◆第181話:時と空間の芽◆
ヴァルザの書斎に戻り、腹を満たしたリゼル。
書斎には横手に続く部屋があり、豪奢なベッドが据えられている。
そこは、リゼルが“温かみ”を感じる場所でもあった。
月が昇り、眠る刻。
ベッド脇に魔法書を寝かせ、ランプ型術具に灯を入れる。
横になり、魔法書の背表紙を見つめながら今日を振り返る。
「魔法が使えないなんて……」
「いえ。魔法が使えなくても“使命”を果たせる手段を考えないと」
初めての挫折は未だ胸を焦がしている。けれど、視線は前を向いていた。
ヴァルザの残した資料から読みとった使命を果たすために、あらゆる手段を使うと決めていた。
まぶたが重くなる。
「明日、考えますか……」
背表紙を見つめながら意識が落ちかけ――
「……あれ? この背表紙の下に……何か、書かれて……」
擦れた文字の輪郭が、灯の揺れで一瞬だけ浮いた。
そのまま眠りに落ちた。本能には抗えない。
朝――太陽が昇る。
神領は魔の霧が常に立ちこめ、薄暗いが時折光が差す。
やわらかな日差しに、リゼルはパチッと目を開いた。
「寝落ちていましたか……」
枕元の魔法書を取り上げ、背表紙をじっと眺める。
「“魔術師の魔法理論”……の下に、擦れた文字が」
「じょう……かん……」
そのまま口に出し、寝起きの頭でぼんやりと思考を巡らす。
「………」
「――上巻、ですって!」
見開いた金の瞳が輝く。
「まさか、続きがあるのですか!」
リゼルはベッドを飛び降り、急ぎ足で本棚へ向かう。
「この本はここに……続きが、ない……」
「探さねば!」
棚の隅々、積み上げられた本の山を一冊ずつ確かめていく。
「見つからない……まだ、まだ」
◇
「ここが最後ですね……」
最後に辿り着いたのはヴァルザの書斎机。
「楽しみにして、後回しでしたが……」
いつか読む“ご褒美”を、いま切り崩す。
積まれた本の中に――
「……これです!」
“魔術師の魔法理論・下巻”。上巻と同じ装丁。
胸が高鳴る。ページをめくる。
「次なるは、更に希少な魔法が――」
指で一文をなぞり、声に出す。
「早速、実験です!」
書斎を飛び出し、魔法書を抱き走る。
地下への階段を下り、裸足で石の回廊を駆ける。
昨日、涙を落とした実験場へ急ぎ向かう。
「はあ、はあ……すぅ~、はぁ~……」
汗を拭き、深呼吸をして呼吸を整える。
それでも胸の高まりはさほど収まらなかった。
魔法書の下巻を読み、最初の魔法式を頭に入れるリゼル。
「まずは……星属性」
大きく息を吐き、吸う。
魔法式を思い描き、魔力を手のひらへ。
「――コメット!」
……何も起こらない。
「まだまだ。ここからです……!」
◇
記述順に次々と試す。だが、発動しない。
兆しすら出てこない。
残りは二つの属性。
そう、もう二つしかないのだ。
「時と、空間……か」
半ばあきらめの影がよぎる。それでも挑む。
「まずは、時属性」
焦る心を押し沈め、意識を一点に細く集める。
「――クロノ・アシュータ」
魔法名を唱えた瞬間――視える世界が、変わった。
空気に舞う微細な塵が、ゆっくりと煌めき始める。
世界が遅い。代わりに、心臓だけがうるさい。鼓動が耳の奥を叩いた。
「こ、これは……!」
異変に思わず一歩、後ずさる――つもりだった。
ズザザァ――。
想定より遠くまで滑る。
「あつっ、痛っ!」
裸足の足裏が石で擦れ、反射的に体勢を崩す。
床を転げ、壁にぶつかり、視界がぐるぐると混線する。
止めることができず、制御不能になっていた。
やがて――
魔法の効力が切れた。
「はぁ、はぁ……ひどい目に遭いました」
「痛たた……」
全身がずきずきと訴える。
だが――胸は高鳴る。
「――ついに、見つけました!」
「わたくしの適性……わたくしの属性は……」
「時魔法……なのですね」
頬を伝う涙。
「ぐす……ちゃんと、あってよかったぁぁぁ……」
歓喜が震えに変わり、両手で顔を覆って泣いた。
膝から崩れ落ち、床に座る。
これまでの焦り、悩みが泣くたびに溶け出していくようであった。
ひとしきり泣いて、深呼吸。
床に置いていた下巻を拾い、先ほどの魔法効果を確認する。
「なるほど。自身のみ――身体動作、反応、思考を短時間だけ加速」
「……大切に、育てましょう」
愛おしげな眼差しで文字を追う。
「そういえば、最後の属性がひとつ残ってましたね……」
「一応見ておきますか、今回は攻撃系で……」
手を掲げる。
魔力を収束させ、魔法名を唱える。
「――ディメンション・スライス」
魔力が放たれた感覚があった。
だが、目には見えない。
「? もう一度」
今度は壁のランプ型術具を標的にする。
「――ディメンション・スライス」
スパッ、と切断線が走る。
ランプは二つに割れ、ガシャン、と床へ落ちた。
「なんと! 空間魔法にも適性が……」
「時と空間……ふふ」
喜びが胸に満ちる。
まさに力を得た瞬間であった。
「あとは、どちらが“秀で”なのか」
床に座り、段取りを整える。
「外で試すとしても、極大の魔法なら――魔導戦具が欲しいところですね」
「今日はこのまま訓練。明日、探索を再開しますかね」
独り言を終え、ページを閉じる。
昨日の自分をひとつ越え、神の子はまた前へ進む。




