れる、剥き出しの顔を。
(……この男も、守りたいものがあって、ここに立っている)
俺と、同じだ。
ただ、この男は「みんな我慢しているから自分も我慢する」とは言わなかった。
設計図を描き、構造を変えようとした。足を踏み出し続けた。
その違いが、今のジークフリートには、痛いほど分かった。
「——一時的だ。この場を凌ぐためだけだぞ、魔王」
声に出した時、その言葉はもう、言い訳ではなかった。
俺はまだ、何も決めていない。だが、剣を振るう理由が、たった今、変わった。
魔王を倒すためではない。
今この場にいる全員を守るために——そして、終わったら、考えなければならないことがある。
ソロモンが両手を掲げ、周囲の空気が震えるほどの莫大な魔力を練り上げ始めた。漆黒の渦が、部屋全体を飲み込むように広がっていく。
押し寄せる魔獣の群れが、その圧倒的な「餌」に引き寄せられるように殺到した。
テオドールが聖印を刻み、モルガンが傷を押さえながら迎撃の炎を放つ。ジークフリートは無言で、次々と壁の裂け目から溢れ出す魔獣を斬り伏せ続けた。
そして、魔力が臨界点に達した。
「消え失せろ。――『深淵なる虚無』!」
視界が、真っ白に染まった。
白い光の中で、ジークフリートは静かに目を閉じた。
体中が痛い。腕が、足が、重い。だが、それよりも重いものが、胸の中にあった。
棄民という言葉。
故郷が餓死で滅んだという真実。
そして、あの一瞬の動作。ソロモンがモルガンを庇った、本能的な動き。
それらが、静かに、しかし確実にジークフリートの中で固まっていく。
まだ、分からないことはある。
まだ、信じきれないこともある。
だが、今の自分に見えているものは、確かだ。
(……王国に、帰らなければならない)
剣を振るうだけでは、足りない。
その決意が、白い光の中で、静かに根を張った。
読んでいただきありがとうございます!
いよいよ今夜19時の最終話で完結です。
最後まで見届けていただけると嬉しいです。
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