第二十六話 最後の対峙
アルフレート様の戦勝の報せから、五日が過ぎていた。
私は、その日の午後、王都の外れにある、アーデンフェルト家累代の廟へ、参っていた。母エレオノーラの、名だけの墓標に、白い花を、供えるために。
供の者は、マリエッタ一人。他には、誰も、連れて来ていなかった。
──お母様。
私は、墓標の前に、跪いた。
もうすぐ、すべてが、終わります。
そのとき、廟の入口に、人の気配が、立った。
「シャル」
振り向くと、深紅ではなく、地味な灰色の外套を纏った、義姉イザベラが、立っていた。
供も、連れていなかった。
「お姉様」
私は、立ち上がった。
マリエッタが、身構えたが、私は、手で、それを、制した。
「大丈夫よ、マリエッタ。少し、離れていてくれる?」
マリエッタは、渋々、廟の入口の外へ、下がった。
義姉は、墓標の前まで、歩いてきた。
「あなたが、ここへ来る日を、ずっと、待っていたの」
彼女の声は、いつもの、鈴の音のような明るさを、失っていた。
「お姉様、お一人で?」
「一人よ」
義姉は、乾いた笑みを、浮かべた。
「もう、誰も、私の味方を、してくれないもの」
風が、廟の柱の間を、低く、吹き抜けた。
「シャル」
義姉は、私の前に、進み出た。
「あなたが、何を、なさろうとしているか、私には、分かっているわ」
「お姉様」
「戦勝祝賀の日、あなたは、すべてを、暴くつもりなのでしょう」
義姉の瞳が、揺れた。
「お母様の死の、真相も。私が、加担したことも」
私は、扇を、静かに、開いた。
「お姉様は、加担なさったのですか」
「シャル」
義姉の声が、震えた。
「お願い。今からでも、遅くないわ。──お母様のことは、もう、済んだこと。掘り返さないで。私たちは、家族でしょう」
「お姉様」
私は、扇を、閉じた。
「私たちは、家族では、ございません」
義姉の顔が、白く、凍った。
「一度も、家族だったことは、ございません。お姉様は、私を、いつも、ただの、控えめな道具として、扱っていらっしゃいました」
「シャル、それは……」
「前世の、私を、思い出してくださいませ」
私の声は、自分でも驚くほど、静かだった。
「私は、お姉様の陰で、生き、お姉様の陰で、死にました。──今度は、違います」
義姉の唇が、震えた。
そして、彼女の瞳から、涙が、こぼれた。
「シャル、私……私だって、選びたかったのよ。あなたのように、自分の力で」
「では、なぜ、選ばなかったのですか」
私は、まっすぐに、彼女を、見た。
「お姉様には、いつでも、選ぶ機会が、ございました。エミール様を、本当に、支える機会も。お母様の死の真相を、お継母様に、問いただす機会も。──お姉様は、その、どれも、お選びになりませんでした」
義姉は、答えなかった。
ただ、両手で、顔を、覆った。
そのとき――。
廟の入口に、もうひとつ、影が、差した。
「イザベラ、そんなところで、何を、しているの」
継母レーゲンシアの、静かな声だった。
紫の外套を纏った継母が、ゆっくりと、廟の中に、入ってきた。
「お継母様」
私は、扇を、握り直した。
「シャルロット」
継母は、優雅に、微笑んだ。
その微笑みの下に、私は、初めて、はっきりと、冷たい刃を、見た。
「あなた、お腹の子は、お元気?」
その一言に、私の背筋が、凍った。
「お継母様」
「戦勝祝賀まで、あと、五日ですものね」
継母は、私の腹のあたりに、視線を、落とした。
「その日、あなたに、何かが、起きないとも、限らないわ。──お腹の子まで、道連れに、なさりたくは、ないでしょう?」
「お母様、それは……」
義姉が、青ざめた顔で、母を、見た。
「イザベラ、黙っていなさい」
継母は、義姉を、一瞥もせずに、言った。
私は、扇を、大きく、開いた。
そして、微笑んだ。
「お継母様。あなたが、私に、危害を加えようとなさるたび、私の周りの者たちが、それを、すべて、記録し、証拠として、積み上げております。──今、この場での、あなたのお言葉も、含めて」
継母の瞳が、初めて、揺れた。
「マリエッタ」
私は、声を、上げた。
廟の入口から、マリエッタが、静かに、姿を、現した。
彼女の手には、小さな、革張りの手帳。
「奥方様、すべて、書き留めて、おります」
継母の顔から、瞬時に、血の気が、引いた。
「あなた……」
「お継母様」
私は、静かに、彼女に、向き直った。
「あなたが、母を殺め、私を殺そうとし、そして、たった今、お腹の子まで、脅した。──もう、言い逃れは、できません」
継母は、しばらく、私を、睨みつけていた。
けれど、やがて、その瞳から、力が、抜けていった。
「……好きに、なさい」
彼女は、低く、呟いた。
「どうせ、もう、後には、引けないのだから」
継母は、踵を返し、廟を、出ていった。
義姉は、まだ、その場に、立ち尽くしていた。
「お姉様」
私は、彼女に、向き直った。
「五日後、王宮で、すべてが、終わります。──あなたが、まだ、ご自分の言葉で、何かを、選べるのは、それが、最後の機会です」
義姉は、何も、言わなかった。
ただ、涙を、こぼしながら、母の後を、追うように、廟を、去っていった。
私は、一人、母の墓標の前に、残った。
──お母様。
私は、心の中で、囁いた。
姉と継母は、最後の最後まで、選びませんでした。
だから、私が、代わりに、選びます。
風が、白い花びらを、一枚、墓標の上に、運んできた。
私は、それを、そっと、拾い上げた。
「マリエッタ、今日のことは、すべて、証言として、使えるかしら」
「はい、シャルロット様」
マリエッタは、深く、頷いた。
「お継母様の、お腹のお子様への、明確な脅迫。──五日後の断罪に、必ず、活きるはずでございます」
私は、頷いた。
そして、王都の空を、見上げた。
雪の気配を含んだ、灰色の雲が、低く、垂れ込めていた。
──あと、五日。
私の心の中で、静かな、決意だけが、燃えていた。




