第2話:魔王対面
はじめまして、小説家になれないです。全6話・毎日19時更新で完結まで投稿します。よろしくお願いします。
魔境からは常に魔獣が襲ってきていた。被害は次第に増えていた。王都から遠い村や町はとくに被害が大きかった。畑は壊され、家はなくなり。人は死んだ。ジークフリートの村も例外ではない。
だからこそ、勇者が魔王を倒せば世界が救われる。そして、それこそが全人類の希望だと思っていた。
なのに、なぜ、なぜ、いなくなる。
「つきましては、こちらの書面をご確認ください」
男は鞄から、整然と束ねられた書類を取り出した。
ジークフリートの思考は遮られ、現実に戻ってきた。
「まず、即日退職に伴う合意書。次に、二年分の未払い報酬および残業代の請求明細。聖水・ポーション材料費・法衣修繕費、業務上必要であったにもかかわらず僧侶様が自費で負担されていた消耗品の全額返還請求。そして――」
男はわずかに間を置いた。
男は表情一つも変えずに、言葉を続ける。
「なお、僧侶様には早急に確保すべき資金がございます。詳細はお答えできませんが、この請求が通れば、相当額が僧侶様の手元に残る計算です。二年間、一銭の貯金も作れなかった方が、ようやく生活の基盤を取り戻せる金額です」
「……二年間、一銭も?」
勇者の声が、かすかに揺れた。
「路銀は王家から支給されていましたが、食費・宿代・消耗品費を差し引けば、僧侶様の手元に残る報酬は月銀貨三枚を下回っていました。それでも僧侶様が二年間、この過酷な旅を続けてこられたのは――それだけ切実に、お金を必要とされていたからです」
勇者は絶句した。
テオドールが金に困っていることなど、考えたこともなかった。聖職者だから清貧で当然、という空気が、ずっとパーティの中にあった。
しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。
「……待ってくれ」
勇者は、男の腕を掴んだ。
「事情は分かった。テオドールの言い分も、金の話も、全部聞く。だが、今じゃないんだ。ここまで来て、魔王を目の前にして……今テオドールに抜けられたら、俺たちはどうなる。戻れば魔獣に食われる、進めば僧侶なしで魔王と戦うことになる」
勇者の声には、焦りと、わずかな懇願が混じっていた。
「頼む。テオドールに連絡を取ってくれないか。事情を話して、せめて魔王を倒すまでだけでいい、もう一度だけ来てくれと……。報酬は必ず払う。この戦いが終わったら、請求された金は全額払う。それに加えて、ちゃんとした契約も結ぶ。だから、今だけは」
男は、勇者の言葉を最後まで黙って聞いた。
そして、静かに口を開いた。
「……ご要望はお伝えすることができます」
「本当か!?」
「はい。退職代行サービスとして、ご本人へのメッセージをお預かりすることは可能です。ただし――」
男は、勇者の目を正面から見据えた。その眼差しに、わずかな同情と、しかし揺るぎない確信が宿っていた。
「僧侶様は、戻りません」
「……なぜ、言い切れる」
「二年間です、勇者様」
男の声は、静かだったが、重かった。
「人が退職代行を使う時というのは、もう自分では限界だと判断した時です。直接言えば引き止められる、丸め込まれる、また情に流されてしまう――そう分かっているからこそ、第三者である私どもに依頼するのです。僧侶様がこのサービスを選ばれたのは、それだけの覚悟があったということです」
勇者は、男の腕を掴んだまま、動けなかった。
「それでも、お伝えすることはできます。しかし、返事を期待されることはお勧めしません。僧侶様はすでに、前を向いておられますので」
男は穏やかに、しかしはっきりと勇者の手をほどいた。
「僧侶様の現在地については、契約により一切お答えできません。ご不明な点は、こちらの書面をご確認ください」
男の言葉は、魔王の呪文よりも鋭く勇者の胸を抉った。
勇者は震える手で、魔法使いに助けを求めた。
「おい、冗談だろ……? ここで僧侶が抜けたら、俺たちはどうなる。路銀だって……」
「……勇者」
魔法使いが、乾いた笑い声を漏らした。
「路銀なら、もうないわよ。王様から渡されたあの金、途中の貧しい村で補給するたびに消えたわ。あいつら、自分たちの食料すら持ってないんだもん。それに……私たちの食料も、さっき食べたカビの生えた保存食が最後よ」
勇者は絶句した。
戻れば魔獣に食われるか、とどまれば餓死するか。
「……行くしかないんだ。魔王を倒せば、城の食料が手に入るはずだ!」
勇者は重くなった聖剣を引きずり、静まり返った魔王城の階段を駆け上がった。
一段ごとに響く金属音だけが、耳を劈くほどに高い。
「……なぜ誰もいない。なぜ、何も聞こえない」
喉を焼くような焦燥と、肌を刺す異様な静寂。伏兵の気配すら皆無の「無」の空間が、狂気となって背中を這い上がる。
魔王の鼓動さえ感じられぬこの沈黙は、敗北よりも恐ろしい。
心臓が裂けんばかりに脈打つ中、彼は確信に近い恐怖を抱きながら、たどり着いた最上階。
重厚な扉を蹴り開ける。
「魔王! 覚悟しろ!」
そこには、巨大な玉座はなかった。
あるのは、清潔感のあるオフィスデスクと、コーヒーの香り。
壁には「アットホームな職場です」「年間休日百二十日以上」と書かれたポスター。
そして、履歴書を前ににこやかに微笑むスーツの男と、その向かいで――ついさっきまで隣にいたはずの僧侶が、晴れやかな顔で面接を受けていた。
「――ですから、私の回復魔法は最短三秒でクールタイムが終わりまして」
「ほう、それは素晴らしい。うちの厚生年金制度、詳しい説明を聞かれますか?」
世界で一番場違いな光景が、そこには広がっていた。
勇者は、扉の前で、ただ立ち尽くした。
二年間。ずっと隣にいた背中が、今は自分に向けられていた。
その背中は、旅の間中一度も見せなかった、穏やかな丸みを帯びていた。
読んでいただきありがとうございます!
次回は明日19時に更新します。
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