◆第180話:リゼルの魔法訓練◆
相も変わらず、ヴァルザの書斎で過ごす日々。
繰り返し見ていた魔法書を閉じる。
「だいたいは理解できました。――そろそろ、魔法の練習をしないといけませんね」
ある程度の知識を身につけたリゼルは、自身の魔法適性を確かめたくなっていた。
本来なら球型術具が適性を測る。だが――主なき居城では沈黙していた。
誰も教えてくれない――自分の手で確かめるしかなかった。
「ここは聖域。……広いところでやりましょう」
ここで汚せば、主の痕跡を汚すことになる――そう思えた。
その恐れだけが、主の不在を埋めていた。
ヴァルザの書斎=聖域、と心の中で定義して、探索の折に見つけていた部屋へ向かう。
ペタン、ペタン――
石の階段を下りる足裏が、冷たさを吸う。
布を身体に巻きつけ、裸足のまま。
手元には魔法書しかない。
「ここは寒いので、あまり来たくないのですが……」
魔法書を抱きしめながら肩を両手でさすり、少しでも冷えをまぎらわせる。
それでも息は仄かに白くなり、身体を震わせる。
ペタン、ペタン――
無様な足音を鳴らしながら石壁の回廊を進み、やがて辿り着く。
「ここなら、失敗しても何とかなるでしょう」
ひときわ広い部屋。
かつて“神造生命体”たちのために設けられた、ヴァルザの実験場。
床や壁のあちこちに、黒いシミがこびりついている。
「さて、この魔法書によれば……まずは頭の中に魔法式を描く」
「わたくしの適性は不明。基本からいきます」
息を整え、指先をそろえる。
「――炎。スカーレット・ニードル!」
魔法式を思い描き、手に魔力を集める。
書かれているとおりに。
……何も起きない。
掌の奥で、魔力だけが渦を巻く。魔核は動き、収束もできていた。
それでも――
「……な、何も出ない」
熱はあるのに、外へ噴き出す“出口”が見つからなかった。
戸惑うリゼル。気持ちを切り替える。
「次にいきましょう。――雷。ライトニング・スナップ!」
……沈黙。
実験場にリゼルの声が響くだけだった。
「魔法式が間違っている? 魔力収束が不足? まさか、魔法属性が……ない?」
首を振る。
「いえいえ……そんなことは……」
冷や汗が出てくる。
焦りが、喉の奥を乾かす。
「この本には――秀でた属性以外にも、劣化でも使える属性が備わる、と……」
記述を反芻しながら、もう一度ページをなぞる。
魔法書を始めから読み直す。
「焦ってはいけません、リゼル。ここには――根気強く試すように、もある」
顔を上げる。
「こうなったら、あらゆる属性を試しましょう!」
本に育てられた幼子は、ただ律儀に実行する。
風――無音。氷――白い気配すらない。闇――何も落ちない。
「次こそは。次こそは、主の因子が応えてくれるはずだ」
くじけずにページの順に試した。
幻術。光。結界。水。大地。樹木。爆発。治癒。金属。重力——
だが、どれも沈黙だった。
「……基本も、希少も、発動しない」
魔法書が手から滑り落ちる。
膝が折れ、両手が床に触れる。そして金の眼に、うっすら涙が滲む。
「わたくしには、魔法属性は受け継がれなかったのでしょうか……」
落とした魔法書を抱きしめ、床に座り込む。
「わたくしは……ヴァルザ様の“子”では、ないのでしょうか……」
頬を伝う、初めての涙。
胸の奥が、きゅう、と鳴る。
「そういえば……以前、ヴァルザ様はわたくしの傍らで、怪訝なお顔を……」
「そういうこと、だったのですね。……わたくしは、“失敗作”なんですね……」
雫が増える。止まらない。
魔法書を抱く力が強くなる。
「う、っ……う……ぐす……あ、あああああ――!!」
広い実験場に、幼い嗚咽が反響した。
天を仰ぎ、声を出して泣き叫ぶ。
やれることはやった、全力を出した、それでも魔法は発現しなかった。
生まれて初めての挫折を味わった。
◇
涙が枯れ、声がかすれた頃。
リゼルは冷たい石床に横たわっていた。泣き疲れた身体が、ひく、と震える。
ぐぅぅ~~~……きゅる、きゅるきゅる~~……
「……間抜けな音ですね。こんな時にも、腹は減る。……なんと無情な……」
力なく身を起こし、壁に手をついて立ち上がる。
胸には指南役の魔法書を抱えたまま。足取りは重いが、書斎へ向かって歩き出す。
――実験場に残ったのは、冷えた床と、新しく増えたシミだけだった。




